杜 昌彦

ぼっちの帝国

連載第38回: Love Will Tear Us Apart

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2019.07.17

 ずっと後になって明日香はあの会話を象徴的なものとして考えるようになる。
 偶然に引き寄せられて築九十余年のアパートに集った彼らは、他人でありながら家族そのものだった。互いを結びつけたのは心の交流や想い出だった。片や世間の称するところの家族とは法と血縁であり、それらは彼らひとりひとりを孤独に陥れた。
 世間が尊ぶ「絆」や「繋がり」は血縁であり世渡りの才であった。持たざる者は「伝統的な価値観」を脅かす存在と見なされ糾弾される。田辺美樹はその障壁を金の力であっさり乗り越えた。「生産性」こそが正義の世界では金こそがすべてを解決するのだ。
 そしてその金の出所はといえば皮肉にも田辺家の血縁によるものだった。
 明日香はその家族たるボッチーズに、神崎陸を見下す差別主義者と決めつけられた。しかし情緒の欠如と見なされ糾弾されたのは発達の歪みに過ぎなかった。双方が双方を社会の「正しさ」に近づく手段と見なして利用せんとした清高誠一郎にしても、婚約者の安全よりも新車が傷つくことを案じる感性は、何らかの障害によるものだった可能性が否めない。
 利用し合うだけの関係を求めたことを明日香は恥じも悔やみもしない。結婚に愛を求める者もいれば社会的な体裁を求める者もいる。心を満たすためだけなら法に赦される必要はない。結婚はつまるところ世渡りの手段なのだ。明日香は母のようになりたくなかった。
 でたらめやわがままではなく社会的に正しい道を歩みたかった。
 ならば友人がどうなろうと顧みず、社会的な正しさや生産性のみを追求すべきだった。しかるに明日香は清高誠一郎に進路の変更を命じた。憧れの先輩に逆らい、有無をいわせず従わせた。相手の強引さを頼もしく感じて流されてきたそれまでとは、相矛盾する行動だった。
 自覚はまるでなかった。いつだってそうだ。
 市立病院の駐車場には幸運にも空きがあった。隣の車は見憶えのある黒のワゴンRだった。
 明日香は面会受付で神崎陸との間柄を説明しようと試みた。集中治療室は一階の奥にあった。面会時間であっても家族でなければ通せないと受付の女に告げられた。家族みたいなものだと訴えた。生憎ですが……といいにくそうに断られた。
 明日香は頭に血が上るのを感じた。友だちや恋人しかいない患者だっているでしょう、家族に恵まれたひとばかりじゃないのにと叫んだ。ロビーの注目を浴びた。お気持はお察ししますが規則なのでと弱り切った顔で受付の女はいった。家族のいない人間など想像もつかぬ様子だった。
 清高誠一郎は明日香を宥めて落ち着かせようとした。それがかえって明日香の気に障った。子供の癇癪かんしゃくをあしらうような分別臭い態度が鼻についた。どうしてこの男がここにいるのかと煩わしく感じた。連れてきてもらった事実は忘れていた。
 騒ぎを聞きつけてマシューとヤンパチが廊下の奥から現れた。ヤンパチが受付の女に耳打ちした。女は渋々といった態度で許可証を二枚よこした。男たちの視線に気づいて清高誠一郎が名刺を出し、さんの婚約者だと挨拶した。マシューは愛想よく名刺を交換した。ヤンパチはおざなりに軽く頭を下げたきりだった。
 家族控室の向かいが集中治療室だった。引き戸に「許可なく立入ご遠慮ください」と赤字で書かれている。インターフォンの隣に入室時の手順がイラスト入りで掲示されていた。感染防止の装備を身につけねばならぬらしい。そちらへ向かおうとした明日香をマシューが引き留めた。
「ぼくらはだめなんだ」
「どういうこと」
「まず座ろうぜ。ここは病院の厚意で使わせてもらっている」ヤンパチは控室へ入った。
「厚意?」明日香は従った。マシューと清高誠一郎が後につづいた。
「この病院には田辺家が資金援助してるんだよ」
「あのひとだけ特別ってこと? 面会してるの? 家族じゃないのに?」
 ヤンパチは疲れたように溜息をつき、法的には家族なんだよと説明した。
「美樹は陸を養子にした。あいつのほうが生まれが少し早いからな。陸は実の両親から絶縁されている。同じ市内にいるのに見舞いにも来やしない。お手数ですがよろしくお願いしますと電話で丁重に断られたよ。『わたしたちはもう歳ですから。孫もいませんし息子もいい大人ですし』だとさ。どこの親もいうことは同じだな。まるで孫がいれば話が違うとでもいわんばかりさ」
 見知らぬ男が布張りのソファから立ち上がって名刺を差し出した。ボッチーズと同年代に見えるが身なりは真逆で、見るからに金のかかったスーツを着込んでいる。靴の値段だけでヤンパチの車が買えそうだ。田辺家の秘書だという。そういわれてみれば光丘たえの送別式でマイクロフトの隣にこんな男が立っていたような気がする。病院の計らいは彼の交渉による成果だろう。
