クリティカルではなくなったら、 私など何者でもない。
I am nothing, if not critical.
William Shakespeare, Othello.
批評家の柄谷行人は、 彼に噛みついてくる後進の批評家たちには 「文学的能力がない。 もともと 『批評の批評』 しかやったことがないから、 小説が読めない。 教養がない。 語学力もない。 これらは致命的な欠陥で、 彼らがまともな批評家になれるわけがない」 1と切り捨てたことがある。 これらの資質が、 (文芸) 批評家ばかりか大学の研究者にも必須のものであるところに、 批評と研究の微妙な関係があらわれている。
(優れた) 研究者であるための必要条件は、 批評家であることの十分条件ではない。 大学はいくつもの学問分野 (discipline) の専門家の養成を目指していて、 専門家たちの分業体制によって教育という規律 (discipline) を学生に課すのだが、 批評家はそんな桎梏を超越する (と見なされる) からこそ強烈な光を放つ。 哲学者ジャン=ポール・サルトルはこのことを証明していた。 小説や戯曲を書き、 政治についても発言したこの 「哲学における、 何か神話的な双頭の反抗者」 2の魅力を、 柄谷と親交のあった理論家ポール・ド・マンも証言している。 ひとを全体のなかの一部の領域に位置づけ、 そこに閉じこめておこうとする大学のディシプリンを超えることが、 批評家には不可欠だ (った) と言えるだろう。
今日、 批評は大学に対してこの微妙な距離を保ちにくくなっている。 大学は今や生き残りのため、 縄張り意識をなし崩しにしてでも 「複雑化・多様化」 した現実に応じて 「開放的・学際的」 になりつつある。 アカデミズムの内部で功成り名を遂げた学者であれば、 どこかしら 「文学的」 な、 こう言ってよければ批評家風のエッセイを書くこともある。 批評家の美点は、 大学人のセールスポイント (のうちのひとつ) になった。 ド・マンの言葉で言えば、 これもまた 「『密猟者から転身した密猟監視人』 3というお馴染みのパターン」 だろうか。
だとすれば、 こうした 「自由」 な学問によって見え難くなる権力こそ、 今日の 「批評」 の標的となる。 これまで学術的思索の対象にならなかったポップカルチャーその他に対する権柄ずくの蔑視は改められるべきだろう。 しかし、 ある対象の 「研究」 が学問の世界で市民権を得ても、 「専門家」 の領域に素人たちが流入するのを防ぐメカニズムは失効しない。 むしろそのメカニズムは、 それによって包摂される個々の学問分野の豊かさに反比例して、 透明な形式と化し、 安全な交流をうながし危険な混交を避ける整流装置となるだろう。
たとえば今日、 社会全体を見渡してある種の診断をくだせる学問として期待されているという意味において 「批評」 に最も近いのは、 哲学でも文学でもなく社会学である。 自身の専門領域に埋没する研究者を揶揄して 「タコツボ」 という表現が用いられるが、 この表現を提起した政治学者の丸山昌男が興味深い指摘をしている。 丸山によれば 「社会学」 は、 十九世紀後半以降の諸学問の個別化・専門化を受けて、 個々の具体的な内容ではなく人間関係の形式を問うようになった。 冗談だと前置きしつつも丸山は、 当初あらゆる国内業務を統括した日本の内務省が、 他の省庁の独立にともない、 警察をのぞく固有の業務を失っていった経緯に触れている。 「内務の主たる役目として最後にのこったのが警察──つまり社会の交通整理役だったということは、 変なたとえですけれども、 十九世紀の社会学の運命とちょっと似ているんじゃないかと思うのです」 4。 つまり、 乱立するタコツボのあいだでの 「交通整理役」 がどれほど必要不可欠であっても、 それは警察と同様、 暴走しないよう常に警戒してしかるべきものである。 かつて柄谷が、 対立する別個の立場のいずれにも定住せず移動する 「交通」 の一語を以って 「批評」 を語ったことを考えると、 なんとも皮肉なことではある。
