杜 昌彦

GONZO

第15話: ハッピー・ピープルズ・スクールタイム

書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2020.11.20

生まれた元号を口にすると若い子からは知ってるバブルでしょ太い眉と肩パットお立ち台で札束と腰を振ってたのと問われるけれどさすがにそうした流行は歴史教科書でしか知らないとはいえだれもマスクを着けていなかった時代を知っているのは確かだし世界が一変したまさにその年の姫川邸襲撃事件とそれにつづく誘拐について鮮烈な記憶を持つ世代であるのもまた事実なのであるあなたはあのときどこで何をしていただろうか少ない情報を憶測と妄想で膨らませた報道とも呼べぬ報道が公然かつ執拗にくり返されたあの日々親しくなどなかった同級生や近隣の住民が友人知人と称して嬉々としてインタビューに応じ専門家と称する連中や知的に見られようとする芸人がしかつめらしい顔でゴンゾとミコトを侮辱するのをあなたはどこで見ていたろうか
 わたしは高校生だったミコトのような浮世離れした美貌と知能を持ちただそこにいて呼吸するだけで人目を惹く人間ではない同じ部屋にいても家族にさえ忘れられるような何ひとつ取り柄のないどこにでもいる凡庸な十七歳だった同世代の多くがそうであるように関心は政治でも国際問題でもなく中間試験や進路やファッションや化粧アイドルや恋愛ドラマにのみ向けられた姫川尊に対してでさえその時点ではさしたる関心はなかった噂はたびたび耳にしていたものの学級が違ったし彼が不登校になってから数ヶ月も経っていた接点のない高嶺の花それも物騒な毒を備えた美しすぎる花のように思っていた遠くから垣間見た姿を再び目にする機会はないと思っていた
 翌朝の学校は大騒ぎだった同級生の家が武装強盗に襲われ使用人も駆けつけた警察も皆殺しにされたそれだけでも充分に煽情的なのに拉致されたのはあの姫川尊であるソーシャルメディアのおかげで報道協定は有名無実と化した塞いでも湧き出る泥水のようだった新聞やテレビは爆発的に拡散する情報の後追いをせざるを得なかったほとんどの生徒は友人知人やフォロワーを通じて朝までに事件を知ったそうでなくとも校門前に詰めかけた報道陣に登校を阻まれカメラやマイクを突きつけられて厭でも知らされるはめになった教師たちは動揺しながらも授業を強行したが生徒はだれも聞いていなかった昂奮して私語を交わすばかりだっただれもが堂々と携帯を弄って入手したての噂をソーシャルメディアに垂れ流したでたらめに満ちたその情報は一瞬のうちに数万回も共有されけばけばしい字幕やハリウッド映画から借用した音楽つきでテレビに取り上げられた悪意の拡散はだれにも制御できなかった兇悪犯に拉致される姫川尊のイメージは増殖するウィルスさながらに世界へ蔓延した
 姫川家が父子家庭であるのをその日まで同級生のだれも知らなかった母親は彼が幼い頃に失踪していた父親と祖父それに彼らの秘書は勤務先にいて無事だった広大な邸宅で使用人十数名と警官数名及び十数名が遺体となって発見された当初は身元不明の遺体は加害者であることが疑われ実際にそのようにも報じられたがのちにほぼ全員が警察の特殊部隊員であったと判明する事件発生当時離れにいた姫川尊ただひとりが行方不明つまり彼の遺体だけが発見されず拉致されたものと思われた犯行声明も身代金の要求もなかったうずたかい屍体の山を残して犯人と人質は消えた邸内に無数に設置された監視カメラの映像には何も記録されていなかった配電設備と電話線が破壊されていた犯行集団は暗闇になった邸宅を襲ったらしかった事件当時の状況には不明瞭な点が多かった広大な敷地では普段から携帯が通じにくかったとも犯行当夜には通信抑止装置による電波妨害があったとも囁かれた匿名の通報で機動捜査隊が急行したときにはすでに累々たる屍体の山で生存者はひとりもなかったとも噂された
 報道合戦はソーシャルメディアに負けてはならじと過熱したマスメディアは連日特集を組みどんな小さな情報でもお寄せくださいと姫川尊の顔写真をくり返し掲げたそして寄せられた噂を検証もせずに垂れ流した奇妙にもそこで用いられた画像は中学時代の制服姿ばかりだった集合写真の右上に枠で囲まれたその美貌は熱狂的に持て囃されネットミームと化した失踪時の服装はテレビの報道では不自然にも言及を避けられた女装癖がインターネット上で衆知となっていたにもかかわらずである不名誉と考えた姫川家が伏せさせたのかもしれなかった数代前からの姫川家の醜聞を書き立てた週刊誌は飛ぶように売れた女装の噂を含む御曹司の素行についても数行触れられていたが写真がないだけに説得力に欠けた
