うへ

大人って歯も上手く磨けない

連載第7回: 逃亡

うへ書いた人: うへ, 投稿日時: 2020.06.17

 今日のハイライト。
 初めて立ち寄った近所の小さなカフェで、アイスコーヒーを飲んでいた。

 先日その店に入るつもりで足を運んだのだが、ウイルス対策のため開け放たれた扉から「ワッ」と男女の談笑する笑い声が聞こえてきた。それは、ビジネスライクなもので、決してデートというわけではなさそうだったが、私は踵を返し、その日は店に入るのを諦めた。

 初めての店は緊張する。朝、目覚めるたびに新しい一日に対して毎日毎日人見知りするくらいなのだから、当たり前だ。
 「いらっしゃいませ〜」
 小洒落た外観からすると、想像の埒外であった髭面のおじさんが店の奥から出てきた。少し面食らいながらも、メニュー表に目を移すフリをする。
 最初から頼むものは、アイスコーヒーと決まっていたのだが、私はそれが店員と客の間のマナーであるかのように、律儀にメニュー表を十秒ほど眺めた。
 「アイスコーヒーで」
 どの店に入っても、いつもこの過程を経ている気がするが、メニュー表に目を通したからといって、最初に決めたオーダーが変わるわけではない。それでもやめられないのはなぜだろうか。

 現金で支払いを済ませ、お席にてお待ちくださいと促され、狭い店内を見回した。
 (今日は誰も客がいないな…)
 入り口からほど近い窓際の席に決め、腰を下ろした。

 なかなか活字が頭に入ってこない。
 店内にはほどよい音量でBGMが流れ、時間の流れもスローリーだというのに、視線は同じ行を繰り返し繰り返しなぞるだけで、いっこうに頭に入ってこない。

 備え付けられた小窓から、ぼーっと路地を眺めていると、四歳くらいの坊主を連れた父子が、店先のメニュー表に目をやり、足を止めた。

 その父子は、アイスコーヒーとイチゴスムージーをテイクアウトして店先で飲んでいた。気を取り直し、本に顔を戻すと、視線を感じ、再び顔を上げた。
 さきほどの四歳くらいの坊主に、小窓越しになぜか指を差されて笑われた。
 そんなに私の顔はおかしかったのだろうか。たしかに指を差されて笑われた瞬間は、大人の余裕でおどけたつもりの半端な引きつり笑いを浮かべたが、小僧が笑ったのはたしかに真顔で本の頁を捲っていたときだった。
 傍らで突っ立って煙草をふかしていた父親は、なぜ注意しないのか。私は四歳の子供に指を差されて笑われても仕方のないくらい、自信のない顔をしていたのだろうか。それとも、仕事をサボってこんなところで油を売って、社会に貢献していないことを悟られたのだろうか。

 それから私はその父子が立ち去るまで、笑われたことが気になって、ますます言葉など頭に入ってこなくなった。
 父子が立ち去ったあとも、一人残された店内で流れるゆったりした時間と、早鐘を打つ私の意識とが不協和音を奏で、逃げるようにして「またお越しください」という言葉を背に受けて曖昧な返事を返し、足早に立ち去った。

 店内の本棚に飾られていた、「あなたの人生、片づけます」の文字が、ふと強烈に思い出された。


趣味でしかものを書いたことのない、名無しの素人エッセイスト(自称)。 この度、どういうわけか当サイト「人格OverDrive」の主宰者である杜 昌彦氏に「掲載してみませんか」とお誘いいただき、こちらに寄稿することに。 29年間、苦しそうなこと、辛そうなことから逃亡している人生。フリーター。 寄稿するジャンルは妄想エッセイ。虚実交えた物語を書いていきたいと思います。
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