杜 昌彦

GONZO

第18話: 発熱

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2021.01.03

 姫川尊は事件のずっと前から、つまり不登校になり離れに引き籠もって女装をはじめるまでの話だが、本人のあずかり知らぬところでソーシャルメディアの有名人に仕立てられていた。同じ学校や他校の生徒、列車に乗り合わせた乗客、繁華街ですれ違う通行人といったひとびとによる、無数の匿名アカウントによって盗撮された画像の数々は、複製され加工され、挿話や設定を捏造されるなどの変異をくり返し、感染力を増して世界へ拡散した。顔がよい、とあたかも固有名詞であるかのごとくにそれらの画像は呼ばれた。公共性の高い抽象概念であって人格を有する個人ではなく、従って当然のごとく人権を持たず、いかに消費しようとも許されると見なされた。何者であるか、いかなる内面を抱えているかを気にする者は、商売目的の輩を除けばだれひとりとしていなかった。事実どこからも苦情は出なかった。本人が無頓着なのだから当然である。芸能デビュー間近、などと根拠のない噂が広まっては消えるのをミコト自身、まるで知らぬでもなかったが、何ら己との関わりを見出さなかった。過去の自分を持て囃すひとびとを、流した糞で粘土細工をする阿呆どもと彼は見なしていた。
 顔がよい、がただのネットミームと異なるのは、ネット上のどこかでだれかにつねに新たな画像が提供されて、それが少なからず経済効果を生じせしめたからである。着用した服や靴や装身具、髪型に至るまで、いずれも年齢に不相応に金がかかっており、それは実のところ鬱陶しくなったミコトが馘首するまで、親に専属のスタイリストをつけられていたからなのだが、震源地を知らぬ大人たちには不可解なまでの流行ぶりで、全国に模倣者が増殖した。広告代理店は血眼になって本人を探したが、お気に入り画像くらいのつもりでアバターに用いる者もあれば、いかにもそれらしい高度な成りすましに至るまで、くだんの画像を用いるアカウントは星の数ほどあり、街で本人を目撃したとか近所では有名だとか、はたまた友だちだとか恋人だとか、家族や親戚だと称する輩も、あまりに多すぎて信ずるに値する投稿は見つけられなかった。当然ながら同級生らは正体を知っていたが、すでに無数の別人がまことしやかに挙げられており、姫川尊の実名は埋没して顧みられなかった。実物の性格は最悪だよ、友だちがこんな目に遭わされた、それだけじゃなくあんなこともあった、といった指摘の数々はよくある妬み、やっかみの類として扱われ、まともに取り合われることはなく、自らの価値を毀損するばかりで、発言するだけ損だとだれもが思い知り、現実に見知ったミコトとは切り離し、アニメや韓国アイドルのごとき虚構の存在として、大喜利のように調子を合わせるに徹するようになった。
 姫川邸襲撃事件を機にその状況は一変した。武装勢力による拉致被害者と瓜ふたつであるのに世間が気づいたのである。完全に一致、と画像を重ねて主張する動画が天文学的な再生数を稼いだ。遅ればせながら気づいたワイドショーや報道番組が翌朝から幾度となく流用した。現実のミコトを知る同級生らは、ソーシャルメディアでの得点獲得を狙って、人格否定や女装の噂をくり返したが、またしてもよくあるデマとして埋没し、結果として世間は、集合写真の右上に枠で囲まれた、数年前の男装のほうを姫川尊その人と認識するに至った。顔がよい、はテレビで取り上げられたことで爆発的に支持者を増やし、単なる流行元インフルエンサーを通り越して、もはや強力な感染源スーパー・スプレッダーと見なされるまでになった。