杜 昌彦

GONZO

第7話: 犬になりたい

書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2020.09.09

読者諸氏には疑われる向きも多かろうサイコパスの殺し屋がいともたやすく背後から蹴り倒されるとはそれも少女のように見える華奢な少年に……と現代史に詳しい方は首を傾げるかもしれないそんな話は聞いたことがないと実際この逸話はどの文献にも載っていない正直に白状するがまったくの創作である高校の同級生としてはあの姫川尊がやられっぱなしで黙っているとは思えずその気持に嘘をつけなかった客観的事実としては確かに捏造であるあるいは彼はなすすべもなく人生初にして唯一の屈辱を味わったのかもしれないしばらく立ち上がれずに唇を噛んで啜り泣き鼻水さえ垂らしてしかるのちに家政婦へ腹いせの暴力をふるったかもしれない
 しかし同時に妄想に満ちたわたしの物語においては即座にやり返したのが真実なのである相手が何者であっても頓着しない銃をこめかみに刃物を喉元に突きつけられても傲慢な態度を変えず蔑みの目で見つめ返す記憶に残るミコトはそのような人物であっただからこそ前回はあのような描写をしたのだがいま思い返せば彼の手元にはパレットナイフがあった柄のついた薄くしなやかな金属板で絵の具を塗り延ばすには適していても人体を傷つけるのには向かぬがゴンゾならそれで標的の頸動脈を切ったろうしミコトにだってやれぬ道理はない耐え忍ぶことを知らず衝動的かつ狡猾にひとを傷つけるミコトならば手近な得物で背後から斬りつけてもおかしくなかった
 そう書かなかったのは相手がゴンゾだからだ彼は銃よりも刃物を刃物よりも手近な日用品を用いる殺人者だった鋭利な刃物があれば視界からはずれようとも意識を怠らぬ金属を掴む音がすれば振り向いて相手の動きを封じたはずだミコトは細い手首をひねり上げられガラス細工のように折られて武器を取り落としまたしても手ひどく殴り倒されて惨めに床に這いつくばっていたろう跳び蹴りをしたのは初対面でありながら本能的にそのことを悟ったからだそれは動物的な直感でありのちにゴンゾ自身からうんざりするほど語り聞かされる信条の先取りでもあったすなわち殺人鬼に背後から跳び蹴りをするやつはいないないはずのものは社会的に存在しないあり得なければ気取られないゴンゾは自らの手口にしてやられたのだ
 姫川尊もまたこの世界にいないも同然だった血筋やら美貌やら女装癖やらばかりが注目されだれも彼自身を見なかっただれからも愛されぬ代わりに裁かれもしないただ神のように人生の摂理のようにひとを傷つけ苦しめるだけだだからといって彼がそのことに苦しんでいたとは思わないあの傲慢さをここにいるよ」 「だれかぼくを見てという哀れな叫びだったとする書物を何冊も読んだ愛を求めて気を惹く試みであったと笑止千万そのように繊細な人間らしさなど彼は微塵も持ち合わせなかったボニーとクライドゴンゾとミコト彼らは伝説的なサイコパスだった片や新興宗教コミュニティの糞だまりで親さえ知らずに育ち片や地方都市のだれひとり知らぬ者はない富豪の家で蝶よ花よとチヤホヤされて何不自由なく育ったかくも対照的でありながら彼らはいわば双子の化け物だった生まれながらに悪意しか持ち合わせぬ野獣が二頭鉢合わせたらどうなるか二大怪獣決戦大都市が焦土と化すそれでわたしはあのような嘘っぱちを書いたのだ
 理解や共感などされずとも構わないすでに書いたようにこれはわたしの物語でふたりの異常者は報われなかった過去を投影する口実にすぎない十代のわたしは獣性を抑圧して生きていた自らを偽り正しいとされる社会に媚びへつらったそうすればだれにも恥じることのない人生を得られるものと信じた……あるいは信じようとしたいずれ離れていく子どもたちを眺め終始他人でしかなかった夫に口をつぐみながらその決断が正しかったといまも自分にいいきかせる
 子守を頼まれた殺し屋に話を戻そう怒りに任せて歩み去ろうとする彼の行く手に量販店ファッションの家政婦が立ち塞がるお茶を用意してありますといって彼女は返事も待たずに消えたマスク越しの声はやはり不鮮明で本当にそういわれたのかどうかゴンゾの耳には定かでなかった無視してもよかったが好奇心が勝ったそれに彼女に案内してもらわねば迷子になりそうだいつだれに殺されても不満はないが出口を見いだせぬまま半年後に白骨死体となって発見されるのでは殺し屋の名が廃るゴンゾは従順にあとを追ったうんざりするほど歩かされた