この文脈では、 ミシェル・フーコーが提示した 「規律権力」 の概念と、 それを読みかえたジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの知見が助けになる。 フーコーの言う 「規律権力」 を目に見える形で示していたのが、 大量の囚人を効率よく統制・馴致する監獄の一望監視装置だった。 5いつどのように見られているかわからない囚人たちは、 やがて、 個々の独房のなかでしかるべき行動規範を取りこんで自らを律するようになる。 支配は、 被支配者による自己支配となる。 しかもこの装置は、 実際に看守が特定の囚人を監視していなかったとしても機能するよう設計されているので、 力を持った上位者とそれに服従したり抵抗したりする下位者という権力構造のイメージに修正を迫る。 この 「規律権力」 は、 必要に応じ警察に通報する一般市民の相互監視によって社会全域に浸透する。 フランツ・カフカを論じたドゥルーズ=ガタリは、 「規律権力」 がピラミッド型構造の上から下へ行使されるものではなく、 いわば隣り合った小部屋同士で作用するものととらえた。 「資本主義のアメリカ、 官僚制のソ連、 ナチスのドイツ──実際、 分節されて隣接したノックによって、 カフカの時代にドアを叩いていた来るべき《悪しき力》」。 6戸を叩くノックの音という比喩は単なる装飾ではない。 今日の規律権力は、 マンションの自室で騒ぎをおこせば、 静かにしてもらえませんか、 警察沙汰にはしたくないので⋯⋯と訴える、 懇願とも脅迫ともつかない曖昧な、 隣人同士の権力である。
学問の世界での 「研究」 の自由と安全を保障する警察に似た何かを、 「批評」 は問わねばならない。 政治経済の比喩で言えば、 今日のアカデミズムの 「自由化」 は、 資本主義を受け入れつつそれがもたらす不平等の是正を目指す社会民主主義的なものにとどまっている。 難解な理論を応用してライトノベルやアイドルを真面目に分析すること自体を下らないと切り捨てる権利は誰にもない。 しかし、 多様な意見が取り交わされる空間は、 それを支える権力と暴力を否定しないばかりか必要としている。 マイノリティを擁護する政党が一定数の議席を獲得することを受け入れる社会も、 議事堂が無数の貧民に占拠されることには尻ごみする。 「貧困がそのテリトリーつまりゲットーから出てくるとき、 いかなる社会民主主義が、 発砲する命令を下さなかったであろうか」 7とドゥルーズ=ガタリは書いている。 このことに無自覚な言説は、 「研究」 と峻別された意味での 「批評」 とは言えない。 「批評家」 風のエッセイを書く教授たちは、 高尚な文化を享受する富裕層に似てくるし、 軽視されてきたサブカルチャーの 「専門家」 は、 さしずめ貧しい家庭に生まれながら成功した企業家のようだ。
アカデミズム内部の規律権力を具現化しているのは、 例えば、 文字通り個々の学問分野と他分野の危険な衝突を回避するための、 学術論文の査読制度である。 もちろん学位審査もこれに準ずる。 それは専門家の権威であり、 教授と学生、 教える者と教わる者とのあいだの権力である。 ドゥルーズが極めて博識な哲学史家だったのは言うまでもないが、 その彼は、 哲学史こそ若い哲学徒たちを虐殺していたとも語っている。
哲学史というものが哲学における抑圧の機能を果たしていることは明らかだ。 あれは哲学におけるオイディプスだ。 「あれこれ読んで、 あれについてのこれを読まないうちから、 まさかきみは自分の名において語るつもりじゃあないだろうな」 というわけだ。 8
参考文献の少なさ (だけ) を指摘して何か意義のあることをした気になる査読者や博士号の審査員が、 こうした抑圧の声を発している場面は容易に想像できる。 すでに触れたカフカ論で、 ドゥルーズとガタリは規律権力を、 膨れあがり拡散したオイディプスに喩えていた。 カフカの短編 「判決」 に描かれる父親のみすぼらしさは、 彼が息子に死刑判決を下す権威を持つことと矛盾しない。 自らを押さえつける力に屈従する父は、 その力に抗して立ち上がろうとする息子に対してのみ、 上位者として思うままその力を振るう。 あたかも、 専門外のことには慎み深く寡黙な専門家が、 相手の話が自身の縄張りに一歩踏みこむや門外漢の無知を声高に嘲るように。
大学が 「学際的 (inter-disciplinary)」 になろうとも、 学問の場で流通する言葉を規制し、 一方的に沈黙させられる権力は、 厳然と存在し続ける。 自由を奪っているのが明白な監獄は、 そのわかりやすさゆえに、 かえってフーコーの 「規律権力」 への分析の威力を狭い範囲に限定して監禁してしまいかねないわけで、 だからこそドゥルーズが言うように、 「しなやかで可動的な機能、 制御された交通、 自由な環境にも浸透して監獄などなしですますことを教えてくれる、 ある組織網全体」 9こそが問われねばならない。 具体的に思い描きやすい 「監獄」 にとどまらない 「規律権力」 は、 実にとらえ難い。 監獄の囚人が (実在すらしないかもしれない) 看守の分身を自分自身のうちに住まわせるように、 査読済み論文の余白には透明な文字で共著者としての査読者が署名している。 携帯型電子端末を手放さない市民を介して、 警察は自らが不在の場所にもその触手を伸ばせる。 私たちは移動式タコツボの運転手だ。
