杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第22回: 独りのための言葉

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2017.
01.10Tue

独りのための言葉

この二ヶ月ほどピーター・ケアリー『イリワッカー』をちびちびと読み返しています。これまでに読んだうちでいちばん大好きな本です。読むのにとても時間がかかります。好きな本は読むのに時間がかかることが多いです。世の中の速度にはなかなかついていけません。世渡りというゲームに長けていればそもそも小説なんて読みません。一冊の本は孤独を結び目としてたくさんの本に(ひとに、ではなく)つながる網です。その営みはそれぞれの孤立した事情でありソーシャルとは対極にあります。作家の仕事は読者との交流ではないのです。孤独のありようを書くことです。読んだひとが勇気づけられることもありますが、それは交流ではありません。

「人格OverDrive」はさまざまな本がつながっていることを見せるサイトですが、回遊性を上げると閉塞し息苦しくなります。外からの流入もありません。運営者に社会性がないのでソーシャルな流入も想定していません。読書は個人的で孤立した営みであり、汎用性がないからこそ個人の人生(ほかのだれでもないそのひとだけのローカルな事情)に寄り添えます。でも、その汎用性のなさに忠実であればそもそもこのサイトに意味はあるのか。……まぁ、ないんですけどね。意味なんて。孤立したそれぞれの気持や、人格や、人生やなんやかやに社会的な意味なんてないように。読書がそうであるように。

ある人気映画の続編がつくられ、アフロアメリカンの女性が主役のひとりを演じたところ、ソーシャルメディア上で暴力が集中したそうです。運営は大勢の加害者らになんらかの対策を講じることはありませんでした。代わりに人目につかない場所へ被害者を呼び出して「話し合い」をしようとしたそうです。著名人でさえそんな目にあいます。ましてたとえば人気アカウントに暴力をふるわれたら、より影響力のある強力なアカウントでないかぎり、どうしようもありません。だれもが加害者の肩を持ち、あなたは一方的に悪者にされるでしょう。ひとりひとりの孤独に寄り添う読書とは対極のもの、それがソーシャルです。メリル・ストリープさんはそうした暴力を「われわれみんなの負け」と表現しましたが、はたしてそうでしょうか。どう見ても加害者らのひとり勝ちに思えます。読書にはまだ、そうした暴力に抗う力が残されていると信じます。

……といったことを書いたら、マーケティングを専門に学んだという方から、「笑いものにされ淘汰される」とお叱りを受けました。笑いものにして淘汰する側に立つのが正しいといわれても……うーん……まぁ世の中的にはそれが正しいんでしょうけれど、本は、正しい人間のためのものなのでしょうか。これから寝床で『イリワッカー』のつづきを読み返すのですが、それすらも世間から指をさされ笑われているような心持ちがします。本をとりあげられたら、独りぼっちのわたしたちはどこへ行けばいいのでしょう。個人的にはいつだって、笑いものにされ淘汰される側に立ちたいです。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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