着想の元になったであろうアシモフのファウンデーション・シリーズで盛り上がるのは予言がはずれるくだりで、 それを映画でやるなら確かにこうなるだろうとは思う。 若い女優を引き立てるのに同年代の美青年ではなく、 いわゆる枯専の色男を持ってきたのもわからなくはない。 しかし恋愛対象とする歳が若いほどその男は幼児的な人格であるのが実情だ。 ましてジェレミー・アイアンズ演ずる天文学者は 60 代である。 子どもや孫のような相手に関係を望む時点で異常人格だし、 教師と教え子のような力関係が存在するなら、 その望み自体が暴力になり得る。
この映画では女の側にもファザコンと自傷の根拠が示されていて、 結末では次の恋も示唆されるので、 おそらくそのあたりを虫のいい免罪符にしようとしたのだろう。 けれども幻想を恋愛と言い換えて美談に仕立てたいばかりに、 男の側が自傷の道具にされて苦しむ描写を避け、 結果として掘り下げにしくじっている。 おまけに虫のいい死別まで塗り重ねる。 そもそも新しい恋自体、 何もかもお見通し、 人生の先輩である自分がお膳立てしてやったといわんばかりだ。 歳の差や師弟のような力関係において、 預言者めいた影響力を及ぼすのは支配欲にほかならず、 歪んだ性癖と言わざるを得ない。
以前この日記でとりあげた 『マイ・インターン』 では弱気になって道を踏み外そうとするアン・ハサウェイを、 常識人のロバート・デ・ニーロがあくまで友人として、 年若き上司として遇する。 こういうのが本当の大人の男なのだ。 男はいくつになっても子ども、 というのは美化されて語られがちだけれども、 異常かつ劣化した遺伝子にいいことはひとつもない。 Wikipedia によればジュゼッペ・トルナトーレは 1956 年生まれ、 ナンシー・マイヤーズは 1949 年生まれ。 若い世代のほうがジェンダー観は向上したはずなのに男性が監督した映画はいまだこのありさまだ。
虫のいい幻想のすべてが悪いとは言わない。 すべてのジェンダーでお互いさまだと思う。 しかし歳上の男が若い女に何かを託す、 という妄想をどうせ語るのであれば、 説教くさい美談に仕立てるのではなく、 幼稚な自己愛を前提に、 もっと無責任にやり放題やればいいし、 やられる若者の側にも、 負けずに圧倒するしたたかさを発揮させればいい。 これも以前とりあげた 『SCOOP!』 では、 あれだけやられたら若い女の側でも苦笑して受け入れざるを得ないだろう、 と思わされる魅力があった。 福山雅治だからと言われたらそれまでだけれども、 しかしジェレミー・アイアンズだってジェレミー・アイアンズなのである。