杜 昌彦

GONZO

第16話: 北へ

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2020.11.29

 ふたりの逃避行はいまや伝説となり、あたかも彼らが深い絆で結ばれて愛欲の日々を送ったかに語られがちだ。反撥しながらも中年の殺し屋に惹かれる気持を抑えきれず云々、といった筋書きへの期待は重々承知しているが、この物語では巷に流布するその手の解釈を採用しない。とはいえこのわたしにしても世間の偏見とさしたる隔たりはないばかりか、むしろその一部でしかないのは自覚している。姫川尊とは友人でも何でもなく、中高時代の彼を遠巻きに眺めただけの間柄だし、梶元権蔵の描写に至っては、マスメディアやソーシャルメディアに吹き込まれた憶測まみれの情報を、よこしまな妄想で肥え太らせた産物にすぎない。善悪で断ずるならば褒められたものではないし、とりわけ姫川尊本人からは責められて当然だが、それでもこの書き方を選ぶのは、かつてのわたしを投影する題材をほかに知らぬからである。
 いまわたしたちの想像力は、海沿いの道路を疾走する赤いロードスターを目にしている。潮風に吹き晒される運転席では、蟹目のサングラスとマスクの肥満した殺し屋が、携帯で田澤老人に悪態交じりの報告と交渉を終えたばかりだ。彼と可能なかぎり身を離して助手席で頬杖をつき、流れる景色をむすっと眺める美少女、そのじつ美少年は、フリルやギャザーをあしらったドレスと同色の布マスクを着けて、三つ編みを解いた長い髪を、水中の海藻さながらに風になびかせている。喪服めいた黒ずくめだけが共通項の、対照的な二人組だ。恋人同士にしては歳が離れすぎ、親子にしてはあまりに似ておらず、何より見るからに仲が悪すぎる。
 強要も相談も約束もなく、会話どころか視線すら碌に交わさなかったのに、なぜかふたりは行動を共にしていた。ゴンゾが服や顔についた返り血を落とすため道の駅に寄ったとき、ミコトは女子トイレで顔を洗って着替え、化粧を直して、当然のように駐車場へ戻った。ゴンゾも何の疑いもなく車で待っていた。当時の世間が、ストックホルム症候群を云々してほのめかしたがったように、ミコトには逃げる機会などいくらでもあった。傲慢と独立独歩の権化たる彼が、本来なら蔑みの対象でしかないような、昼間には蹴り倒しまでした「家庭教師」に付き従って、屋敷での豪勢な暮らしを放棄し、不便極まりない逃亡生活へと身を投じたのは、第一次大戦の塹壕で生じたシェルショックさながらの放心状態で、強い態度に抗えず洗脳されたため、もしくは新潟少女監禁事件と同様の学習性無力感で、逃げる発想が湧かなかったためではあろうが、しかしわたしにはあの姫川尊が、社会病質者に命ぜられるまま唯々諾々と人質の身に甘んじたとは、どうしても思えぬのである。
 暴力を糊塗する二次加害になりかねぬのは重々承知の上で、この物語では被害者の尊厳のためあえて夢想したい。抑圧からの解放を彼自身が望んだのだと。事件は彼にとって長らく夢想し待ち望んだきっかけだったのだと。登校を拒否し離れに引き籠もったのは、彼自身が科した枷であったと同時に、のちに詳述するが家庭によって強いられた監禁でもあった。住み込みの使用人を皆殺しにされた挙げ句に、何のことやら見当もつかぬ情報をどこへ隠した、差し出せと脅されて、あわや性的暴行を加えられんとする間際で、生意気なデブ犬に救出され、襲撃者が警察だったと報されて、証拠に警察手帳まで見せられては、もはやだれが敵で味方かわからない。家族はもとより信用ならぬ。せり出た腹の内にいかなる思惑があろうが、特殊部隊をひとりで殲滅するほどの猛犬に、まずはすがるのが理性的な判断といえよう。平然と人間を殺害する社会病質者を、彼は抜け目なく利用したのだ。
