柳楽 馨

デヴィッド・フォスター・ウォレス『インフィニット・ジェスト』翻訳日誌

連載第9回: あるがままではいけない世界(デヴィッド・フォスター・ウォレスと阿部和重)1

アバター画像書いた人: 柳楽 馨
2021.
02.23Tue

あるがままではいけない世界(デヴィッド・フォスター・ウォレスと阿部和重)1

彼らはめいめいに自分の音の高さあるいは調べをそしておそらくは自分の歌詞をも選択するだろうが旋律はまったく同じであるすべての歌詞ですべての調べですべての高さでひとつの同じトラララが

ジル・ドゥルーズ差異と反復

1.

手コンビニのずっと夢を見て安心してたというあの歌を誰もが知っているそのせいでかえって知らない人もいるがこれは忌野清志郎デイ・ドリーム・ビリーバーモンキーズというアメリカのバンドのDaydream Believerをカバーしたものだヘロヘロなのにカッコいい清志郎の声がメロディとぴったりなので私もてっきり清志郎の曲だと思っていたことがあった

 モンキーズはアメリカのビートルズだそうだ中学生のとき私が父にそのことをきくと父はこう言って笑った。 「もちろんモンキーズもすごいよでもモンキーズをアメリカのビートルズとは言ってもビートルズをイギリスのモンキーズとは言わないぞ」。 世界的に有名なAにあやかって、 「日本のAとかいう呼び方をすることがあるけどあやかることでそのAには勝てないと半分認めたようなものだからそれを勘違いするなと父は言いたかったのだろういつまでたってもあのAさんの息子 or 娘と紹介されるタレントみたいなものか

 ずっと関係のない話をしているわけではないので安心してほしいアメリカ現代文学を代表する作家デヴィッド・フォスター・ウォレスDFWインフィニット・ジェストに関して今回は日本の DFW と言うべき作家と DFW を比べてみよう彼の名は阿部和重はじめに断っておくと私は DFW より阿部和重ABEが劣っているとは全然思っていないモンキーズのDaydream Believer忌野清志郎デイ・ドリーム・ビリーバーも両方好きだしDFW と ABE に優劣をつけたいわけでもない今回は、 『デイ・ドリーム・ビリーバーDaydream Believerのどちらかを聴いてみてから読んでほしい

2.

 阿部和重と DFW を共鳴させるのは、 「自意識この翻訳日誌でも以前紹介したこれは水ですの中でDFW はこんなことを言っている

 考えてもみてほしい今までの経験のなかで自分がその経験に対して絶対的な中心ではなかったなんてことは一度もないでしょう

 あなたが体験する世界はあなたの正面あるいは背後あなたの右なり左なりにあってあるいはあなたのテレビにあるいはモニターになんでもいいけどそういうものに映し出されている

 他人の考えや気持ちはどうにかしてあなたに伝達されないといけないけどでもあなた自身の考えや気持ちはとても生々しくて差し迫っていてリアルだ

 私が見る世界の中心にはいつでもがいる私は私自身あなたを完全に同列にしてまったく平等に考えることができないだからこそ人はその自意識の牢獄から抜けだそうともがきあるいは脱けだしたフリをする

自意識の問題を真剣に考える小説家にとって恋愛を描くのは難しい恋愛というのは、 「とは違う誰かに引き寄せられて今までとは少し違うになっていく体験だたとえばまだ恋人ではないけれどお互いなんとなく好意を抱いている二人が距離を縮めていくときのあの独特の感覚を言葉で表現するのはとても難しい雲の上を歩いているのに地上に落下することなど考えもしないような陶酔?   目には見えない甘い香りの微粒子が風に乗って頬や瞼にぶつかりパチパチと弾けるような心地よさ?   気づけば昨日までと違う世界に生きているのにそのことに驚きもせずむしろあの人が近くにいるこの世界こそ自分の故郷であるような気がする根拠のない安心感?

 要するにそれは恋愛でいちばん楽しいあの時期のことだ断言してもいい二人の人間が恋人同士になっていくまさにその時間の流れをリアルに描くことができたらそれだけで一流の作家である証拠だ

 ちなみに二人の人間が恋愛の時空にむかって離陸するまでの助走期間を描くのが難しいために作家たちはだいたい以下のような描き方をする

  1. 物語に登場した時点でその人物がすでに誰かに完全に恋している
  2. ある段階で突発的にいわゆる一目惚れをする
  3. 相手を好ましく思う理由を説明してやがてその恋が終わる時の伏線にする

 私が昔読んだ純愛小説では ② が使われていたが相手の美しさに目を奪われている男が一人称で冷静に語っていてこりゃダメだと思った言葉はどうしてもそれを紡ぎだすための最低限の理性と自意識を前提とするのでその理性を働かせる余裕を失っているはずの状態を下手に描くと語っている人間の自意識が鼻につくつまり恋している自分に酔っているかあるいは相手からの好意を確信していい気になっている人間の自分語りを聞かされるわけだ鏡に映った自分の顔に見とれている自称イケメンの独り言なんて誰だって聞ききたくないだろう即座にそいつの背中を蹴って鏡とディープキスさせてやる。 (人が恋に落ちるか落ちないかその微妙なグレーゾーンを描いた小説の最高峰は私に言わせればフローベールボヴァリー夫人。)

  DFW や阿部和重にとっても、 「自意識を抜け出すのは難しいDFW のインフィニット・ジェストに関して今回は新たに主人公ハル・インカンデンザの母親であるアヴリルを紹介したいハルの父親ジェイムズがのつく天才だったことには以前触れたがこのアヴリルもまたどうしようもないくらい強烈な人間だ


英米文学研究者。『小説トリッパー』2022年夏号「今もかならず、どこかに春が」でデビュー。関西在住の文学研究者・大学教員。