杜 昌彦

GONZO

第26話: 膚の温度差

書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2021.04.24

読者諸氏は物語の序盤でゴンゾに殺害された痴漢をご記憶だろうか県警組織犯罪対策局特殊犯罪テロ対策課課長の鏑木紀一郎氏正義感の強い青年記者を階段から突き落とさんと試みより強い捕食者によってあべこべにすり下ろされた男であるいかなる人間にもさまざまな側面があるもので役職を隠れ蓑とした犯罪歴がのちに判明するこの卑劣漢にも人となりを慕って涙を流す妻子があり大勢の友人や同僚がありそして部下があった
 周囲の目撃証言というより加害者が目撃されなかった事実からその死は当初不幸な事故として処理されたが刑事部捜査一課の深津誠司はその方針に従いながらも内心ではどうしても納得できなかった腕を拘束でもされないかぎり階段を転げ落ちる人間は普通頭を護ろうとするものだし足を滑らせたのなら後頭部をやられていたはずで地面に顔から突っ込むはずはないまして何者かが馬乗りになって押しつけでもしなければ遺体にあんな損傷は生じない事故の直前に口論を目撃された記者がいてこの男も鏑木にいいがかりをつけるなど相当に怪しかったのだが転落の瞬間は見ておらず天罰が下ったのか同じ日にホームから落ちて列車に挟まれて死んだので追加の聴取は叶わなかった
 深津の人生には友人も恋人もなく仕事しかなかった会話のない厳格な家庭で育った深津にとって鏑木は師でもあり父親でもある存在だった深津は親譲りの正義感ゆえ子どもの頃から規則を破る同級生が許せず規則といっても襟足の長さとか給食のおかずを食べる順序とかいった類だったが絶対に正しいその主張にだれも従おうとせず教師すら違反した生徒らを庇い深津を窘めるばかりだった大学時代の恋人も心を病んで離れてゆき何度つきまとって説き伏せてもその選択の誤りを聞き入れようとはしなかった深津はそれでも信念を貫いた日本国民として正しいことをしている自負があったそしてその正しさを市民に知らしめるために採用試験を受け厳しい訓練に耐えて警官になった
 一課に配属されて最初の上司が鏑木だったそれまでに出逢った教師や上司は深津の有能さを認めながらもどこか煙たがるようなところがあった鏑木は違った深津の正義感のすべてを受け入れてくれた深津は鏑木に息子のように可愛がられ捜査のイロハを教わった生まれて初めて信頼できる師に出逢ったのだ仕事ばかりか私生活の悩みに至るまで相談した鏑木が組織犯罪対策局に移動してからも交流はつづいた同様に世話になった者は多いはずなのに姫川事件に忙殺されているためか葬儀に参列した関係者は部下や同僚は少なかった霧雨の降る葬儀の夜残された妻と大学生の娘を見た深津は不注意による事故として決着した案件を掘り返すのが職責を逸脱した行為であると自覚しながらも同級生や大学時代の恋人の箸の上げ下げを正したときと同じ衝動に突き動かされた鏑木の妻は病気がちで喪主をこなすのもやっとの様子とても聴取に耐えられそうになかった深津は鏑木の娘を捕まえて問い質した事件の前に何かおかしなことはなかったかと
 そういえばと娘は応じパパは携帯の使い方も怪しいほどだったのに事故のしばらく前からソーシャルメディアに夢中だったと告げたその頃から近所で黒ドレスの女の子を見かけるようになったんです十二歳くらいのアイドルみたいに可愛い子凝った髪型とエナメル靴フリルやひだ飾りやリボンのいわゆるゴシック・ロリータまだ授業中のはずの昼間だったり子どもが出歩かないような深夜だったりまるでパパのあとをけてるみたいでもパパは気づいてなくてわたしの気のせいだと笑ってましたでも確かに見まちがいか幻覚だったのかもだって華奢で小柄な女の子なのにときどき光の加減で肥った中年男のようにも見えたからスーツと帽子とサングラスの気持の悪い男そうきっとあれは予兆だったパパがあんなことになるのを知らせようとしてたんだわでなきゃあの子がそれともあの薄気味の悪い男がパパを突き落としたのかも死神って信じる刑事さん?
