長い時間をかけてちびちびと読みすすめた。 上巻を読むのは三度目だった。 これまでは図書館で借りていたので返却期限までに下巻に到達しなかった。 くりかえし読んだおかげか、 多少なりとも読書の幅が広がったおかげか、 あるいは漫画を大量に読んだおかげか、 今回は意外なほどふつうに楽しめた。 鮮烈なイメージと饒舌な語り、 個性的な人物たち。 奔放な想像力。 白人の都合で大地に線を引くことの意味を説くに風水の龍脈をもってしたり、 語りの階層の切り替えを示すのに登場人物の魅力的な個性をもってしたり、 それを成立させるための活き活きとした人物描写といい、 はてしなく逸脱していくかに見えて案外無駄のない構成といい、 ピンチョンでもっとも技法のこなれた作品かもしれない。 語りの階層の切替は、 要領をつかむまでは読みにくいと感じたけれども、 いったん飲み込んでしまえばむしろ漫画のように情景をイメージしやすい小説だった。 吹き出しのなかの吹き出しのなかの吹き出し、 といった語りの作法も、 そのややこしい語りが自己言及的に茶化されるあたりも漫画的だ。 いっそ漫画そのものだったら 「ここで語りの階層が切り替わりますよ」 というのが視覚的に把握しやすかったろう。 ピンチョンはいちいち断らずに行単位で階層を切り替える。 牧師が語れぬ描写は作中作に乗っ取られたりもする。 おまけに興に乗ると横滑りをはじめる。 端役の魅力的な逸話がやたら饒舌に語られて本筋を見失いそうになる。 しかしそれもまた手管なのだ。 物語をさまざまな方向から照らし出すために、 端役の細かな逸話を積み重ねる少女漫画とおなじだ。 饒舌な脱線もまた緻密に計算された構成の一部なのだ。 凝った訳文も慣れれば雰囲気やユーモアを味わうに最適だった。 二時間で一冊を読み切るような読書しか知らなければ、 読まず嫌いで避けてしまっただろう。 数を競うような読書も若いときには悪くないけれども、 歳をとると長い時間をかけて少しずつ読み味わうほうが楽しめる。 自分の文体がどれだけ無自覚にピンチョンの影響を受けていたか理解できたし、 北米原住民の語る夢や奴隷制についての思考など、 スティーヴ・エリクソンとの共通点にあらためて気づかされもした。 師匠であるピンチョンもまたアメリカとは何か、 ということを書きつづけている作家なんですね。 読み終えて 「Sailing to Philadelphia」 を聴いていたら、 あのふたりにもう逢えないことが寂しくなってきた。 本を閉じてからも登場人物のことを古い友だちのように思い出す。 そういう読書はひさしぶりだった。 豊穣な物語性といい、 人生への胸を打つ洞察といい、 最高傑作と呼んで差し支えないのではないかと思う。 ファンを名乗れるほど理解してはいないけれども、 もっとも好きな作家のひとりであることはまちがいない。
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