今日この透明な力は、 大学制度の内外で常に働いているが、 それを問題として認識しにくいのにも理由がある。 査読が一種の編集であることはわかりやすいが、 商業的媒体の編集者ならば、 ある原稿をそれが売れそうにないという理由で却下してもかまわない。 人々がネットで盛んに自己主張するのは、 当たり前のことだが、 誰であれ自分自身の内面に関することなら自分が一番よくわかる 「専門家」 だからだ。 特にいわゆる SNS において、 ある情報を拡散するか否かが単なる好き嫌いの問題であることも多々あり、 そのとき生じているはずの無数の微細な 「査読」 に責任など求めてもあまり意味がない。 市場原理と社会民主主義の結託のなかで生きている限り、 そこに生じる欺瞞を欺瞞として認識することすら難しい。
しかし、 今日の大学がどれほど市場原理にさらされようと、 人文学は (建前としてであれ) 人間の自由と平等を理想として掲げざるを得ない。 裏返せば、 その者の肩書きや発言の場の如何に関わらず、 普遍的な理念に訴えて語る者は、 そう語っている自身の行い自体がその理念に照らして妥当か否かという問いを避けることが、 理論的にはできない。 だからこそそれを避けるためには、 理論では正当化できない 「権力」 や、 その権力を保証する 「制度」 が暗黙のうちに必要となる。 知的制度自体の権力こそ、 その制度に従い生産される言説が真っ先に問い直さねばならないものであり、 かつ、 問い直すのが最も難しいものでもある。 ところで、 査読制度の避け難い弊害のようなものを証明する論文がどこかの学会誌の査読を通過しなかったとしたら、 それはその論文の過ちを証明するだろうか。 通過したとしたら、 そこに書かれていることを真に受けていいのだろうか。 人文学の世界は、 ハインリッヒ・フォン・クライストの喜劇 『こわれがめ』 の法廷のようなものであり、 そこでは裁判官と罪人が同一人物となる。
今日の 「批評」 の責務のうちのひとつは、 「学問」 の教えをその 「学問」 を支える権威と制度にむけて突き返すことだ。 そんな試みに対して抵抗が生じないなどという夢は見るべきでない。 しかし、 そんな試み無しに人文学が健全に発展しうると考えるなら、 それは夢ですらなく欺瞞である。 アカデミック・ハラスメントに関する著作で湯川やよいは興味深い例を報告している。 K 教授は、 ある海外文献の邦訳にあたって修士課程在籍中のコウスケさん (仮名) 他数名に実質的な作業を任せきりだった。 にも関わらず、 コウスケさんたちの名前を共訳者としてすらクレジットにのせようとしなかった K 教授は、 度重なる抗議に耳を貸さず自らの単独訳として出版した。 いわゆるポストコロニアル・スタディーズが専門と思われるこの K 教授との衝突をふり返るコウスケさんを打ちのめすのは、 湯川が適切にまとめるように、
すなわち、 大学院の講義や翻訳などの 「アカデミック」 な議論の中では確かに K 教授と共有されていたはずの 「対話」 や 「暴力的でないコミュニケーション」、 「対等な人間同士の関係」 という理念・思想が、 そうした議論をより多くの人々へ伝えるという志のもとで行われた協働作業においては、 まったく実現されなかったという皮肉な状況に対する失望や悔しさである。 10
K 教授は、 査読した論文の価値を認めなかったからではなく認めたからこそその著者を沈黙させ業績を横領する、 最悪の査読者に喩えられる。 あるいは、 どれほどきれいごとを言おうと、 口にされない力関係こそが社会の実相であるというシニシズムを実に雄弁に教えてしまう暴力的な教員といったところか。 今日、 アカデミズムでもジャーナリズムでも、 人文学に基づいた知的探求と社会変革の努力にとって、 これ以上の脅威はそうそうあるまい。
本稿の着想の源のうちのひとつを、 ここに書き記しておきたい。 二〇〇八年三月、 来日講演が予定されていたイタリアの政治思想家アントニオ・ネグリに対して、 外務省は直前になってそれまで要求していなかった書類の不備を理由に、 実質的に彼の来日を阻んだ。 東京大学をはじめとする会場では、 ネグリ自身をのぞいて予定通り他の研究者たちが登壇した。 フランスの哲学者ジャック・デリダがもちいた 「物質なき物質性」 や 「メシアニズムなきメシア性」 という形容矛盾に近い表現を思いかえした私も、 この奇妙な 「ネグリなきネグリ講演会」 の聴衆の一人だった。 やはりフーコーの権力論を援用したある登壇者から、 現代の政治権力に対するネグリの分析の正しさがこうして逆説的に示された、 といった旨の発言があったことが思い出される。
