戸田 鳥

オードトワレ

連載第13回: Last Message

戸田 鳥書いた人: 戸田 鳥, 投稿日時: 2019.09.18

 社員証をリーダーに通すと電子音とともに画面に文字が浮かび出た。 「お誕生日おめでとうございます
 機械に祝われても嬉しくないよと作業用手袋を着用しながらぼやいたとはいえ何歳のと言わないだけまだましか
 景気の良かった頃は月初の朝礼で誕生月の社員にプレゼントを渡す行事があった全員の前で年齢を読み上げられるので当然女子社員からは不評だった不況を理由に廃止されたときには裏で喜び合ったものである
 エアシャワーを浴びて仕込室へ入ると後輩の泉が待っていた朝のミーティングの間仕事を頼んでいたのだった
さっきトラブルがあってラインが三十分ほど止まりました尾美さんが今度は
 尾美とは勤め出して三ヶ月になるパート社員だあまり要領が良くないらしくたびたび愚痴まじりの報告を受ける
作動中のローラーに手を突っ込んであやうく指を潰すところだったんですよ
えっ大丈夫
後ろに山田くんがいたんですんでのところで助けてくれました注意はしましたけどでも咲さんからもお願いします反省してる様子がないんで
 泉のいらつきは見ぬふりをして尾美を呼んだ怪我はないことを確認し仕事中は慎重にと諭すが相手は拗ねた顔つきを変えない
食品を扱うということは食べる人の命に関わることでもあるんです
 尾美はやり過ぎなくらいに肩をすくめたなるほど泉さんの心情はよくわかった
とにかく怪我がなくて何よりでした持ち場に戻ってくださいくどいようですけどくれぐれも慎重に
 尾美はおざなりな会釈をして背を向けたぼそっと呟いた声が届いた
オールドミス……
 一瞬ぽかんとした今なんて言った? そして思わず吹き出したオールドミスってそれもう死語でしょ尾美は驚いた顔を私に向けきっと睨むと持ち場に戻っていった
あっはっは
 まだ大笑いしている私をビニールカーテンの向こうから泉が訝しげに見ていたはあ可笑しい

ハッピーバースデー
 食堂で同期の深田怜美が小さな紙袋をくれたベージュ色のシュシュが入っていた怜美とは互いの誕生日に千円未満でのプレゼントのやり取りをしているシングルマザーである彼女に負担にならない楽しみ方をしようとそう決めたのだったありがとうと髪ゴムの上にシュシュをはめる
ところでさ
 怜美は急に顔を寄せた
こないだの人とその後どう? 誕生日のお誘いとかあった?
ううん
 箸を取って蕎麦をすすったさっさと食べないと伸びてしまう
 怜美が言うのは先月出会った男性のことだった婚活中の男女のための催しで怜美の付き添いのつもりでぼんやり参加したのだがなぜか気に入られて何となく連絡先を交換したのだった一度映画に出かけたが進展はないこのまま消滅だろう
誕生日だとも教えてないし
 怜美は残念そうだった興味本位でなく心配してくれているのだ藤川さんが辞めてからもうじき一年私にほかの相手がいないからその名前を口に出さないようにしてくれていることも知っている
 怜美が席を立ったあと携帯を見るとメール着信があったふゆちゃんからだ姪は私の誕生日をいつも覚えていてくれる
 冬花の母親である長姉は私が中学に入る前に結婚したのでさほど親しくしていた記憶がない幼い頃は二つ上の兄と遊ぶことが多くて姉は両親のほうに近いおとなのひとだった私のもとに冬花が入り浸っていた時期姉から妬かれたことがある
あんたばっかり美味しいとこ取って母親のあたしは損な役ばかり
 確かに美味しいとこ取りかもしれないあの子の名前をつけたのも私だというより姉夫婦が私の案を採用したのだが名前の由来は当時好きだった小説だった中学生だった私はヒューという名のキャラクターが大好きで、 「ヒュー/ふゆと音をこじつけて女の子らしい名前を作ったのだった私は姪をヒューちゃんと呼んで彼女も自分のことをそう名乗っていたのだけれど姉はそれが気に入らなかったらしいすぐに矯正されてしまった冬花はたぶん覚えていないもうすっかり立派な女性に育ってヒューちゃんなんて呼び名は似合わない

