柳楽 馨

デヴィッド・フォスター・ウォレス『インフィニット・ジェスト』翻訳日誌

連載第11回: あるがままではいけない世界(デヴィッド・フォスター・ウォレスと阿部和重)3

アバター画像書いた人: 柳楽 馨
2021.
02.25Thu

あるがままではいけない世界(デヴィッド・フォスター・ウォレスと阿部和重)3

承前

とえば阿部が芥川賞を受賞したグランド・フィナーレを例にとろうこの作品は主人公である中年男性沢見克実の一人称によって語られていく沢見は昔から幼い女の子への欲望を隠しながらヌード雑誌のモデルになった少女たちの裸体を撮影していたそのなかの一人とは夏休みにいっしょにプールに行った日から二人だけで会うようになって三回セックスをしてそれから関係がぎくしゃくしてしまったと沢見は語っている文脈からしてこれは真っ赤な嘘とまでは言えないがかといって赤裸々な真実というわけでもないだろう。 「自意識による現実の歪曲とはそういうものだ神妙に反省すれば脱け出せるほど自意識の牢獄は甘くないそんな沢見は自分の娘のヌード写真を撮っていたことが妻にばれて今は離婚し最愛の娘ちーちゃんにも会えない沢見の言葉はこのちーちゃんに向けた決して届かないテレパシーだ。 「ちーちゃんよ果たしてこれは君が望んだことなのだろうか/今日はせっかくの君のお誕生日だというのにひどい土砂降りになっちまったじゃないか。」

 この作品で芥川賞を受賞したことで阿部がいわゆる変態を好んで描く作家であるというイメージがついてしまったそれは的外れでもないのだが阿部にとって小児性愛を含む異常な人間の心理はそれほど重要ではない阿部がこだわっているのはむしろ絶対に逃れることのできない私たちの愛情をめぐる矛盾

 その証拠に、 『グランド・フィナーレにはとても奇妙な矛盾があるつまり実の娘のヌード写真まで撮ってしまうくらいどうしようもない小児性愛者なのに沢見が少女たちに執着する気持ちがほとんど描かれないのだこれはあまり注目されていないことなので少し丁寧に語り直そう

 阿部の愛読者のなかには大作シンセミアに芥川賞を与えるべきだったと考える人が多いがこのシンセミアにはやはり小児性愛者であることを隠して警官になった中山正という男が登場する中山は少女たちの糞便が大好物──文字通りそれを食べるのが好き──という極めつきの変態で少女のことを思うと何というか頭と股間が破裂しそうになるお台場で毒ガステロが起きた?   そんなのどうでもいい俺は可憐な少女たちの屁を嗅ぎたいんだ!   少女たちよ臭くてたまらないその屁で俺を俺を殺してくれ!

俺の息の音を止めてしまうほどに強烈な毒ガスを一発放て! と中山は強く念じた──ああ美少女愉快犯たちよ! 情状酌量の余地もないくらいにきつく濃厚なやつをお台場の女どもじゃなくこの俺にこそお見舞いしてみろ! と彼の魂は絶唱したのだ

 セックスの最中に性的絶頂のために死ぬことを英語でsweet deathと言う日本語では腹上死と言うが、 「甘露往生なんていう風流な訳語もある中山が望んでいるのは悪臭爆死だろうか激しすぎる少女愛のために中山はある意味で後々爆死することになるのだが詳細についてはシンセミアをお読みいただきたい

 ともかく、 『グランド・フィナーレの沢見にはこういう切実さが欠けている沢見が執着しているのは一人娘のちーちゃんであって、 「ちーちゃんに会えなくなった原因であるはずの少女たちへの執着は作品を読む限りほとんど感じられない

 これは、 「恋愛が実はとても奇妙で危険な体験であることを反映している私たちはそれぞれの自意識の牢獄の中で生きている別に他人が訪れ去ってしまってもそれがただの他人なら何でもないけれどが恋している相手は自分だけの世界から脱け出すようを誘惑するだからある意味で恋愛とはここにこうして生きているを殺してしまいかねない危険な体験なのだ生まれ変われるかもしれないそのまま死ぬほど傷つくかもしれない強い引力と同じくらい強い斥力がいっぺんに働き、 「は魅惑と反発の力に同時にさらされる傷つき傷つけられる可能性なしには他人と深くかかわることができないというジレンマを宗教的な言葉で原罪と呼んでもいいかもしれないがもちろんこれは神話や伝説や寓話のなかのことではなくものすごくありふれたことだ

 すると何が起こるのだろうか彼女はの心をとらえて離さないが同時に彼女と結ばれることなどありえないし結ばれてはならないと自分でもどこかで分かっている阿部のグランド・フィナーレの沢見は確かに今すぐ娘のちーちゃんを抱きしめたいと思っているし父親が一人娘に対してそういう愛情を抱くことを誰も不自然だとは思わないけれどその愛情極限まで高まるとその愛の炎で人間を焼き尽くしてしまう愛情の二面性愛している誰かから必ず遠ざけられているという矛盾を描くために阿部はグランド・フィナーレをこのように書いたのだろう

 作風の違いを超えて阿部と DFW が同じ歌を歌っていることがわかるだろう小児性愛者の父親にとって娘は愛してはいても決して触れてはならない存在になる作品全体の雰囲気や歴史的背景はまるで違うがいわゆるハードボイルド小説にもこうした女性が頻繁に登場する。 「の心を溶かし自意識を破壊してしまう誰かは言ってみれば男たちを破滅させる運命の女ファム・ファタール。 「は彼女を愛さずにいられないがまるで麻薬のように彼女に手を出せば破滅することも分かっている。 『インフィニット・ジェストのアヴリルもまたとにかく異常なくらい人を引き寄せてしまう女性として描かれている


英米文学研究者。『小説トリッパー』2022年夏号「今もかならず、どこかに春が」でデビュー。関西在住の文学研究者・大学教員。