 大邸宅の厨房どころか給湯室と呼ぶにふさわしい小部屋だった会議用の折りたたみ長机のほかにはガス台と薬缶冷蔵庫電子レンジといった最低限の備品しかない狭さといい間取りといい妙に片隅にある流し台といいモップを洗うスロップシンクを備えた掃除用具置き場を転用したとでもいった印象を受けた紅茶とコーヒーのどちらがよいかと問われてゴンゾは後者を選んだ勧められもせぬ丸椅子に彼は勝手に座った姫川一族がキャビアやフォアグラに不平をこぼすあいだ使用人はここでカップ麺でも啜るのだろう子ども時代を過ごした教団でも見かけた光景だ彼自身はジャンクフードにさえ碌にありつけず大人たちの目を盗んで残飯を漁って飢えを癒やしたものだがたまに見つかって立てないほど打ち据えられたのを思い出す
 家政婦は視線を合わせず背中を向けたまま湯を沸かした無愛想なそばかす顔は怒っているかにも見えるがそうではないのがゴンゾにはわかった生まれつき人間らしい表情を知らぬ人種なのだそのためにずっと誤解されて生きてきてにもかかわらず自覚がないそんな不器用な人間をゴンゾは何人も知っていた御曹司ばかりか使用人に至るまで精神に欠陥があるとは自分を棚に上げて彼は呆れ果てたさすがは悪名高き姫川家だこんな家庭には関わらぬに越したことはないそうと知りつつなぜわざわざ出頭し生意気な餓鬼に侮辱され不味い茶を飲むために座っているのか
あなたを知っています
 ゴンゾは顔を上げて女の背中を凝視した逢っていたら生きているはずがない夢で何度もと女はいったそれで合点がいった狂っているのだ
どういう病気なんだ
は?あたかも相手のほうが気違いであるかのような目で家政婦はゴンゾを顧みた
とぼけるなよあの餓鬼はまともじゃない
 家政婦は火を止めた。 「孤独です
 死に至る病というわけか気取りやがってとゴンゾは思った
ミコト様は確かにわがままです家政婦は時間をかけてコーヒーをドリップした。 「だから学校に馴染めないお友だちもいらっしゃらない幼い頃に飼われていた豆吉を別にすればね初日で逃げ出すのもあなたが初めてではありませんどの家庭教師も三日とたないのですこれまで大勢が訪れては去りました
 家庭教師ねとゴンゾは思ったどんなに金に飢えた阿呆だろうが黙って犬代わりの扱いに甘んじてはいまい前任者たちの役割も表向きだったのだろうか姫川家が親爺とどんな取り決めをしたにせよ殺し屋を用心棒に雇わねばならぬほどの事態は使用人には伏せられているようだ
ですが家政婦は黒い液体を満たしたカップをゴンゾの前に置いた雇い主の飼い犬に餌を差し出すかのように。 「ミコト様が心を許したのはあなたが初めてです
 ゴンゾはマスクの下で口をぽかんと開け鼻にずり落ちたサングラス越しに家政婦を見上げた心を許した? この女は何をいっているのか
豆吉は例外ですミコト様はその仔犬をたいそう愛されていました血を分けた弟ででもあるかのように餌をやりブラシで毛を梳いてあげ病気になったときは大人たちに叱られても眠らずに夜通しそばにいましたそのように何かに愛情を向けるのはこの家では歓迎されません豆吉は血統書にふさわしく生きた家具のように扱われるべきだったのですいずれ姫川家を継ぐ長男としてよくないことだと直継様はお考えになりましたそこでミコト様が幼稚園にいらっしゃるあいだに処分なさいました塀に叩きつけて殺せるほど小さな仔犬だったのです帰宅されたミコト様に直継様は塀を掃除して屍骸を棄てるよう指示されました砂糖とミルクが必要ですか
 ゴンゾは断りマスクを降ろして冷めかけたコーヒーを啜った関心があると当然のように決めつけられたのが滑稽に思えた金持の仕事を請ける機会は多い彼らのやることはみな似通っているあるいは餓鬼と結託して担ごうとしているのかもしれないがだとしてもこんな凡庸な話で同情を期待されるとは舐められたものだ
ミコト様が不憫ですだれかが護って差し上げなければ立ったまま安っぽい眼鏡越しに家政婦はゴンゾを見下ろしたあたかもそれが事実でありそのことに屈辱を感じてでもいるかのようないいかただった
まるで自己紹介だな
そんなふうに聞こえましたか
あの狂った餓鬼に自分を投影している
人間が生きていくには愛が必要ですわたくしでは力が及びません
呑み込まれるだけだ見返りはないあいつは底なしだよ
心理学にお詳しいんですね
商売柄な意味のない会話だとゴンゾは思った
ミコト様は本当は優しい子なのですどうかお願いいたします
 家政婦は深く頭を下げたこの女はやはり正気でない虐げられる生活が長すぎておかしくなったのだとゴンゾは気づいた世間のだれもが姫川家の脇役として生きるわけではない歪んだ物語の渦中にいると自明のはずのその事実が見えなくなるのだ


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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