さまざまな事情から損なわれた人生の舵が、 ここ数年でようやくとれるようになりました。 好きなものを好きなときに飲み食いしたり、 真空管アンプと ZENSOR1 で Spotify を聴いたり、 休日には寝床で本を読んだり iPhone で映画を観たり。 平均寿命と不整脈とを鑑みるに、 暇つぶしも残すところそう長くはあるまいと思い至ったとき、 ようやく手にしたこの幸せで充分なのかなと考えました。 このまま老衰のためだけに人生を空費していいのか。 一冊くらい何かまともなものを遺したほうがいいのでは⋯⋯と。
他人とのかかわりを極限まで減らして成立した幸福だし、 他人からよく思われたことのない老人なので、 交流や社会生活から得られる喜びはありません。 いったん生まれ落ち、 長い歳月をかけて偏屈な老人に仕上がってしまった以上、 半端に死んだらそれはそれで迷惑になります。 後始末を負担する財力も才覚もないし、 そもそもやり遂げる有能さがあれば人生は違いました。 自分を持て余す屑が世にはありふれている。 ではわれら屑はいかに生活すべきか、 という思考実験を小説で試したかったのですが、 でも最近、 何もかもめんどくさい。 小説の書き方だって忘れてしまった。
去年、 あとにつづく多くのひとたちのために、 と考えて準備を進めていたことが、 大きな反撥を招きました。 信じていたひとたちが、 実はそちら側の肩を持っていたことに気づいて、 急にばからしくなりました。 では次に何をすればいいか、 と考えるとわからない。 きわめて私的な極小規模の出版、 とまでは見当がついています。 それも KDP Print が当分、 日本語には対応しそうもないとか、 物理的な制約が多すぎて現状やれることがない。 BCCKS のオンデマンドと e 宅を組み合わせればやれないこともないけれども高い能力が要求される。
以前も書きましたが、 出版社はいまでもいい本を出しています。 しかし当レーベルは書いたものや気に入ったものをどう売るかを考えたいのであって、 彼らに仕事を求め、 営利の企画で書くのはまったく異質な仕事に思われます。 やれるひとはすごいな、 と感心するけれども特にそうなりたいとは思いません。 自分の本よりも他人の書いたものを出版したい、 という気持や、 独創的な才能をブランディングしたい、 という気持は実のところまだあります。 しかし世間がいかに大人の事情で動いているかを知ったいまでは、 やはり自分ひとりでおもしろい可能性を切り拓いていかねばならないのだろうな、 と考えています。