 むしろ不可解なのは梶元権蔵の動機である。当初疑われた犯行が、実際には警察の捏造と判明したいまでは、わざわざ事件に関わって、厄介な荷物を抱え込む理由など見当たらぬ。常々うそぶくように邪悪でありさえすれば捕まらず、不可視であり、世にまかり通るのであれば普段通りにふるまえばよさそうなものだが、行きがかり上、標的とされた美少年を連れ歩くはめになったゴンゾは、それまでの暮らしを放棄せざるを得なかった。安穏たる殺し屋生活を棄ててまで厄介を抱えたそのわけは、ひとつには田澤老人の指示だったろうが、断ることもできたはずで、現に一度は断っている。けだし人生とは筋が通らぬもので、とある作家の言によれば、通らぬ筋を通らぬまま受け入れるのが小説とのこと。作家ならぬわたしもその流儀に倣おう。
 カルト教団の乱交で望まれずして生まれ、戸籍も与えられず、殺人の道具として育てられ、集団自殺によってその故郷も、他人の定めた目的をも喪ったゴンゾにとって、人生はつまらぬ冗談の延長にすぎなかった。どうせ旬のすぎた余興なら悪乗りするのが彼のモットーだ。そこでふて腐れた女装美少年を助手席に乗せ、愛車を北へ走らせたのだが、走らせた方角の北が曲者である。逃亡者はハリウッド映画ではメキシコとの国境を、二時間サスペンスでは北を目指すのが定石である。青葉市は県庁所在地であり、東北有数の人口を有する政令指定都市でもあるが、フィクション内で都合よく理想化されたその「辺境」は、多くの日本人にとって引き裂かれた恋人の転勤先であったり、遠くにありて思う郷里であったりする、白河以北一山百文のいわゆる「北国」にほかならぬ。すでにその地に在住しながらあえて慣例に従うあたり、どうも本気で逃げたとは受け取れぬ節がある。
 異国へ高飛びするでもなく、それどころか県境さえ越えず、行き着いたのは鈍行列車で一時間半ほどの、寂れた海沿いの街だった。顔を見られずに宿泊でき食事もとれる利便性と、もっとも疑われぬのはもっともいかがわしい場所を訪れた、もっともいかがわしいふたり連れであるとの理論とに基づき、最初に向かったのは場末のラブホテルだった。あるいは拾った動物を棄て去るがとごく、拉致した少年を放置して引き返すつもりだったのかもしれぬが、排気ガスで薄汚れた目隠しをくぐろうとすると姫川尊は、読者諸氏が期待するであろう場面を想像して露骨に嫌悪を示し、殺すぞ、と青ざめた顔で殺し屋を脅した。他人の意向に忖度などする殺し屋ではなかったが、意図を説明するのも面倒になり、捕まることを畏れるのはもとより彼の性格ではなく、自動精算機に拒否されたら窓を塞がれた部屋から脱出のかなわぬ難点や、二度も目撃した虚ろな表情をも思い出して、どうせなら二時間サスペンスの旅情を味わおうと考えなおし、あっさり観光客向けの旅館へと進路を変えたのである。
 ロードスターのトランクから大ぶりなギターケースを取り出して旅館の受付へ向かうゴンゾに、ミコトは相変わらず不機嫌でこそあったものの、彼にしては珍しく悪態をつくこともなく従った。つまりここでも逃げる素振りは見せなかったのである。予約もせずに訪れるには遅い時間であり、案の定、押し問答になったが、疫病のおかげで閑古鳥が鳴いていたためだろう、しまいには受け入れてもらえた。親子で公演旅行をしているが手違いで宿が取れず云々、公演も土壇場で流れて散々だ、なる見え透いたつくり話を受付の男は聞き流した。被虐待児には声を上げる勇気がない、などとよくいわれるがあれは嘘である。助けを求められた大人が目をそらし耳を塞ぐだけだ。聞こえるように声をあげれば騒ぎを起こした、底意地の悪い嘘つきだと決めつけられ、寄ってたかって罰せられ、二度と声をあげられぬよう叩きのめされて、あべこべに加害者が同情される。この国では差別や虐待や性的搾取は「ない」のである。だから絶対に通報されない。関係を怪しまれたがゆえに彼らの存在はなかったことにされた。万全の隠れ蓑だ。テレビでやっている殺人事件、なる別の文脈が持ち込まれれば結果はまた異なろうが、公共の電波が広めた人質の写真は、数年前の詰め襟、短髪であり、大量殺人犯にして誘拐犯はこの時点では複数とされていたので、目前の児童買春とは結びつかなかった。ましてゴンゾの黒スーツに染みついて拭き取りきれなかった血痕は、受付男の視界に入らなかった。
