商業作家になるために手当たり次第、 やみくもに読んでいた。 四半世紀前の話だ。 質よりも量の性急な読書。 ヴォネガットは全長編をその時期にまとめて読んだ。 深く心に残った数作のうち、 もっとも優れていると思ったのがこの本だ。 ところが心と記憶は異なるようで後者には何ひとつ残っていない。 ヴォネガットの小説はリアリズムではないと思っていた。 出来事も登場人物も戯画的でつくりごとめいていると。 技法的な意匠としてはたしかにそうかもしれない。 でも主人公とおなじ年齢になったいま読みかえしてみると、 またしてもあの若造、 ちっとも読めちゃいなかったと痛いほど思い知らされた。 抜かれる電球。 奴隷労働が与えられないことが罰となること。 差別や裏切りと友情の両立。 調子のはずれた会話や空を見上げられる部屋。 ある時代ある場所で当たり前だった暮らしが大罪となり、 寄ってたかって断罪する側が拠って立つ正義もまた数と時勢でしかない。 ささいな描写のすべての積み重ねが、 いまウクライナでパレスチナで、 日常生活やソーシャルメディアで起きていることそのままだ。 一文一文が矛盾に血を流していて、 読みすすめるのがつらくなる。 さらに意外だったのはそうした身を刻むような生々しい実感が、 スパイ小説の形式に忠実にのっとって書かれていたことで、 そんなことにすら気づけなかったおれはやはり何にもなれなくて当然だったといわざるをえない。 ハイホー。
ASIN: 4150107009
母なる夜
by: カート・ヴォネガット
第二次大戦中、ヒトラーの宣伝部員として対米ラジオ放送のキャンペーンを行なった新進劇作家、ハワード・W・キャンベル・ジュニア―はたして彼は、本当に母国アメリカの裏切り者だったのか?戦後15年を経て、ニューヨークはグリニッチヴィレジで隠遁生活を送るキャンベルの脳裡に去来するものは、真面目一方の会社人間の父、アルコール依存症の母、そして何よりも、美しい女優だった妻ヘルガへの想いであった…鬼才ヴォネガットが、たくまざるユーモアとシニカルなアイロニーに満ちたまなざしで、自伝の名を借りて描く、時代の趨勢に弄ばれた一人の知識人の内なる肖像。
¥2,560
早川書房 1987年, 文庫 304頁
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いままさに起きていること
読んだ人:杜 昌彦
(2023年11月05日)
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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