黙らされ去勢されることで男児の遊びに混ぜてもらえる女児を描いた漫画が、日本刀による斬殺をひたすら性的かつ感動的なものとして描いて大ヒットした年だった。ソーシャルメディアには無事を祈る旨の、いわゆる「意識の高い」投稿が溢れたが、その実だれもが期待を隠さず、被害者が武装集団に陵辱されている可能性をほのめかした。かつて強姦殺人犯のサイコパスに女性信者が集まったのと同様の現象だった。人権侵害報告は投稿フォームがダミーでしかないために運営によってことごとく無視された。資本関係にある広告代理店にとって被害者の不幸は金蔓だった。マスメディアは飢えたように猟奇的な続報を求めた。
 世間にそのように騒がれているとも知らずにミコトは泥のように眠った。マスコミにせよ警察にせよ、彼らを支配する何者かにせよ、その眠りがどこで行われているかを知るために大金を惜しまぬ大人たちは大勢いたろう。彼の家族、すなわち父や祖父や細谷だけはむしろ、二度と見つからぬことを願ったに違いないと彼はのちに思った。目覚めると畳とほのかな潮の匂いがして見知らぬ天井が視界に入る。昨夜の悪夢が現実であったのを思いだし、現実ならばいるはずの、デブ中年の姿がないのに気づいて動揺した。枕元に畳んだ黒ドレスの下を探った。札束はなくなっていなかった。ギターケースもまだある。大ぶりな楽器を取り出すと重みのある札束がなかで動いた。朝風呂にでも出かけたかと思われた家庭教師は、いつまで待っても戻らなかった。ミコトは身繕いすると部屋を出て受付で尋ねた。お父様は急な用事だそうで朝早く出かけましたとの答えだった。見棄てられた可能性をミコトは察し、察したその可能性よりも、護られていたかに感じた自分にむしろ狼狽して、午後には戻るとおっしゃっていましたとの言葉はほとんど耳を素通りした。
 従業員や宿泊客に正体を気づかれて通報されたら、と思うと不安で視界が暗くなる。あのうさん臭い家庭教師の言葉を鵜呑みにするつもりはないし、本物の警官が自動小銃で武装して民間人を虐殺するとも信じがたいが、確かめた遺体はどれも徽章のついた縦開きの手帳を持っていた。ギターの金だって偽札かもしれず、使えば逮捕されるのかもしれない。最悪そこは知らなかったで通すつもりだが、不条理劇めいたこの状況でほかに頼る相手はない。この状況でなくたってだれにも頼らず生きてきた。そもそも襲われた理由が皆目見当がつかぬ。襲撃者らの態度や口ぶりからして、何か家業に関わるらしかったが、父親や祖父の仕事に関心を持ったことなどなく、離れに引き籠もって絵ばかり描いて暮らしてきて、家庭内の後ろ暗い秘密ならばともかく、業務上の重要機密など知りようはない。知りようのない情報を知っていると思われるのが不可解だった。知るはずの人間がいるならそれは父や祖父であるはずで、まわりくどい真似をせずとも本人たちに直接、脅しでも何でもして問い質せばよいではないか。
 布団を片づけさせ、出された朝食を少し食べて、露天風呂へ入るほかにすることもなく、座敷に横になって携帯を眺めた。ニュースを見るのは怖ろしく、ゲームや動画を楽しむ気分でもないので、ソーシャルメディアに投稿した作品の数々をスクロールする。ハートの数字も共有数も皆無のままだ。フォロワーは数えるほどしかいない。その大半が出会い系業者で、残りはおそらく特定の単語を拾う情報蒐集ボットだろうと彼は推測していた。どちらともつかぬアカウントもあったが、いずれにせよミコトにも作品にも関心がないのは明らかだった。同級生らが支持者や称賛や共有数を殖やすゲームに熱中し、競い合っているのは知っていたが、彼にはその根性も技量もなく、投稿を購読したいと思える他人もない。アルゴリズムにお薦めされる他人はどれも、アニメキャラの著作権違反画像で、説教がましい態度を装いながら、踏みつけにできる相手を探すだけの有象無象としか思えなかった。細谷に入れさせられた連絡用アプリに至っては起ち上げたことさえない。