 アンプにはつながないが楽器の練習をするかもしれないとゴンゾは告げ、夜はやめてくださいよ、ほかのお客様の迷惑になりますからねと暗に別のことを念押しされながらも、なかば強引に角部屋にしてもらった。露天風呂がついているとの理由で特別料金をふんだくられた。食事はさすがに断られ、代わりに開いている店を教わった。部屋に案内されてふたりきりになるとゴンゾはギターケースをひらいた。現れたのは暗殺用のライフル銃ではなくグレッチのカントリー・ジェントルマンだった。裏の革蓋を外すとなかから札束が出てきた。ひと掴み取り出して尻のポケットにねじ込み、さらにもうひと掴みを今度はミコトへ放った。
「安全な金だ。無駄遣いするなよ」
「血がついてる」
「だから安全なんだよ。腹が減ったな。働きすぎた」
「夕食は済んだよ」
「おれは途中だった」
 あまり流行っているようにも衛生的にも見えない古びた小料理屋で、店主の老人はカウンターの内側で丸椅子に座り、青年漫画誌を眺めながら退屈そうに煙草をふかしていた。もう看板だよと老人はいい、固いこというなよとゴンゾはやり返して、熱燗とウーロン茶と料理を注文し手酌で飲みはじめた。ミコトは不快そうに眉根を寄せてマスクをしたまま刺身にもウーロン茶にも手を着けなかった。どうした喰わないと体力がもたないぞとゴンゾはいった。凄惨な体験をしたばかりで食欲が湧かないとか、食べたばかりで腹が減らないといった発想は殺し屋にはなかった。贅沢に慣れた金持の餓鬼はこれだから困ると内心で蔑んだ。ゴンゾとミコトは互いに蔑み合っていた。
 贅沢が理由ではなかった。津波に流された遺体を食べて育った魚だろうとミコトは唐突に発言した。老人がぎょっと目を見ひらいてふたりを見た。あほか、もう九年も経ってるんだぞとゴンゾは呆れた。
「車に屋根がないから雨にも濡れた。放射能が……」
「ちょっと霧雨に当たっただけだろ。おれが餓鬼の頃は核実験なんて日常茶飯事だったしスリーマイルもチェルノブイリもあった。化学調味料も合成甘味料も着色料もじゃぶじゃぶ使われてた。それでもあんたよりよっぽど元気だ。目の前のこの爺さんなんて、百年も肺がんの元を吸い込みつづけてピンピンしてる」
「百年も生きちゃいないよ。景気がここまで悪くなけりゃ追い出してる」
「思春期の娘を男手ひとつで育てりゃ口も悪くなるさ」ゴンゾは徳利を掲げた。「あんたも飲みなよ」
 呼吸するように嘘をつく殺し屋をミコトは嫌悪をこめて睨んだ。
だかGOTOだか知らんが、儲かるのは広告代理店ばかりだ」老人は猪口を差し出しきつい訛りでぼやいた。「休業補償さえもらえたら……」
 宿に戻ると布団がふたつ並べて敷かれていた。ゴンゾは鼻歌交じりで大浴場へ向かった。布団を見下ろしていたミコトはやがて表情を変えずに黒ドレスを脱いで露天風呂に浸かった。いっとき晴れた夜空には雲がかかり月も星も見えなかった。ミコトの表情は変わらなかった。湯上がりに浴衣をまとい、布団に座ってゴンゾを待った。中年の肥満した殺し屋は長らく戻らなかった。退屈したミコトはテレビをつけるなり中学時代の自分と対面するはめになった。自分らしさを見出していなかった時代の自分だ。その頃から女子にはうんざりするほど騒がれていたし、美貌も頭のよさも、同級生とは格の違う存在であることも自認していたが、詰め襟、短髪の自分は野暮ったくて大嫌いだった。偽りが学生服を着て鏡のなかから見つめ返すようなもので、醜悪にすら感じた。アナウンサーの声が遅れて意識に入ってきた。それによれば自動小銃で武装した集団が姫川邸を襲撃し、数多くの使用人や、通報を受けて駆けつけた警官らを虐殺し、人質として自分を連れ去ったことになっていた。父親と秘書が照明やフラッシュを浴びて、マイクの束を四方八方から突きつけられ、いまにも泣き出しそうに目を細めながら、いかにも健気な風に発言していた。
 血と汗を洗い流し、さっぱりした顔で部屋に戻ったゴンゾが目にしたのは、布団に膝を抱えて座り、憎々しげに画面を睨むミコトだった。


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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