杜 昌彦

ぼっちの帝国

連載第28回: Not Waving, But Drowning

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2019.06.10

 メディアや出資者を招いた見学会は大成功だった。最先端のソーシャルメディアが歴史的建築物で生まれようとしている事実を彼らはおもしろがった。カメラを手にした記者たちはなぜか割烹着の明日香を撮影したがった。違うんです彼女はとヤンパチが抗議し、マシューはいいじゃん撮られちゃえばと笑った。一階にある謎の小部屋はサーバ室だと判明した。機材の性能を説明する美樹はまるで別人のように見えた。来客のだれもが『ぼっちの帝国』の成功を確信して口々に前途を祝福した。
 取材陣が引き上げるとヤンパチと美樹は出資者たちを牛タン料理店に接待に連れて行った。数時間後に戻ってきたふたりを交えてひさびさに広間に全員が集まった。シャンパンはまだ早いということで缶ビールで祝杯をあげた。あきらはドクターペッパー。明日香は後片付けを気にしたがマシューにそそのかされてビールを選んだ。神崎陸はペットボトルのお茶を飲んだ。
 上機嫌で歓談しているとヤンパチの携帯が振動した。おうひさしぶりと愉快そうに挨拶し、相手の声に耳を傾けるなり彼の表情は掻き消えた。無言で通話を終えた。盛り上がっていた一同が静まってヤンパチの様子を窺った。どうしたの、と明日香は尋ねた。
「前職の後輩が自殺した」とヤンパチは奇妙なほど静かにいった。「本人の希望で葬式はしない。あした火葬だけをするそうだ」
「急だな。いくつだったんだ」美樹が尋ねた。
「知らない。まだ二十代だったはずだ」
 そうかと美樹はいった。「楽に逝けたのならいいな」
 ヤンパチは過去を見つめるかのように少し考えた。「そうだな。そうだったと信じる」それから何気ない風にいった。「あんたはやめてくれよ」
 マシューは横っ面を張られたかのような目で美樹を見た。明日香は自分だけが知らぬ符牒が交わされているかのように当惑した。あきらは俯いた。
「ひとりで大丈夫か」と美樹は尋ねた。
「耐えられそうにない。ついてきてもらえると助かる」
 翌日は小雨が降っていた。あきらも同行したがったが美樹は学校を休むのを許さなかった。喪服なら用意してあるとあきらがいうのが聞こえて明日香はひっかかりをおぼえた。そういう問題じゃないと美樹はいい、留守番を頼むと神崎陸にいった。陸は視線を合わせぬまま無言で肯いた。
 ヤンパチには普段着でいいといわれたが明日香は実家を訪ね、母の防虫剤くさい喪服を借りて身につけていた。歩いて十分の距離でありながら実家に戻るのは三ヶ月ぶりだった。仕事中の母とは顔を合わせなかった。喪服は光丘秀蔵が納戸から出してきてくれた。ぴったりだった。体型が似ていることを改めて意識させられた。
 喪服を着たボッチーズはごく控えめにいって暴力団のように見えた。麻薬の取引にでも赴くかのようだ。マシューがワゴンRを運転した。後部席で明日香はヤンパチの手に自分の手を重ねた。ヤンパチの手は節くれだって乾いていて、冷たかった。
 参列者は多くなかった。性別不詳の若者が多かった。だれもが寡言で、哀しみよりも戸惑いが勝っているかに見えた。ヤンパチは元同僚らと挨拶を交わした。血縁者らしき姿はない。家族のように来客に挨拶しているのは一緒に暮らしていたという女性のみだった。銀髪のせいで老けて見えたが、それがなければボッチーズと同年代かやや歳上くらいに思われた。ヤンパチの後輩とどういう関係なのかはわからなかった。
 故人を浴室で見つけたのはあの女らしいとヤンパチは元同僚のひとりから耳打ちされた。
 火葬が終わるまでのあいだ待合室に通された。待合室は会議室のような小部屋で折りたたみ式の長机とパイプ椅子が無造作に並ぶだけの部屋だった。
 自然と説明を求められるかのような空気になり、銀髪の女が語った。トランスジェンダーでもあった故人はソーシャルメディアの差別にさらされていた。女子大がトランスジェンダーの学生を受け入れたことに対するバッシングが発端だった。数名の応募者が世論の圧力に屈して自主的に入学を辞退したのは明日香もニュースで知っていた。故人はそのことにソーシャルメディアで言及した。
 相応の覚悟があったのか人間を迂闊に信じすぎたのかはわからない。悪意ある連中が雲霞のごとく群がってきた。そのなかには特攻隊を描いた大ヒット映画の原作で有名なベストセラー作家もいた。
 故人は痴漢やストーカーや執拗な声かけに脅かされていた。女の経験する理不尽だけでは不足だとでもいうかのように見知らぬ他人からすれ違いざまに侮辱の言葉を囁かれたり指を差されたりもした。加えてネット上で「男体持ち」はトイレに入ってくるなとか、入るなら目印を身につけろなどとなじられるようになった。匿名アカウントの判別は不可能だが多くは女の声のようにも思われた。
 銀髪の女は故人にソーシャルメディアやブログをやめるよう何度も忠告した。しかし故人は聞き入れなかった。黙らされ存在しなかったことにされるのは納得がいかないと主張した。強くて優しい女だった。
 遺骨は永代供養墓に埋葬されるという。自分もそこに入るつもりだと銀髪の女は語った。
