柳楽 馨

デヴィッド・フォスター・ウォレス『インフィニット・ジェスト』翻訳日誌

連載第12回: あるがままではいけない世界(デヴィッド・フォスター・ウォレスと阿部和重)4

柳楽 馨書いた人: 柳楽 馨
2021.
02.26Fri

あるがままではいけない世界(デヴィッド・フォスター・ウォレスと阿部和重) 4

承前

れまで紹介していなかったが、 『インフィニット・ジェストにはジョエル・ヴァン・ダイン別名マダム・サイコーシスという若い麻薬中毒の女性が登場する作品の途中で彼女はついに麻薬で大失敗をやらかしエネットハウスに収容されるそこには私のお気に入りの無骨な大男ドン・ゲイトリーがいるのだがゲイトリーに向かってジョエルはこう言っている

ドン私は完璧なのよ私は美しすぎてまともな神経系を備えた人なら誰だってトチ狂ってしまうのよひとたび私を目にしたら他のことを考えられなくなって他のものなんて見たくなくなって通常の責任ある行動を果たすのをやめて私がいつもそばにいさえすれば何もかもうまくいくって思いこむの何もかも頬と顎みたいに密接して完璧なものと一体になりたいっていう根深くて止み難い欲求に対する答えが私ってところね

 これは、 「鏡に映った自分の顔に見とれている自称イケメンの独り言とはまったく違うジョエルは本当にあまりにも美しくだから彼女はあえて自分の顔を常にヴェールで隠しているそうでもしないと彼女の周囲の人間たち特に男たちは次々と狂い破滅してしまうからだ

  DFW と阿部和重の作品を読むとき絶対に無視することのできない文学的な問題がここにあるジョエルやアヴリルのように圧倒的な美しさであっという間に男たちを骨抜きにする女性はちょっと見たところでは男性よりも強い女性であるように思えるそして、 「ちーちゃんを溺愛する沢見だって強い男性にはとても見えないけれどこうやって男性が女性の魅力に全面降伏しているように見えてもそれは男性の側から一方的に女性を理想化しているに過ぎないとも言えるこれはいわゆるフェミニズムの文脈ではしばしば問題になることなのでよく覚えておいて欲しいが女性の美しさを称賛することとその女性を単なるモノとして扱うことは別に矛盾していないのだ英語には成功して大金持ちになった男性がかなり年下の美人の女性と結婚したりするとその女性のことをトロフィー・ワイフと言ったりするつまり激しい競争に勝ち抜いて他の男たちをなぎ倒した勝者が獲得する賞品あるいは高額な商品としての女性ということだ

 文学作品でも男たちが男たちの間でだけ闘うときにその戦いの原因・動機という役割が女性に与えられることがあるいわゆる男2女1の三角関係を想像すればいい勝ったり負けたり自分の意思で行動して成功したり失敗したりすること自体が何故か男性の特権であり女性はそもそも彼女自身の意思など持たないか意思はあっても何か意味のある行動をとったりはしない──小説でも映画でも漫画でもこういう作品はいくらでもあるそしてこういう物語は男性が人間というものの標準形だと考えているフェミニストが腹を立てるのも当然だ彼女たちのためだとか何とか言いながら彼らはいつだって彼女を除け者にして勝手に争ったり仲直りしたりしている

 自殺した DFW がこういう男性的な発想を克服できたのかどうかよくわからない──と言ってしまえばやっぱりごまかしになるだろうDFW の伝記すべてのラブストーリーはホラーである』 (Every Love Story is a Ghost Story, 2012によるとDFW は女性との交際に深刻な問題を抱えていたすでに触れたジョエルのモデルになったと思われる女性メアリー・カーMary Karrの場合夫と離婚した後で DFW と交際をはじめるものの二人の関係はうまくいかなかった伝記の作者 D・T ・マックスはさらりと、 「ある晩ウォレスは走行中の車からカーを突き落とそうとしたと書いているDFW から好意を寄せられることを初めはそれほど喜んでいなかったメアリー・カーは彼が自分を母親/救世主みたいな人間だと思っていると感じていたようだわかりにくいかもしれないがこの母親/救世主というのは要するに聖母マリアMaryのことだ宗教的な伝説のなかにしか存在しないイメージを背負わされることはその女性にとって重荷にしかならない

 ところでもしも彼女の名前がメアリーマリアでなければもしかしたら事情は違ったのだろうか無数の言葉が砂嵐のように吹きつけてくるなかを歩いていたに違いない DFW が単なる名前の偶然の一致をはたしてただの偶然として片づけられたのだろうかそれにメアリー・カーKarrを車carから突き落とそうとしたなんて記述を呼んでこの二つの単語Karr / carの発音がほぼ同じであることに気づかない人間なんているのだろうか?   もちろんこれはすべて、 『インフィニット・ジェストを訳しながらすでに頭がおかしくなっている私の思いつきにすぎないしかし誰よりも言葉に接近しながら生きねばならない作家たちの人生はきわめてしばしば言葉そのものに支配されているように見えてしまうのだそれは神の采配とか無情な運命とかそういう大げさなものではなくそれ自体何の意味もない言葉の戯れが人間の存在そのものを支配しているように見えるということだ

 さて日本の DFW である阿部和重はこういう男性的な意識の弱点を何とか克服しようとしているたとえばシンセミアでは登場人物の一人である女子高校生の田宮彩香が、 「阿部和重って人の、 『インディヴィジュアル・プロジェクションという小説を読む彼女の感想は、 「女性キャラがあんまり出てこないし出てきても添え物という感じ」、 となかなか手厳しいこれはおそらく阿部の阿部自身に対する批判なのだろうそのせいだろうか、 『シンセミアではそれまでにないくらい女性登場人物が色々と思い切った行動に出て私たち読者を驚かせる


英米文学を研究しているレッチリの大ファン。『ブリーディング・エッジ』の公式な翻訳の出版を心待ちにしている。下唇の左側に複数のピアスあり。(文責:編集部)
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