 姫川工業と警察は合同で記者会見をひらいたホテルでの惨劇や古書店の火災と謎の焼死体についても関係が疑われている旨が報じられた不在で難を逃れた姫川父子は対照的だった社長である息子の直継が憔悴しきっているのに対して会長の宗一郎は泰然自若として財界の会談や株主総会での態度と何ら変わらぬかに見えた前者が年齢不相応の黒髪で体型も痩せており柔和な顔つき三つ揃えの濃紺スーツをそつなく着こなしているのに対して後者は恰幅がよく白髪でひげをたくわえておりスーツは古風なダブルブレストでいかにも尊大傲慢で頑固そうな面構えだった前者は子を思う父親後者は既得権益の象徴であるかに視聴者には映った直継社長は夜九時台の報道番組にも生出演し視聴者に涙ながらに訴えたソーシャルメディアでは同情と揶揄の声が同じくらい集まった会長が非人間的であるとの声はそれ以上に多かった
 特殊犯罪テロ対策課はなぜ機動捜査隊よりも先に事件を知り得たのかなぜそんなにも早く現場に到着できたのかそして特殊部隊を殲滅し得るほどの武装勢力がどうやって姫川邸を抜け出し行方を眩ましたのか謎は陰謀論めいた憶測を呼んだそれは金になり疫病で閉塞した時勢のガス抜きとなった新聞社説やワイドショー出演者は心配ですねとか健康状態が気遣われますなどと取り繕いつつも口々に姫川尊の落ち度をほのめかした美貌や素行が拉致の要因となったといわんばかりだった世間は一億総評論家と化したマスメディアでもソーシャルメディアでも命乞いのために犯人を誘ったのだとも抵抗して殺されるべきだったとも論じられた
 あの昼休みをきのうのことのように鮮やかに思い出す同じ中学出身の同級生らが輪の中心となっていたわたしは加わらずに遠巻きに見ていた話題をリードしている男子たちが怖かったのだ男子三名と女子二名が中心いわゆるスクールカーストの上部に属する生徒だったほかの中学から集まった同級生がまわりを取り巻いていたあいつまじ有名人じゃんと男子がいったユーチューバーの何某なにがしにもネタにされてると女子がいったグループに招待しようぜとだれかがいい笑い声とともに賛同の声があがった
 姫川尊誘拐事件に取り憑かれるのはずっとあとのことでその時点では何の思い入れもなくなぜ自分が不快になるのかわからなかった実のところいまだにわからない縁もゆかりもない他人でしかなく顔でさえ中学を卒業してからほとんど見ていない芸能人の話題と何ひとつ変わりはしなかった己を投影する余地は微塵もないはずなのだ姫川尊の人間性に問題があることは見聞きしていたし中学時代の友人が実際にひどく傷つけられる場面も目にした人格の罪は問われるべきかもしれないがだからといって怖ろしい事件の被害者をソーシャルメディアで称賛されるネタとして消費するのも受け入れがたかった
 底意地の悪さや高慢さは倫理に反してはいても法に触れない何より姫川尊はその悪行で何ひとつ得をしなかった自らの評判を貶め得られたかもしれぬ愛を喪いひとびとを遠ざけただけだ孤立したのは加害者である彼自身だった犯罪はその逆だ被害者の人生を奪い孤立させることで養分を得る敬われ崇められる者さえ珍しくない邪悪さでは同じでもまるで別なのだ世間知らずで幼かった十代の少女がそこまで考えたわけではないしかし姫川尊を笑いものにする同級生らに強烈な違和感を憶えたのは確かであるいはそのことが今日こんにちの執着に至る芽をわたしに植えつけたのかもしれないそしてその矛先は同族嫌悪にすぎなかっただれよりも許せないのは傍観していた自分自身だった
 どうして姫川尊の連絡先を入手できたのか知りようもないがとにかくカースト上位の彼らは招待を実行したあたかも安否を気遣うかのような親しげな文面を意見を出し合い芝居がかった口調で音読しつつ作成した送信ボタンが押されると爆笑が起きたわたしはその様子をただ黙って見ていた教室の片隅で背を丸め不快な嵐が過ぎ去るのを待つだけの何者でもない凡庸な少女には彼らを止められなかったでき得ることなら過去を書き換えたいところだが欺瞞に満ちたこの物語においてさえそこまでの嘘はつけないわたしは彼が侮辱されるのを看過したそのことを偽ろうとは思わない
 だからこの物語はわたしなりの贖罪でもあるのかもしれない姫川尊本人にとっては関わりのないことだし彼が読めばきっと冷ややかに蔑むに決まっているけれど


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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