国民的作家の新刊発売イベントが話題になっていました。 日本人は何かと口実をつけて行列をつくるのが大好きですよね。 80 年代には子どもの玩具でよく見られた光景ですし、 90 年代には OS の発売で似たようなお祭りがありました。 わたしはその作家のファンではありませんが、 過去の長編はあらかた読みました。 それでも Kindle で読めないのであればその本は、 わたしにとってまだ出版されていないも同然です。 遠くから風に乗って届く祭り囃子のように感じます。
刊行が祝祭になる本もあれば、 ランキングにもサジェストにも表示されない本もあります。 そのような本は売れないことによってさらに売れなくなります。 導線がどこにもない孤立した本です。 ストア外からの検索流入で買われる割合は低いし、 ストア内検索でも売れたものや、 売れたものと関連づけられた商品が優先して表示されます。 現代のアルゴリズムは売れるものと売れないものの差を極限まで最大化します。
実店舗では書店員の棚づくりによる偶然の出逢いがあります。 ネット書店で偶然見つけるには偶然へ至る道筋がなければいけません。 関連づけ (リンク、 導線) がないものは客にとって不可知になり、 存在しないも同然になります。 ひとも商品もおなじです。 だれともつながりがなければ社会的にいないことになります。 待つのは孤独死です。 人間なら異臭や天井の染みが道筋となりますが、 ウェブ上の屍体は永遠に見出されません。
むかしは 「売れないもの」 が存在する余地を、 「売れるもの」 がつくっていました。 いわば養っていたのです。 いまはそんな余裕は出版社にも書店にもありません。 「売れるもの」 は 「売れるもの」 をもっと売る余地しかつくらない。 少なくとも現状のランキングや関連づけはそのように設計されています。 売れればランキングや関連商品に表示され、 目につきやすくなってさらに売れる。 売れるから目立ち、 目立つから売れる。 売れたから売れるの倍々ゲームでランキングをのぼりつめ、 やがては刊行が祝祭になるほどのモンスターが生まれます。
わずかな勝ち組の生む金の卵にありつけなければ、 だれもがみんな干上がって滅びる。 これでは経済が破綻します。 世の中の大半は 「それ以外」 だからです。 いずれは導線の設計もアルゴリズムも改良されて、 消費者のさまざまな好みを育てる方向へ進化するのではないでしょうか。 好みが多様化すれば売れる商品は増えます。 有機的に自動生成される導線で、 孤立した好みは網の目のようにつながるでしょう。 その日が何十年先になるかわかりませんが、 わたしは楽観しています。