杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第20回: 自分自身であるための音楽

書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2017.
01.05Thu

自分自身であるための音楽

昨年末に ZENSOR 1 という北欧製のスピーカとMiniwatt N3 という評判のいい小型真空管アンプ⋯⋯ではなくその紛い物球が曲がって挿さっているを買いましたSpotify を楽しむためですおかげで音楽がさらに大好きになりましたいまは音量を絞って Thelonious Monk を聴いていますこの天才を理解した当時のひとびとは偉大でした現代の日本なら決してこんな変な音楽は受け入れられなかったでしょう

連休のために酒は用意してあったのですがアテのことを忘れていました眠れないので酒がすすみ備蓄分はすでに消費しましたいかにも不審者のていでコンビニに行き気の毒なレジの若者をおびやかすか諦めて寝床でピーター・ケアリーを再読するか迷いました結果として Hulu で映画人生はビギナーズを見ました共感できたし中断せずに最後まで見たので苦痛ではなかったのだと思います善良なひとたちがだれも悪くないのにささいな巡り合わせで心から幸せにはなれないまま生きていかねばならないのは⋯⋯だれもが人生の初心者である以上そういうものなのかもしれません

昨年の秋九時間ほど熟睡できた日がありましたとても驚きました眠れたのはそれが最後でしたおかげで映画を楽しむ時間が増えました冷蔵庫には数年前に歳上の女性からもらったハルシオンが棄てずにとってあるのですが入眠障害ではなく中途覚醒なので向かないように思いますまた飲酒をしているのでベンゾジアゼピン系はリスクが高いかもしれませんカート・コベインのように猟銃を持っていたらしくじる畏れもないのですが言葉が頭に入ってこないので本はあまり読んでいませんケアリーの再読には二ヶ月かけています今朝はジャーナリストという単語を思い出すのに Google の力を借りました便利な時代になったものです

読書がはかどらなくなったのは頭が働かないからだけではありません日増しに疎外を感じるようになったせいでもあります現代のこの国ではつながりといったコミュニケーション・スキルが厳しく問われます魂の拠り所であるべき読書はいつしか取り上げられネタというソーシャルな通貨に貶められました孤独な人間は断罪されるばかりです叩いてもよいとされた生け贄への暴力はつながりを強化しますそれはアカウントの価値を高める通貨でありゲームのプレイヤーを利する使い棄てアイテムです社会的に正当化された暴力を寄ってたかって行う分には誰もが安全な側にいられます

社会的暴力に属することばを男の子に言われて素朴に喜ぶ女の子をしばしば見かけますそこは怒らないといけないよと余計なおせっかいで教えてあげたくなりますきょうは女性の労働機会を独力で切り拓いた字幕翻訳家が袋叩きに遭っているのを見ました芸事は批判に晒されて向上するものですから訳業に対する批判はされて当然ですし誰もうわべではもっともらしい正当な理屈を並べますが⋯⋯一部の男性だけに閉ざされていた世界をこじ開けたのがいけなかったのかもしれませんあるいは年老いた女性であること自体が叩いてもよい落ち度とされたのか鬼の首をとったように批判するひとたちは彼女が成し遂げたのと同じだけの仕事をしてみればいいと思います飲み会で女の子が男の子たちのために焼き鳥を串からはずす習慣が近年広まったそうです亡命したアフガンの女性飛行士は他人事ではないのです

人生はビギナーズはジェンダーのために不幸でなければならなかった両親とその影に戸惑って女性とうまくつづかない男の話でした異国の過去と笑えるでしょうかただ生きて呼吸するだけで社会を脅かしたと見なされるかのような場面をこの国ではしばしば見かけます自分自身であることが許されないのならせめて孤独の権利は守りたい読書だけはその拠り所にしたいしがみつくため取り戻すために城壁を築いて本を溜め込むつもりですまずは MacBookPro から離れ窓が明るくなるまで寝床でイリワッカーの頁を繰ろうと思いますSpotify は Monk のアルバムが充実していますつくづく変な音楽です自分自身であることに勇敢な音楽が低く流れつづけています


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告