 数年前から盗撮された写真が持て囃されているのは知っており、幼少時から容姿だけは褒められるので、着飾って化粧した自分を投稿すれば人気が出るだろうとは予測できたが、評価されたいのは性的価値ではない。そもそも評価されたくてやっているのか自分でも判然としない。描きたいから描く。描いた証拠を残すために投稿する。人生においてその絵のために過ごした時間が確かにあったのだ、その仕事を自力で成し遂げたのだと実感するために、ほかにだれもいない画面を指先で流す。物心つく頃からずっと他人は煩わしいだけだった。愛だの絆だのと口先だけで、だれもが実際には貶めたり搾りとったり、利用することしか考えない。これまで何もかもひとりでやってきた。今後もそうだ。家庭教師が母親と同様に、自分を見棄てて逃げたのも、同じ立場なら自分だってそうするし、されたところで何とも思わない。思わぬはずなのに無性に苛立ち、腹が立った。二、三日休養すればいい考えも浮かぼう、いや一箇所に留まるのは危険だ、すぐにでもどこかへ移動すべきとも考えた。救うなら最後まで責任を持つべきで、金だけ置いて無断でいなくなるのではなく、せめてひと言でも逃走術の指南をしてくれたらよかったのにとも考えた。所詮はみんな我が身が大事なのだとも思った。
 ミコトは表へ出る気になれず、それどころか部屋さえ一歩も出ずに悶々とするうちに日が暮れた。帰宅したゴンゾは疲れきって見えた。マスティフ犬さながらに頬が垂れ、黒い三つボタンスーツも昨夜より心なしていた。その顔を見るやミコトは猛烈に怒りがわいた。ゴンゾは無言のまま片手で細いニットタイの襟元を緩めながら、ほかにだれもいないかのように座敷をどすどすと横切り、窓際の籐椅子に腰掛けようとした。ミコトは左手でゴンゾのニットタイを掴んでむりやりに振り向かせ、身を屈めさせると勢いをつけ、マスクに覆われた鼻と思しきあたりを渾身の力で殴りつけようとした。その華奢な拳をゴンゾは腸詰めのような指のついたでかい左手で受け止めた。細い手首を掴まれ宙に吊り上げられたミコトの、青ざめた憎々しげな顔が、ゴンゾのうんざりした顔に迫って荒い呼気がかかった。マスクをしろよと殺し屋は吐き棄てるようにいった。ミコトは相手の鼻に噛みついた。ゴンゾはうッと叫んで顔をしかめ、手を放した。落下したミコトは尻餅をついた。浴衣の裾が乱れて白い太腿が覗いた。
 口論になった。なぜひと言もなく出て行った、飼い犬の癖に、書き置きくらいできるだろうとミコトは叫び、そんな義理はない、犬に字を書かせるとは滑稽だな、ひとりで留守番もできないくらいお子ちゃまなのかとゴンゾはいい返して、それから畳に落ちていた携帯に目を留めた。ミコトが怒りの叫びをあげて飛びつこうとしたが中年デブの殺し屋の動きは速かった。携帯を勝手に拾い上げ、奪い返そうとするミコトを丸く大きな背中で遮って、もう一方の手で蟹目のサングラスを下ろし、不機嫌に目を細めて太い指で画面を操作した。ミコトの罵声をものともせずゴンゾはフォロワー一覧に視線を走らせ、どれだけ世間知らずなんだ、電源を切るくらい考えつかないのか、潜伏先がばれるだろうと低くいった。位置情報は切ってある、プライバシー侵害だとミコトは抗議したが携帯に手は届かなかった。ゴンゾは携帯の電源を切って懐にしまい、ぽかぽかと殴りかかるミコトに対し、煩わしげに蠅を払うような身ぶりをして、溜息をついて籐椅子に身を沈めた。ほかのお客様のご迷惑になりますので、と仲居が苦情をいいに来た。ミコトは顔を赤らめて部屋の隅で座り込み、唇を噛んで俯いた。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告