こころ
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こころ

鎌倉の海岸で、学生だった私は一人の男性と出会った。不思議な魅力を持つその人は、“先生”と呼んで慕う私になかなか心を開いてくれず、謎のような言葉で惑わせる。やがてある日、私のもとに分厚い手紙が届いたとき、先生はもはやこの世の人ではなかった。遺された手紙から明らかになる先生の人生の悲劇――それは親友とともに一人の女性に恋をしたときから始まったのだった。


¥407
新潮社 2004年, 文庫 384頁
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読んだ人:杜 昌彦

こころ

四半世紀ぶりに読みかえした高校の現国でむりやり読まされて以来だあのとき理解できなかったのもしょうがないなこれは自分の人生がだめになってもうよくならないと知ってからでないと意味が汲めないそもそも先生につきまとう語り手の若者よりも当時は若かったいま読むとあの若者はあまりに若々しくて元気溌剌で好奇心旺盛で生命力にあふれていて嫉妬の念すらわいてくるむりに読ませて何か得るものがあるとでも思ったんだろうかあの現国教師は笑顔で生徒を殴り飛ばすほんもののサディストだったあんなやつにこの話が理解できていたとは思わない

 いま読むとあまりにもうまいこと書かれているのにびっくりする一文一文がじつに正確な描写だBL のはしりという意見を読んだけれど矮小化だと思うたしかにそうだけれどイコールといいきれるほど単純じゃないたしかに冒頭の白人云々はそのまま読めばそう読めるけどあれは思うに仕事のひきあいは何かとあったのに先生は断りつづけたということの説明なんじゃないかって気がする。 「先生は奥さんを女として愛しているしだからこそたとえば子どもができないことを呪いと呼ぶ台詞に切実な重みがあるBL といいきる読み方は単純でわかりやすい漱石が書こうとしたのはもっと微妙でわかりにくいことだって気がする可視化され得ない問題について書いたからこころなのだと思う

 明治天皇と乃木将軍のくだりも当時はわからなかった古色蒼然たるイデオロギーとして読んでしまったのだ明治以降の日本という国家がしてきたことを考えるとしょうじき肯定的には読めなかったそんな話じゃなかったってことが震災を経たいまリアルな生活実感をもって理解できる昭和天皇のときの妙な空気とはまったく意味あいが異なるのだ心身弱ってささいな希望にすがって生きてるとき他人の生き死にが自分の生死とどこかで結びついてるようなそんな気持になりはしまいか。 「先生はずっと苦しんで生きてきて他人の人生の始末のつけかたに自分を重ねあわせてあぁおれもそのときだと感じたのではないか

 自殺という暴力がまわりの人生にどのような影響をおよぼすかという問題についても非常に正確に書かれてるあのようないきさつで結婚したとなれば奥さんのことをどれだけ愛していてもあるいは愛すれば愛するほどしんどくなるだろうたとえば理想的な恋愛であれば親しくなり結婚に至るまでの過程はどれもすてきな思い出だったりするわけじゃないですかそれがあのふたりの思い出の風景にはいつも自殺した親友がいたそういう結婚はどれだけ愛しあっていてもあるいは愛しあっていればいるほどうまくいかなくなるものだと思う

先生は語り手の若者にしか甘えられなかった他人だから甘えられた若いころの自分を投影できるような他人がわざわざ積極的にコミットしてくれたから語り手の若者は危篤の父親をほったらかして列車に飛び乗るくらい若者らしい向こう見ずもっとも人間だれしも歳をとったところで思慮ぶかくなんかなりはしないのだけれどで突っ走る。 「先生はそのような強烈なコミットを求めてたみたいに見える終盤かれはほとんど懇願しているおれを見棄てないでくれおれをわかってくれ⋯⋯といまおれは同年齢なのであの見苦しさが身に染みる)。 奥さんもそのようにコミットしていたら事態はちがってたろうかあるいは実際にはしていたのかもしれないでも先生は彼女をはなから見くびって若者を信じたようには信じることができなかったこいつには理解できまいと

 あるいは先生は K を殺したものの象徴が奥さんに代表されるような何かであると考えていてだからその事実を彼女から隠そうとしたのかもしれない論理的なものと情緒的なものの相克という主題が先進的に見えた西洋とコンプレックスをかかえた日本というイメージを重ねつつ何度もくりかえし出てくるのだけれどたぶんだから冒頭に白人がでてくる)、 なんかそのへんで、 「論理的に生きようとする男の足をひっぱる情緒的な存在として女性を捉えるような性差別的ニュアンスもあったのかもしれないあるいはそれでいて同時に情緒的なものの象徴として女性を神聖視するような肯定的でありながらやはりこれまた性差別的なニュアンスもあったのかもしれない

 漱石は先生や語り手の若者といった男の目を通して書いているにもかかわらず生身の女性を活き活きと描きだしている。 (結婚前の若い女性から大人の女への変化が鮮やかに伝わってくる介護などさまざまな時期を経て関係性が変化していく過程なんかさらっと書かれてるのに生々しく感じたってことは先生も彼女のことをそれだけしっかり見ていたわけだ愛してなければそのように見つめることはないそれでも信じられなかったとしたらあるいはそこには女性の残酷さみたいなものもたしかに存在していたのかもしれないだからといって先生の罪が軽くなるわけじゃないしその罪の一部であろうと奥さんに負わせるのはまったくのお門ちがいだけれど

 実際あの奥さんにはコミットするだけのタフネスがあったんだろうか。 「先生がそう信じたようにまったく持ちあわせなかったのだとしたらもうちょっと夫への接し方もちがってたはずださっさと見切りをつけてあんなふうにあれこれ真剣に問い詰めたり泣いたり傷ついたり夫のこころを憂えたりはしなかったろう

先生は奥さんをほんとは信じたかったんじゃないか他人である若者に甘えたのと同じように甘えたかったでもできなかった愛した女のことを自分たちとおなじ闇をかかえた存在として信じることができなかった生身の人間である事実を拒否し神聖視したそうして中途半端に護ろうとしたそこにかれの残酷さと哀しさあるいは人間らしい弱さがあったそれがかれの罪であり不幸だったって気がする

(2013年08月15日)

(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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夏目漱石
1867年2月9日 - 1916年12月9日

日本の教師・小説家・評論家・英文学者・俳人。明治末期から大正初期にかけて活躍し、今日通用する言文一致の現代書き言葉を作った近代日本文学の文豪の一人。代表作は『吾輩は猫である』『坊つちやん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』など。

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