アルバーテプラのサーカス団

連載第1回: 僕の靴と未来

アバター画像伊藤なむあひ, 2022年12月08日

墓地について。専門学校の近くに流れる大きな川のすぐそばには小さな墓地があって、僕はそこがとても気に入っている。なぜなら墓地には君がいて、君と話すことができる。死後の世界なんてものを信じていない僕も、唯一そこにいるときだけは、信じてもいいかな、という気持ちになる。
 墓地は白く高い塀に囲まれており、中は見えない。ジャンプしても台にのぼってもちょうど見えないくらいの高さで、じゃあなぜそこが墓地だと分かるかというと、新小岩駅と平井駅の間、橋梁を走る総武線の窓から塀の内側が見えるからだ。墓地は駐車場のないコンビニエンス・ストアくらいの広さしかなく、そこにはひとつだけ墓があった。
 僕が住むのは千葉の海沿いの町で、学校は新小岩駅の近くにあった。家に帰るのとは反対方向になるけれど、命日も四十九日も関係なく僕は君と話をするためによく墓地に立ち寄っていた。行くときは必ず、トンネルの中にある小さな花屋で花を買うようにしていた。僕が顔を出すと、蕎麦屋の店主っぽい老人が「あいよ」という感じで白い花を渡してくる。花の香りを感じるたびに君を連想していた。
 いや、君が花の香りだったなんてことはない。初めてその花屋で花を買ったとき、あの、友人が死んで、それで花を、と言う僕に、ねじり鉢巻の老人が「あいよ」と渡してくれた花がその匂いだったというだけだ。単純な条件反射なんだけど、すっかり君に結びつき、だけどその花は君に渡せた試しがない。僕の部屋は花粉で埋め尽くされ、枯れた花と新鮮な花のグラデーションができていた。
 花を持ち、初めて君の墓参りに行った日。墓地の場所はすぐに見つかったものの、塀の周りをぐるっと回ってみても入り口は発見できず、信号待ちをしていた小型犬を連れた婦人に「あなた、ここ、三周してるわよ」と言われ中に入るのを諦めた。座り込んで、生まれて初めて買った花を地面に置いて、喫い慣れない煙草を取り出し、履き慣れない革靴の先を見た。僕は靴のつま先に君を見ていた。
 君は授業中に爆発して死んだ。君はあの日、体調が悪そうだった。おそらくだけど、体内に爆弾を入れていたからだろう。僕だって体内に爆弾があったらきっと変な歩き方になる。君もそうだった。僕はまだ、いまほど君の友人ではなかったと思う。クラスのみんなもそう思っていたはずだ。僕は君にさほど興味がなかったから、君の変な歩き方もまったく気にしていなかった。そして君は爆発した。
 どん、という低い音。爆風がその場にいた人間の皮膚を叩き、教室の壁と床が、机と黒板が、君でいっぱいになった。授業で調理中だった食材にも、君はまるで正しい手順がそうであるかのように混入した。君のどの部位が、何にどれくらい入ったのかまったく分からず、僕は初めて君のことに興味をもった。
 教室にいた生徒たちは全員が君まみれになり、口に入った君を流し出すように嘔吐する人や泣き出す人、状況が分からず清掃用具を探す人など反応は様々だった。君の目的はそれだったんじゃないかと、つま先を見ながらとつぜん思った。死ぬことなんかじゃなく。だから僕は呟いた。「みんなと友達になりたかったのか」そしたら塀の内側から返事があった。「んなわけあるか」と。「クソボケナスが」と。
 僕の死んだ友人である君は、生前、なにも喋らなかった。だからこそ僕は君と友人でいられたし、君といる間だけ僕は自由だった。僕の死んだ友人である君は、死後、とても喋るようになった。まるで別人のようだとも思うけれど、とても楽しそうに話す君はやはり僕の死んだ友人だった。塀の向こうの声はややくぐもって聞こえた。「楽しそうとかデリカシーに欠けるでしょ」と。「こっちは死んでるんですけど」と。
 僕の死んだ友人である君は、会うごとに話し方が変わっていて、話し方というか、声、いや、人間が変わっていて、僕は不安になりここは本当に墓地なのかと塀に向かって訊いてみたことがある。君は金切り声で「ここは爆発した人間だけが入れる共同墓地だよ!」と叫んだ。いま話してるのは僕の死んだ友人ではない可能性もあるってこと? そう尋ねると、君は神妙な声で「いいえ、ここは宇宙みたいなもん」と放り投げるように言った。
 君はよく粒子の話をした。粒子の話を聞くと塀の向こうの存在が君だと信じられた。いや、相手が君だとちゃんと分かってはいたけれど、その話題になると安心したのは確かだ。僕はいつも自分の靴の先を見ながら、片手に煙草、片手に花という状態で君の話を聞いていた。いつも日陰だし、いつも夏だし、近くの横断歩道ではいつも婦人が信号待ちをしていた。小型犬はいつもべろを出していた。
 粒子はさ、君は言った。粒子は記憶なんだ。幽霊とか、結界とか、悪い磁場良い磁場とかは全部はそれで、あるけど見えてない細く小さな粒子がそれらを作っている。人が死んで、でも生きていたときからずっと粒子が出ていて、その人が活動していた場所や、行ったことがなくても誰かがその人の存在を感じたら粒子は発生して、そこでは別の誰かも粒子を感じることができる。僕はよく意味が分からなかったので、へぇ、とだけ答えた。自分の部屋のことを思い出していた。