こうした問題意識から、 以下本稿では、 ジャック・デリダとポール・ド・マンを取りあげる。 彼らの影響力が、 知的風土の違いを考えれば信じがたいほど、 アメリカや日本で広まったことは今更言うまでもない。 しかし彼らの名につきまとう 「脱構築」 は、 大学教員の苛立ちの源でもあった。 マルクス 『資本論』 の詳細な解説で知られるデヴィッド・ハーヴェイは、 かつてジョンズ・ホプキンズ大学で、 価値や商品といった基礎概念の意味を学生たちが嬉々として詮索するため、 購読が遅々として進まなかったと回顧している。 要求してもいない 『資本論』 原書まで持参した彼らの背後に、 陰謀の黒幕の如くデリダが君臨していると知り、 学生に 「こんなやり方を焚きつけるとは、 知的にとは言わないが政治的にはバカ」 11に違いない、 とハーヴェイは確信した。 あるいは、 その学生たちこそが、 師の教えを曲解するバカだったのかもしれない。 とにかく、 彼らに対して師としての勤めを果たせず歯噛みするハーヴェイが、 脱構築に侵食される大学で例外ではなかったことは、 一九九二年、 デリダにケンブリッジ大学の名誉学位が授与されることに反対した教授たちがいたことからも知れる。 12
そんなデリダとド・マンは、 「去る者日々に疎し」 (Out of sight, out of mind) とは違ったたぐいの忘却にさらされている。 彼らを 「研究」 することはできる。 だからこそ、 彼らの脱構築に対するアカデミズムの抵抗が忘れられる。 ド・マンはあるインタビューで語っている。
よく言われることですが──そしてそれはある程度までは本当のことですが──デリダのテクストと彼の著作の中の、 何であれ大胆なもの、 何であれ本当に転覆的で鋭利なものは、 彼を学問化すること、 彼を文学を教えるための方法のうちのひとつにしてしまうことで骨抜きにされてしまうということです。 13
以下に見るように、 デリダについてのド・マンのこの評言は彼自身にも当てはまる。 骨抜きにされていない脱構築は、 アカデミズムにとってどう危険なのか。 デリダとド・マンを、 勇敢に新たな知の領域を征服した武将オセローとしてではなく、 その武将を破滅させる、 腹に一物あるイアーゴーとして読む術が模索されねばならない。 (つづく)
注釈
- http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/karatani/020418.html
- ポール・ド・マン 『理論への抵抗』 (大河内昌・富山太佳夫訳, 国文社, 1992 年) 235 頁 (以下 RT と略記)。 以下、 海外文献からの引用は邦訳における対応箇所のみを示すが、 原文を参照し適宜訳語は変更する。
- ポール・ド・マン 『盲目と洞察―現代批評の修辞学における試論』 (宮崎裕助・木内久美子訳, 月曜社, 2012 年), 209 頁。 以下 BI と略記。
- 丸山真男 『日本の思想』 (岩波新書, 1961 年) 131-32 頁。
- ミシェル・フーコー『監獄の誕生: 監視と処罰』 (田村俶訳, 新潮社, 1977 年) 202-05 頁。 ただし、 フーコーの言う規律権力がそれに後続し、 人々をより自由に行動させつつ管理する権力と本質的に別物と言えるかどうかは微妙な問題である。 この点で私はフーコー自身よりもむしろ、 やはり規律権力の概念を用いてヴィクトリア朝の英国小説を論じた D. A. ミラー『小説と警察』 (村山敏勝訳, 国文社, 1996 年) に多くを負う。 特にチャールズ・ディケンズ 『荒涼館』 を分析した第三章 (84-138 頁) を参照。
- ジル・ドゥルーズ, フェリックス・ガタリ 『カフカ:マイナー文学のために』 (宇波彰・岩田行一訳, 法政大学出版局, 1978 年) 117-18 頁。
- ジル・ドゥルーズ, フェリックス・ガタリ 『哲学とは何か』 (財津理訳, 河出文庫, 2012 年) 185 頁。
- ジル・ドゥルーズ 『記号と事件― 1972-1990 年の対話』 (宮林寛訳, 河出文庫, 2007 年) 16 頁。
- ジル・ドゥルーズ 『フーコー』 (宇野邦一訳, 河出文庫, 2007 年) 84 頁。
- 湯川やよい 『アカデミック・ハラスメントの社会学 学生の問題経験と 「領域交差」 実践』 (ハーベスト社, 2014 年) 258 頁。
- David Harvey, A Companion to Marx’s Capital. (Verso, 2010), 4.
- ジェフ・コリンズ, ビル・メイブリン 『デリダ』 (鈴木圭介訳, ちくま学芸文庫, 2008 年) 11-17 頁。
- ド・マン, RT, 230 頁。