 深津は憑かれたように資料室で記録を漁った聞き込みをした朝から晩まで仕事に明け暮れながらも時間を見つけて捜査をつづけた帰宅しても眠れずにインターネットで検索したほどなく上司に呼び出され特殊犯捜査係の案件ヤマを詮索するなと釘を刺された何の話ですと深津は聞き返しとぼけるのもいい加減にしろ鏑木を慕うのはわかるが姫川の件はおまえには手に負えないと上司は応じえっと深津は驚きえっと上司も驚き慌ていまのは聞かなかったことにしろとしかつめらしく深津に命じたホテルの爆発事故はちょうどその頃で表向きはガス漏れということにされたがたかだかそれだけの処理のために特殊急襲部隊が出動するはずもなく姫川事件となんらかの関連があるのは県警内のだれもが話題にせぬまでも察していたホテル所在地の所轄署に勤務する知人に連絡をとった警察学校の同期で親しくはないが密かに情報のやりとりをして利用し合う間柄である鏑木の転落事故について切り出すなり姫川事件を担当しているのかと問われあれはやばいから手を出すなただじゃ済まないぞと脅されて深津は驚いた呪いでもかかるのかそれとも国家機密かと冗談めかして問うと好きなように考えればいいとにかくやめておけいいか警告したからなと知人は冷ややかに応じた
 組まされている相棒は最低限の職責さえ果たせればいいというタイプでどうして刑事課に配属されたのかお世辞にも仕事熱心とはいえなかった何年も前から交通課に転属を希望している旨を深津に打ち明けていた鏑木の件を話すと関わりたくないと渋い顔で断られた刑事ドラマじゃあるまいし勝手な暴走は許されない与えられた業務を淡々とこなせばいいんだよといったせめて周囲には黙っていてくれと深津は頼み年休をとってひとりで北へ向かった転落事故の背後に何者かの意図があると確信していたいや事故などではないこれは殺人だと考えたあたかも二時間サスペンスの主人公になったかのように復讐の念に燃え必ず犯人を捕まえると誓った脳裏には鏑木との想い出が走馬灯のように巡っていた感傷的な音楽さえ聞こえていた凡庸な比喩からも知れるように英雄的な行動に酔っていたそのような歪みがまともに人付き合いのできぬ理由であることに自覚はなかった
 同世代とうまくやれず年齢の離れた相手にのみ気を許すのは深津刑事ばかりではない北の街で女と自称公安ふたりの大人と関わって姫川尊の世界は変わった教師や同級生らの言葉は同じ日本語でも異星の言語のように聞こえた家庭では言葉を耳にする機会がもとより限られただから教室や実家の食堂にそうした他人と同席させられると苦痛しかなかったし他人とは会話が成立させられぬものと思っていた他人といて身構えずにいられるのは初めての経験だった家族や教師や同級生には油断がならなかった梶元権蔵に対しては自分が同級生らを見るのと似た視線をひりつくほど膚に感じて認めさせたいやりこめたいという衝動で混乱させられた年上の友人らといると成長した気分になり誘拐犯の知らぬ自分がいることに誇りを持てた銃も絵も価値を高めて思い知らせるための訓練に思えた
 銃の扱いにはすぐに慣れ強風に銃弾が流されても命中させられるまでになった箱沼が放り投げた缶を振り向きざまに撃ち抜くこともできたいつまでも憶えられないのは武装解除だった不意打ちで襲いかかっても箱沼には容易に腕をひねられナイフを奪われた銃でも同じことだった促されるがままにヤクザの処刑のごとく箱沼に膝をつかせ後頭部に両手を当てさせて弾倉を外し薬室を空にした銃を額に突きつけるすると次の瞬間には立場が逆転しねじ伏せられたミコトは自分の握る銃を首筋に突きつけられているのだった複雑な動作をあまりに素速く流れるがごとく自然に実演されるので何をされたのか理解できないミコトはひねられた手首の痛みと銃口の冷たさを感じ乾いた引き金の音をぞっとする想いで聞いたこんな薄汚い冴えない中年男にどうしてこんな芸当ができるのか
 やり方を教えてほしいとミコトは箱沼にねだった他人にものを頼むのは滅多にないことだった下から両手を差し込んで半円を描くように突き返すんだヨといわれても何のことやらわからなかったゴンゾには教わらなかったのと尋ねられあいつは何も教えてくれないとミコトがこぼすと箱沼は対抗心を刺激されたかのようにおもしろがるような笑みを浮かべたしかしどれだけ箱沼の上衣に染みついた脂臭い体臭を嗅いでも相手の懐に飛び込んで手首をひねり武器を奪う技能は身につかなかった射撃のときには上機嫌だった箱沼は失望したようにミコト君は遠くから殺すのは得意だが目の前の相手には無力だネ梶元権蔵とは真逆だヨといいまぁどのみち実戦でこんなふざけた真似をしたらあたしだって撃たれるけどネと笑ったまるで肥った殺し屋もまた彼の生徒だったかのような口ぶりだった