 君は続ける。忘れさえしなけれなければ、粒子は残っている。いや少し違う。粒子は時間に干渉されない。粒子は望む者にくっついて、思い出とか、霊感とか、オーラとして認識される。普通に生きていても粒子は生まれるし、けれど爆発したら大量の粒子が発生する。それはあまりに大量すぎるから、他の粒子の邪魔にならないように総武線から見える高い壁に囲われた、爆発した人専用の共同墓地に入れられるんだ。こんなふうに。
 それって他の人と混ざってないの? 僕の言葉に、妙な間を置いて死んだ僕の友人は答えた。「確かにそうかもしれませんね」。いやに冷静で、知らない女の人の声だった。僕が爆発したらそこに行けるの? と訊いてみた。「無、理!」塀の壁がダンと鳴った。そんなことは初めてだったので驚いて花を落としてしまった。花落としちゃった、と言ったら「そしたらさ! 僕は君にとって、死んだ僕の死んだ友人になるのか!」と馬鹿みたいに笑って、急に無言になって、そのあと鼻を啜る音。「もう来ないでくれ」涙声が塀の向こうから聞こえた。
「粒子は、消えないです」
 確かに、墓地に通っていた頃の僕はおかしくなっていたのかもしれない。総武線からあの塀を眺めるたびそう思う。専門学校のことはほとんど覚えていないし、僅かに残っている記憶も順番がめちゃくちゃだ。あの時期で覚えているのは、塀の前でしゃがみ込んでいた自分、白い花とその匂い、革靴のつま先、あとはたくさんの君の声だけだ。死んだ僕の友人である君は、本当に僕と同じ専門学校に通っていたのだろうか。名簿を探せば分かるのかもしれないけれど、そんな気にはならなかった。
 君の粒子は確かにあの塀の中にあって、総武線でクソみたいな速度でクソみたいな会社に向かう僕にもいまだにたくさん付着している。それが事実だ。事実といえばあのあと、君を真似た事件がどんどんと増えていった。ただ残念なことに、爆発が大きすぎて多くの人を巻き込むか、爆発が小さすぎて内蔵だけを体内でポパンと爆破するばかりで、君のように上手にやれる奴はひとりもいなかった。
 爆発は定着し、通勤電車の中で目撃することもめずらしくなくなった。いまもほら、歩き方がおかしいからすぐに分かる。『係員にお知らせください』というアナウンス。僕はそれに従う。冷たい奴だな、と自分のことを思う。だってもう君の顔も思い出せないし、どれが君の本当の声だったかも覚えていない。車内の爆発は迷惑だとしか思わないし、でもここにいる全員が混ざり合ったら面白いな、なんて考えている。係員が駆けつけたが間に合わず、車両の真ん中で大きな爆発が起こる。僕はつま先を、爆発とは反対側に向ける。背中が熱い。これはいつのことだったろう。
 総武線の窓からは今日も墓地が見えている。爆発する人が増えるたびに塀は高くなっていったが、不思議なことに作業員の姿は見たことがなかった。粒子が外に出ないように上に伸びていくそれは、墓地というより煙突みたいになっていた。確かに風は強かった。先がもう見えない塀が、揺れた気がした。「あ」、ぐわん、と右に、「あ」、ぐわん、と左に、「あ」、それは誰の声だったのか。
 煙突はウェハースみたいに途中でパキンと折れて、落下しながら、いくつもの欠片へと姿を変えていく。それらは地面にぶつかり、墓地の根元を破壊し、総武線を小さく振動させた。世界の全てを覆い尽くすような轟音、頼りない歌声みたいな悲鳴、大量の粒子を含んだ灰色の煙が空に舞い上がる。
 僕はぜんぜん座れない車内で、吊り革に体重を預けながらそれを見ていた。僕を除く誰もが窓に駆け寄り、へばりつき、へしあい、総武線は新小岩側に傾いた。君が爆発したあの教室のことを思い出していた。反対側の席が空いたので座り、誰にも気付かれないと思い煙草を出そうと思ったけれど、すぐに持ち歩いていないことに気が付いた。夏ではないし、日陰でもなく、婦人も小型犬もいなかった。いますぐあの白い花の匂いを嗅ぎたかった。
 随分と履き慣れてしまった革靴のつま先を見た。そこには君の粒子がたくさん付着しており、僕は安心して君を思い出すことができた。たくさんの君の声を聞くことができた。ぶつかり崩れ砕け続ける音が、いつか見た花火みたいに連鎖してどんどんと大きくなっていく。それ以外なにも聞こえない。新小岩の川沿いに大勢の人間の粒子が舞っている。僕たちにはそれが見えないし、でも確率的に、誰もがそのうちの一人のことくらいは思い出すかもしれない。僕の靴と未来。考えるのはそれだけ。


小説家。北海道生まれ。パンと猫と音楽が好き。幻想と怪奇7に短編小説「天使についての試論」掲載。anon pressに「偏在する鳥たちは遍在する」、小説すばる2022年11月号にフラッシュフィクション「合法的トトノイ方ノススメ」掲載。奇想/SF作品集『天使についての試論』(単著)発売中。主に縁起が悪い小説を書いています。