杜 昌彦
血と言葉
第1話: 雨の夜(1)
あと数日で十月にもなろうかというのに猛暑だった。教室の冷房は予算削減のために切られていた。生徒はだらしない格好で制汗スプレー臭い汗をかき、堂々と私語を交わしていた。 辻凰馬は彼らが見えないかのように授業をしていた。縮れ […]
第2話: 雨の夜(2)
「書いてるか」お代わりの金を払いながら青山が尋ねた。 強風が激しい雨を窓に叩きつけていた。店は閑散としていて、青山のほかに客はひとりだけだった。部活動を中止して生徒を下校させた直後から風雨は激しくなっていた。教職員が引 […]
第3話: 雨の夜(3)
「だれかと思いましたよ。どうしたんですかその顔。眼鏡は?」 職員室で注目を集めた。だれにともなく念仏のように挨拶し、着席して仕事の準備をはじめた。いつもと変わりない朝にしたかった。ニットとスカートの英語教師が無遠慮な問 […]
第4話: 雨の夜(4)
その頃の凰馬は粗暴な父の言いなりだった。初めて会う老人に、それまでずっとよき孫であったかのように爺ちゃん、と呼びかけた。祖父もまた義理の息子の思惑を知った上で孫を受け入れた。そうして死なれるまでの三年間、凰馬は祖父の世話 […]
第5話: 幼馴染みの日(1)
遊|田将大《ゆだまさひろ》は海堂ちありのことなら何でもわかると思っていた。兄妹のようにずっと一緒に育ったのだ。 ある晴れた午後、海堂家の若奥様に、公園のジャングルジムで遊んでいるところを捕まえられ、うちの娘をよろしくね […]
第6話: 幼馴染みの日(2)
戻りたいとは思わないが懐かしく思い出す季節がだれの人生にもあるものだ。六年前の凰馬は日々どこで寝ることになるのかわからない生活をしていた。実家の命令に逆らえなかった。周囲には介護と説明していたが実態は「監視」だった。何度 […]
第7話: 幼馴染みの日(3)
「どうしたのこんな高そうな店へ呼び出して。大丈夫なの?」 学生時代とは通う店も変わってきてはいたが、それにしても確かに、ポスドクと若手中学教師の食事には分不相応に思えた。そういいながらも絵梨子は初めての店を楽しんでいる […]
第8話: 幼馴染みの日(4)
疲れ果てて眠りに落ちたちありを残し、凰馬は服を探した。シャツはちありが、幼児がお気に入りの毛布にするように握り締めていた。タンクトップの上に上衣を羽織って店の便所に入った。便器を抱えて胃液しか出なくなるまで吐いた。汚れた […]
第9話: 手製の銃(1)
ああ、殺したよ。この手で何人も撃ち殺した。今も手に小道具の感触と硝煙の臭いが刺青のように残っている。おれたちの芸術を理解しない世間に報復してやった。最高の舞台で。帝都芸術劇場中ホール。あそこで演るのが夢だった。マスコミに […]
第10話: 手製の銃(2)
ちありは濡れた髪のまま部屋で荷造りをした。生まれ育ったこの家に戻るつもりはなかった。目に映るすべてに哀しい想い出が染みついていた。買い替えられるものは残した。壁に貼られた大量の写真や言葉の数々もそのままにした。それらは代 […]