 帰りの車は美樹が運転した。雨は激しくなっていた。フロントガラスを流れる雨をワイパーが脈動のような音を立てて拭いつづけた。美樹の運転は荒っぽかった。泥水を周囲の車や通行人に撥ね飛ばした。
「おれにとって彼女は友人のひとりでしかなかった」とヤンパチはいった。「何を悩んでいるにせよそれはおれの問題ではなかった。結局のところ彼女は女でおれは男だった」
「だれだって他人なんだ」と美樹はいった。「理解できると思うのは相手への冒涜だ」
 後輩が元気をなくしているのが気になってはいたとヤンパチは述懐した。『ぼっちの帝国』の追い込みで忙しく予定が合わなかった。リリース後にかつての仲間と飲もうと約束していた。間に合わなかった。
「人間いつどうなるかわからない。逢えるときに逢っておかなきゃいけなかった」
 逢っておきたい相手がいるだろうかと明日香は考えた。ふと思い浮かべたのはキヨタカ先輩ではなく父親だった。なぜそんなことを考えたのかはわからない。
 その夜、明日香は眠れなかった。水を飲もうと起きて広間へ向かった。美樹が食卓に着いていた。何をするでもなくただ座っていた。何事か考え込んでいるようだった。
 明日香はふたり分のコーヒーを淹れた。どうせ今夜は眠れない。美樹は尻のポケットから財布を出して二百五十円を差し出してよこした。コーヒーはサービスのつもりだったが断るのも億劫だったので受けとった。指先が触れ合った。
「あのひとはソーシャルメディアが友だちを殺したみたいなことをいってたけど、どうなのかな」
「どういう意味だ」
「それがなくてもいつかは圧し潰されてた気がする」
 美樹はマグカップを下ろし、しばらく押し黙った。そしていった。「いまはどんな商売もソーシャルメディアでうまく立ちまわらねば成り立たない。『ぼっちの帝国』にしてもそうだ」
 何を話し出すのかと明日香は困惑した。
「多様性や複雑さはひとびとを不安にさせる。おれたちは排除の論理に加担しているのかもしれない。たとえ意図がそれとは真逆であったとしても」
 考えすぎだと明日香はたしなめた。「確かにひどい差別だと思うけど世の中そんなに悪意に満ちてはいないでしょう。ちょっとまちがった方向に傾いただけよ」
「あまりにも偏りやすい。インターネットは言論の自由ではなくひとびとを扇動する悪意に手段を与えた。差別主義者が大統領に選ばれたのは広告代理店がソーシャルメディアで巧妙に立ちまわったからだ」
 明日香は不安に襲われた。ヤンパチのいう「本棚の整理」だと感じた。饒舌にさせるなという意味がわかるような気がした。考えの方向を変えてやろうとした。
「そんなに難しい話じゃないと思う。バッシングしていたひとたちの気持もわかる。見かけが男性の人物がトイレに入ってきたら怖いよ。相手が同性だと頭でわかっていてもだめ。女にとって男のからだは理屈抜きで怖いのよ。大きいし腕力だって……」
 美樹は奇妙なほど感情の欠落した目で明日香を見つめた。初めて出逢った日と同じ目つきだった。明日香は自分が何か取り返しのつかぬ失態を演じたのに気づいた。
「出て行ってくれ」
「は?」
「いますぐこの部屋から出て行け。あんたは馘だ。あしたの朝には荷物をまとめて退去してもらう」
 明日香は笑おうとしたが冗談ではないようだった。目の前の大男が急に怖くなった。明日香は立ち上がり、後ずさり、身を翻して広間を出た。自室のベッドに戻って枕に顔を埋め、泣いた。
 翌朝、明日香は朝食の席でヤンパチとマシューに相談した。美樹は部屋から出てこない。あきらは聞こえぬふりをして普段より早くアパートを出た。あるいは単純にかかりあいたくなかったのかもしれない。神崎陸は聞こえているのかいないのか、いつもと変わらず食事をしていた。
 マシューは美樹が何を考えているかわからないといって憤った。
 ヤンパチの話では美樹は朝までずっと美彌子の仕事をしていたらしい。書庫で資料を探したりトイレを使ったりする音が聞こえたという。つまりヤンパチもまたひと晩中眠れなかったのだ。美樹に明日香を馘首する権限はないと彼は説明した。「雇用しているのは管理会社であって彼個人ではない。あんたに出て行かれると困るのはおれたちだ。どうにか話をつけるから普段通り仕事をしてくれ」
「どうして優しいの」
「どうしてとは?」
「あたしはたぶんあなたの友だちにひどいことをいったんだと思う。それであのひとは怒った」
「何がひどくて何がひどくないのかおれにはわからない。おれは彼女ではない。彼女が何をどう感じるかなんて知ったことではない。まして彼女はおれたちが何をいおうがもう何も感じない。それにたぶん美樹はあんたに怒ったんじゃない。あいつは痛いところを突かれたんだ」
「どういうこと」
「あいつは自分に遺伝性の精神疾患があると思い込んでいる。自分の身体性が他者を脅かすと信じているんだ。それで美彌子には何も告げずに精管結紮手術をした」
 結婚が破綻したのはそれが理由のひとつだとヤンパチは説明した。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『逆さの月』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。最新恋愛小説『ぼっちの帝国』連載中。
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