刊行予定が大幅に遅れていたので、 もしや出ないのではないかと危ぶんでいた復刻版。 手持ちの文庫版は紙が変色してカバーもボロボロになりかけているので、 再刊は有難かった。 小林泰彦氏の挿絵も収録されているのが嬉しい。 ただ、 なぜか 『大統領の密使』 では挿絵があるべきページに配置されていない。 文庫しか知らないので単行本からしてこの配置だったのかは不明。 惜しい。
十数年ぶりにちゃんと読み返すと、 平成をまたいで令和に読む昭和 40 年代は、 記憶にあるよりずっと古びた印象だった。 ラジオの深夜放送が若者の娯楽だった時代。 ロシアはまだソ連の一部でドイツは東西に分かれていて香港は英国の統治下にあった。 時の流れの速さに頭がくらくらする。 当時の風俗がふんだんに描かれているのだが、 若い人にとっては古いカタログを眺めるような感覚かもしれない。
とはいえ (気を取り直し)、 年配者が昔を懐かしむために読むだけではもったいない小説であることは間違いない。 ハードボイルドとミステリの設定に、 映画とテレビ番組に音楽や料理まで、 作者の教養がふんだんに盛り込まれた、 贅をつくしたユーモア小説である。 パロディ化されたキャラクター達がトラブルに巻きこまれ、 オヨヨ大統領などというふざけた名前の悪党と対峙するのだが、 破茶滅茶な言動でシリアスな状況を突き進む、 そのバランスと会話のテンポがたまらなく良い。
パロディという言葉は小林信彦の本を通じて知った。
中学生の私にはいまひとつピンとこない単語だった。 定義は理解できないまま、 物語の面白さに夢中になってオヨヨシリーズを読み漁った。 ハードボイルドやヤクザ映画といった興味のない内容なのに物語にのめり込めたのは、 パロディが秀逸であったからこそだ。
パロディは原典を知っていてこそ楽しめるというのが正論だ。 原典に関する知識があればより深く理解できる。 盛り込まれた皮肉にひとりでくすくす笑って優越感にひたれる。
知識がなければ、 まず何がパロディ化されたのかもわからないわけだが、 わからなければそれなりに楽しめる読み方がある。 物語にうまく欺されることだ。
「台詞に、 言い回しに、 舞台設定に、 なんだかおかしみを感じる。 ということは何かのパロディなのかもしれない。 背景に別の物語があるのか。 どんなことが、 どのように隠されているんだろう」
舞台上のコメディに笑いながら、 パロディ化されたであろう場面を想像する。 そんな風に読むのが、 この小説に合っている。 読書は手軽な冒険だ。
もちろん、 原典を知りたい欲求もあることはある。 いまの時代、 片手でなんでも検索できるのだから。 原典となる作品も昔のスターの顔も1分で突き止められる。 ああなるほどね、 ふーん。 と納得はできるが、 Google に教えてもらった答えでは簡単すぎてドーパミンは出ない。 ゲームで行き詰まって攻略サイトで答えを見るのと同じだ。 少しばかり賢くなった気がするけどどうせ二,三日で忘れてしまう。 でも、 そうやって探しに行くのも冒険のうちだ。 過去に寄り道するのも悪くない。 つまりどう読んでも楽しめる、 とびきりの娯楽小説なのである。