機械が、 次の英語の文章 《 Out of sight, out of mind 》をロシア語にしました。 [ ⋯ ] 点検のために、 このロシア語訳を再び機械に放り込むと、 逆に英語訳が出てくるのですが、 それは、 《 Invisible Idiot 》 (白痴の透明人間) というものでした。 ロンブ・カトー『わたしの外国語学習法』
私たちは、 自由で快適に見えないでもない現在のアカデミズムに対する懐疑から出発した。 デリダとド・マンの読解によって示された認識は、 しかし、 彼らの脱構築がそれなりに刺激的な試みのひとつとして学問の内部に取りこまれたことがまったく自然かつ当然であることを示している。 それほどまでに、 彼らの脱構築は、 ひとが学問と呼ぶ営為とは相性が悪い。 同じテクストをおおむね同じように読み、 曖昧に互いの違いを認めあう研究者たちの共同体に対して、 デリダはむしろ、 その共同体を抜け出すような、 その度ごとに一人きりでしかない単独的な愛読者にむけて書いている。 ロラン・バルトはどこかで、 テクストを読む者は、 その者にしか聞こえない音を聞きつけてひょいとあらぬ方向をむく鳥のようだと語ったことがあるが、 単なる気の迷いでしかないという可能性とともに、 どこかものに憑かれたような読者を、 デリダは待ち望んでいる。 私たちにとって励ましになるのは、 いわゆる大学の研究者であるかどうかは、 そんなどこか気の触れたようなデリダの愛読者であるかどうかとは関係がないということであり、 その意味でデリダは普遍的な存在である。 ほとんど常軌を逸したデリダの多作振りはこの意味では両義的で、 彼の脱構築に感染するための経路が多いともいえるが、 危険が少なくより毒を抜かれたものばかりに読者が集中することにもなるだろう。 その点で、 よりアカデミズム内部で流通しやすい形として一応は論文らしいスタイルを維持し、 デリダよりもはるかに寡作だったのがド・マンである。 とはいえ、 ならばド・マンを読むことのできる人間が多いのかと言えば、 それはまったく疑わしい。 私たちが見たばかりのド・マンの誤訳に気づきもしない人々は大方ド・マンどころか彼が扱う詩人や作家すら読んでいないのだろうが、 それを読んだ私たちとて、 もたらされた洞察が洞察というにはあまりも断片的なものなので、 それに学問的な価値があると強弁する気にはなれない。
したがって、 言葉の狭い意味における 「脱構築」 は、 ほぼ 「批評」 の同義語と言ってよい。 すなわち、 学問や研究とよく似てはいるし、 そのなかから生まれることも大いにありうるが、 それでも、 学問や研究を支えている規律権力が課す規格化を外れた異物である。 批評家と呼ばれるに足る彼ないし彼女は、 今日、 実に愚かしくも見えるだろうし、 実際に愚かなだけかもしれないが、 いずれにせよ、 そんな人間は真っ当な大学教員にとって悩みの種だろう。 デリダの影響のためかやたらと細かいところにこだわってデヴィッド・ハーヴェイを困らせた学生たちのグループをここで思い出そう。 当初はそんな学生たちの背後のデリダを愚か者に違いないと確信していたハーヴェイだが、 彼はこうも述べている。 「この体験を後に振り返って私は、 第一章を櫛で梳くようにして読むだけでも、 マルクスの言語──彼が言っていること、 それを言う彼の言い方、 そしてまた彼が自明と受け取っていること──に慎重に注意を払うことが肝要だということを、 このグループが私に教えてくれたのだと悟った」 1。 この学生たちは、 おそらく脱構築など理解してはおらず、 機械的にデリダやド・マン風の精読を真似ていただけだろうが、 にも関わらず彼らこそ、 時間がかかったとはいえハーヴェイに、 脱構築の正しさを納得させたとは言えないだろうか。 一見教育の失敗でしかない時間が、 むしろ最も価値ある教育であったとすれば──デリダとハーヴェイ当人同士のあいだでならば起こり損ねたはずの出会いが、 両者をつなぐ多かれ少なかれ愚かしい学生たちによって可能になったとすれば、 それを希望と呼んでもいいのではないだろうか。 脱構築としての批評は、 そんな愚か者たちを介して、 今もどこかで人目に触れずに潜在し、 長い時間をかけて誰かを教育しているのかもしれない。 流行病のように訪れては過ぎ去った脱構築は、 今も誰かのなかに潜伏しているのかもしれない。 日々薄れていくデリダやド・マンの記憶とは裏腹にいつか、 彼らとは違う脱構築が目覚めるのかもしれない。