 ふいに思い出した
 二十代の頃付き合いで買った指輪があった冬花が成人したら譲るつもりですっかり忘れていた成人どころか三十歳の誕生日もとうに過ぎているうっかりもいいところだどこにしまい込んだんだったか探しておかなきゃ来年の誕生日にはきっと渡そう

 食堂から戻ると泉が朝よりもっと渋い顔で待っていた尾美が無断で帰ったと言う
昼休憩に入ってすぐ着替えて出ていったらしいんです咲さんに注意されてからずっと不機嫌だったんですけど
あー……そうなんだ
 失敗した私に馬鹿にされたと怒ったんだろうしなかったと言うと嘘になるけど
ずいぶん楽しそうでしたけど何の話されてたんですか
 その質問は笑ってごまかした尾美が欠けた穴埋めに午後の会議は欠席することにした
 トイレ休憩に出たついでに廊下で軽いストレッチをしていると前屈している背中をいきなり押さえつけられた悲鳴をあげて振り向くと営業の飯塚が笑っていた
もっと深く曲げないと体固いよ
固いからこそストレッチしているの会議はどうだった
新製品は咲さん推しのミルク味に決定
 会議内容のプリントを手渡される
味見にいそしんだ甲斐があったね
 飯塚が右手を挙げたのでその掌を思いきり叩くぱんといい音を立てた
わざわざ報告に来てくれたの?
そうそれと今日咲さんの誕生日だって深田さんから聞いたから
 飯塚が差し出した手には板ガムが一枚
おめでとう気持ちだけだけど
まあそうね
でもそれは新製品の最後の一枚だから
貴重な一枚をありがとうございます
 笑い合って飯塚は帰っていった
 ガムの包み紙を剥いて口に入れると柑橘の香りが鼻腔に広がったこの一年小さな贈り物をどれほど貰ってきただろう社内での噂や孤立しそうになるたび飯塚と怜美に救われた数え切れないほどいつか返せる日が来るだろうか

 冬花が明日ケーキを持って訪ねてくるというのでスーパーで彼女の好物を買い込んだ誕生日なのだから自分を甘やかそうといつもは買わない銘柄のビールも買った
 帰宅すると手紙が一通届いていた薄緑色の封筒に差出人の名前はないけれど宛名を見れば藤川さんの字だとわかった
 花柄のカードは香り付きで開くとほんのり花の匂いがした
誕生日おめでとう
 たったひと言青いインクの文字を指でなぞる別れてから初めての手紙だ最後の手紙にもなるだろう
 一年と一日前藤川さんは辞表を出し電話番号もアドレスも変えたいっさい連絡は取らないと約束させられたのは私を守るためだっただから私が返事を書くことはない
 私が諦めていたおめでとうの言葉は彼の心残りでもあったのだろう自分から約束を破るような真似をしたのはでもどこか藤川さんらしいとも思えたここにこうしている私と一年前の私が重なるあの日の私に一年遅れのおめでとうを伝えた

 ぬるめのお湯に浸かって買ったばかりのビールを開けたもうじき終わってしまう誕生日をひとりで祝う初めての地ビールは期待以上に美味しい明日冬花と一緒に飲もう
 風呂場の窓をほんの少し開けるとひんやりとした風がどこからか音楽を運んできたハスキーな歌声を聞きながらお湯で肌を撫でる悪くない誕生日だと思うそう悪くない


学生時代より児童文学を学ぶ。長い休みをはさみつつ創作を続け、2014年より、Webサイト「note」にて作品を公開。代表作に『きゅーのつれづれ』『手品師の弟子』『にんぎょばなし』など。2019年現在『鳥の国のはなし』を連載中。愛読書はダイアン・セッターフィールド『13番目の物語』、谷崎潤一郎『細雪』。好きな作家は小林信彦、庄野英二、イタロ・カルヴィーノ。
amazon