 奇妙にも箱沼はそこまでゴンゾとの因縁をほのめかしながらそれ以上は深く語らずミコトを補導するでも情報を得ようとするでもゴンゾの逮捕に協力させようとするでもなくわざわざ所属を明かして近づいた目的を一向に明かさなかった要は一種の洗脳で時間をかけて手懐けているのだろうとミコトは察したがそうまでする理由はやはり見つからぬ人質を味方につけたところで誘拐犯を捕らえるのに役立つとも思われぬしその気があるのならいますぐミコトの身柄を確保しアパートを襲撃すればいいだけでそれどころか箱沼は姫川事件やゴンゾの動向に関心があるそぶりさえ微塵も見せずあたかも孫ほど歳の離れた若者に殺しの特訓をすることだけが目的であるかのようだった過去に群がってきては勝手に泣いたり陰口をきいたりした女たちのように容姿やからだに関心があるのかともミコトは推測したがそうなら力で組み伏せられていたはずだしもし仮に箱沼がその類であったとしてもどちらかといえばボウリング場やバッティングセンターの教えたがりおじさんが怪物化し格好の獲物を見出したかにすぎぬかに思われた
 ミコトにとって何より不可解なのはそのことを決して不快に感じぬ自分自身だった腸詰めのごとく膨らんで湿ったゴンゾの手とは異なり箱沼の手は節くれだち硬く乾いてざらざらしていた前者の膚は酒の臭いが後者は煙草の臭いがしたそして女の膚と髪からは薬草と石鹸の匂いがしたそれらの対比はちょうど分裂した自分を投影するかのようだった灰色のパーカとジーンズ運動靴ひっつめ髪の二十代のフリーター青年めいた自分凝った編み込みのお下げ髪フリルやひだ飾りの黒ドレス網タイツにガータエナメル靴の十二歳の少女のような自分黒ドレスのほうが年上の女の家へ通い詰め絵具を画布に叩きつけるひるや疵痕のごとくうねる絵具に細かい文字を刻みそれは何かと問われるが答えは自分でもわからない無意識に湧き出るものを刻むのみだと正直に応ずる代わりにただの模様で意味はないとそっけなく答えた肖像画は何枚か仕上がるがどれも満足がゆかぬ人物画を描くこと自体が初めてで不慣れだった
 古民家のアトリエで描き描かれながらミコトと女は無言の気まずさを避けるために互いの身の上を打ち明け合ったミコトが語るのは嘘ばかりだった男だと知られると二度と親しくしてもらえぬのがわかっていたしワイドショーで報じられる誘拐被害者そのひとだと知られるわけにもゆかぬ都合のよい作り話においてミコトは孤児だったバイトで貯めた金であてもなく旅行中だったその割に金を持っているとか学業はどうしたのかとか話は穴だらけなのだが詮索されなかった女は明らかに関心のない態度で投げやりに相槌を打ちミコトが聞いていようがいまいが頓着せずに過去の恋人や生まれ育った家庭について話したいわく資産家の家に生まれ親に人生を指図されたお嬢様大学へ進学させられ卒業したらどこかの息子と結婚させられると決まっていた家を離れたのをきっかけに好きなように生きることにした転学し海外の院へ進みそこで知り合った恋人と帰国した海外に残らなかったのは恋人の強い希望で縁もゆかりもないこの街を選んだのは自分を知る者がいない土地で暮らしたかったからだやがて恋人とはうまくいかなくなり別れた実家の妹は姉の身代わりとなり親のいいなりで心を病み過剰服薬で死んだ
 実話にしては自分の稚拙な嘘を見抜いて当てこするかのような内容にミコトには感じられ背筋が薄ら寒くなる思いだった知ったことか真偽など自分には関わりがないとミコトは思った女がミコトを知らぬようにミコトも女のことを何ひとつ知らぬ名前さえ尋ねられなかったし尋ねもしなかったそのときの姫川尊には知るよしもなかったが自称公安の箱沼は一面識もないにもかかわらず名前も経歴もウェブ上の行動もアカウントも身長体重や歯の矯正治療歴に至るまで女の個人情報は残らず知っていた深津亡きあとその相棒は死亡報告書に記載された人名として女を認知しゴンゾは厄介な屍体として認識することとなったミコトは名を聞きそびれたまま通い詰めそして最後まで知ることはなかった
 ミコトは自分は死んだ妹に似ているかと問うたぜーんぜんっと女は手を振って否定したあなたのほうがずっと美人妹はあたしの妹だものといって声をあげて愉快そうに笑ったとき電話が鳴った女は立ち上がって窓際を離れ受話器を耳に当てたがすぐに戻して最近多いのよ無言電話といったそれからくしゃみをしぶるっと慄えて寒いからもう着ていい? と自分から脱いでおきながらそういって毛布をからだに巻きつけ下着を探した


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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