 当然ながら明日香は名刺など持ち合わせなかった。清高誠一郎はいないかのように扱われたが気にせず名刺を差し出し、婚約者である旨の挨拶をした。世慣れた態度に高校時代の繊細な面影はない。まるで政治家のようだと明日香は感じた。あたしの友だちが大怪我して死にかけてるのにと思った。
 田辺美樹が消毒用アルコールの臭いをさせて控室に入ってきた。彼は陸の容態を尋ねるヤンパチに答えず、明日香を不機嫌に睨んだ。「なぜトゥモロウがここにいる」
「ぼくが呼んだ」とマシューが挑むようにいった。「このひとは権田原さんの婚約者」
「陸をあんな目に遭わせた女だぞ」
「彼女だってわざとやったわけじゃない」ヤンパチが面倒臭そうにいった。だから呼びたくなかったとでもいいたげだった。「こんなことになるなんてだれも思わないさ」
「ぼくらも悪いんだ」とマシュー。「神崎君の部屋に入れるとき前もって注意すべきだった」
「注意なら雇う前にすべきだったな。とんだ疫病神だ」
「雇ったのはあんたの兄貴の会社だろう」とヤンパチ。「面接だってあきらがやった。不可抗力さ」
「ちょっと何。みんなして。どういうことよ」
「どういうことって……」ヤンパチは訝るように眉根を寄せ目を細めた。
「陸さんはあの変な機械で大怪我したんでしょう」
「その話をしてる」美樹は苛立ったようにいった。「なんだと思ってるんだ」
 あたかも控室の気圧が急激に下がったかのように明日香は寒気を感じた。黙るべきだと理解していたが自分を止められなかった。「あたしにどう関係が」
 ヤンパチは唖然とした。美樹は怒りを通り越して呆れたようだった。哀れむような侮蔑が見てとれた。マイクロフトの秘書は端の席で居たたまれぬ面持ちをしていた。清高誠一郎は明日香の背後でただ困惑している。マシューはさすがに弁護しきれぬといったように俯いた顔を片手で覆った。
「あんたが……いじって壊したんだろ」ヤンパチが呻いた。「忘れたのか」
 はあ? 何いってんの。明日香は思いがけぬ糾弾に動揺した。だれかのせいにしたいのはわかるし確かにあの日から騒音が激しくなった気もする。しかし常識的に考えてあんな意味不明な装置を使うこと自体がおかしいのだ。気の毒ではあるが陸の自業自得ではないか。いいがかりもいいところだ。
「他人事か。陸を殺しかけておいて」美樹の声は奇妙なほど落ち着いていた。「キモい奇癖のせいで勝手に自滅したとでも思ってるんだろう。いかにも若い女が考えそうなことだ」
 図星を指された明日香は後ろめたさでカッとなり、激しくいい返した。「自分だけが味方みたいにいわないで。あたしにとっても大切な友だちなのに」
「あれはあいつなりに考えたやり方なんだ。世間と折り合いをつけるためのな。何の苦労もなく生まれながらに適応したあんたらとは違う。おれらはどれだけ必死に努力しようと後ろ指を指される。社会を脅かす異常者だと。あいつが何をした。社会に迷惑をかけまいとしただけじゃないか」
「あの騒音が? 近所迷惑だったじゃない。ひとと違うのはそれだけで社会の迷惑なのよ。あたしだって人生の何もかもが順調ってわけじゃない。それでもまともに生きようと努力してる。なんであたしだけ除け者にするのよ。女だから? 仕事も彼氏も住むところもなくしてあんたたちのアパートに転がり込んで、ようやく信じられる友だちが見つかったと思ったのに」
 明日香はそう叫んで初めて自分がそのように考えていたことを知った。清高誠一郎が口を挟もうとした。先輩は黙っていてと明日香は遮った。床の一点を見つめていたヤンパチが唐突にいった。
「ふたりとも黙れよ。いい争っても陸がよくなるわけじゃない」
 引き戸がひらいて看護師が厳しくいった。「どうかお静かに。ほかにも患者さんはいらっしゃいます」
 ボッチーズは決まりが悪そうに不明瞭な言葉で口々に詫びた。
 看護師が去ると清高誠一郎は明日香の肩を抱き寄せた。保護者のような態度だった。
「部外者だからと黙って聞いていれば……身勝手ないいがかりばかり。あなた方それでも人間ですか」
「さあな。どう思う」美樹はこれで話は終わりだといわんばかりに顔を背け、ソファに座った。
「あなた方のこととなるとはおかしくなる。もう二度と関わらないでください」
「こっちの台詞だ」
「結婚の準備で忙しいんだろう、さん」ヤンパチは疲れきった表情で腰を下ろした。「あんたのいう通り、あんたにはあんたの人生がある。おれたちのことは放っておいてくれ」
 マシューは躊躇していたが結局はヤンパチの隣に座った。
 明日香は誠一郎の手を振り払って戸口に向かった。怒りで声も出なかった。頬が濡れていた。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『逆さの月』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。最新恋愛小説『ぼっちの帝国』連載中。
ぼっちの帝国