杜 昌彦

GONZO

第17話: 古き良き亡霊

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2020.12.27

 前世紀末の集団自殺は生まれる前の出来事ではあるけれど、年長者たちがことあるごとに引き合いに出すので、あたかも同時代を経験したかのような錯覚にとらわれる。やりたい放題のでたらめを尽くした教祖が癌で息を引き取るとともに、幹部らは警察の追及を免れるため、麻薬で昏睡する信者もろとも施設を焼き払った。それは大地震や無頼派作家の失踪事件とともに、バブル崩壊後の企業破綻や広がる格差、自殺率の上昇といった暗雲が、この国の社会に立ち籠める兆しとなった。その事件が梶元権蔵のルーツであるのは、姫川邸の虐殺とそれにつづく誘拐が、疫病で世界が一変したまさにその年に起きた事実と相まって、何か奇妙な象徴のように感じられる。
 教団にはいかがわしい儀式の産物たる子どもが大勢いて、多くは知能や情緒の発達に障害があった。俗世に染まらせてはならじと義務教育すら受けさせてもらえず、麻薬を混ぜた食事を与えられ、社会常識の代わりに教義や暗殺を叩き込まれて育ったがゆえである。敵対する地域住民や弁護士を消すには子どものほうが、油断させて近づくにも不法侵入するにも都合がよかった。ゴンゾもそのひとりで、出生届も出されず親がだれかも定かでなかったから、梶元なる姓も教義と同様のでまかせだった。同じ境遇の仲間は大半が訓練や任務で命を落とした。残りの多くも集団自殺を生き延びなかった。口を塞ぐために殺されたり、昏睡して炎に呑まれたりした。
 信者に麻薬が配られ、火が放たれたそのとき、ゴンゾは己を殺人機械に育てあげた大人らを、混乱に乗じて皆殺しにした。燃えさかり崩れ落ちる梁をかわし、降りかかる火の粉を払い、狂い踊る男女を突き飛ばし、昏睡者を踏みつけて炎の渦をかいくぐる。黒い錠剤を服まそうとした男を皮切りに、信者から巻き上げた金品を抱えて逃げんとする幹部らを、教育された通りにひとり、またひとりと手際よく殺害する。裂かれた頚から鮮血がほとばしり、倒れた遺体を炎が舐め尽くす。何台もの消防車とすれ違い、サイレンから逃げ、気がつくと刻文町の路地裏にいた。そのようにして彼は自由を獲得し、生きてゆくのに必要な知識を何ひとつ持たずに、丸裸も同然で外の世界へまろび出たのである。命じられずにひとを殺した初めての夜であり、いわば世界に生まれ直した瞬間だった。
 くたくたになるまで働き過ぎると、ゴンゾは決まって炎の夢を見た。姫川邸の虐殺を切り抜けて海辺の観光地で過ごした夜もだ。何しろ記録的な大仕事をこなした直後である。忌まわしくも懐かしい少年時代はパチパチと爆ぜ、渦を巻いて襲いかかり彼の膚を灼き毛を焦がした。ミコトにしても似たようなもので、彼の性的指向が実際にはいかなるものであったにせよ、のちに雨後の筍のごとく制作される映画や再現番組で描かれたような、幸福な夢など見ようはずもない。序盤の見せ場とされがちなくだりではあり、読者の期待は重々承知しているが、もとより険悪なこのふたりに、BがLする甘ったるい場面を演ずる余地はなかった。デブの殺し屋は肉体労働、拉致された美少年は感情労働に疲れ果て、両者ともに朝まで泥のように眠ったのである。
 だれにも愛されず、ありとあらゆる欲求を抑圧されて育った反動か、中年となるに至り猪八戒のごとく喰い意地のはったゴンゾではあるが、朝食には奇妙なほど執着がなかった。寝る直前まであれだけ食べるのだから無理もない。いかにも旅館の朝食といった料理には手を着けず、ミコトを残して青葉市に戻った。ミコトは浴衣の胸元をはだけ、メドゥーサのごとく枕に髪を乱し、眉間に皺を寄せて眠りこけていた。握り締めた左手の手首には蚯蚓みみずが這うような疵痕が並んでいた。性別に関わりなく、相手が寝ている隙に逃げるように立ち去るのがゴンゾの性分だった。他人と迎える朝が苦手だったし、この日はとりわけ留まってはいられなかった。戻るつもりは一応あったが、残してきたギターケースとともにミコトが姿を消していればそれはそれで構わなかった。炎に包まれた「実家」と姫川家の虐殺を自覚なしに重ねていた。ひとりで放り出されたのはほぼ同じ年頃だった。
 放り出されたつもりが実際には、放し飼いにされた家畜も同然だったとのちに気づくのだが、教団の内と外を行き来していた教育係から、当時すでに老人だった刻文町の中華料理屋へと売り飛ばされたのちは、ゴンゾは「親爺」のほかに頼れる相手を知らなかった。隠し通せるとは思わぬながらも、腹の底からは信用しておらぬ老人に、自分とミコトの居場所を告げる気にはなれなかった。昨夜の電話でも田澤老人は、これほどの厄介に巻き込んでおきながら、何ひとつ事情を説明するつもりはないようで、派手にやらかしたなと叱責するばかりだった。未然に防ぐのを期待したのであって、起きちまってからあんな真似をしろとは頼まなかったというのである。知るかよとゴンゾは答えた。頼まれたのはあのくそ生意気な餓鬼の子守だけだ、やり方までは指図されてない、義務は果たしたろうが。それに対して老人は、あんたのことだ、多少の無茶は覚悟していたが、ここまで金のかかる真似をされるとは思わなんだと苦言を呈し、ゴンゾはゴンゾで、後始末はあんたの役割だ、餓鬼はこっちでどうにかするとやり返した。殺し屋のどうにかするは不穏な気配が漂うが、助手席のミコトは聞いているのかいないのか、風に髪をなびかせ扉に肘をついて、流れる景色をむっつり眺めていた。
 それが昨夜のやりとりで、陽が高くなろうとするいまゴンゾは、開店前の中華料理店に入っていった。薄暗い店内ではひっくりかえされた椅子がテーブルに乗ったまま。カウンターにもたれて小瓶のラムネを飲んでいたチャイナドレスの孫娘は、あたかも関心がなさそうにゴンゾを眺めた。異常者特有のその視線はミコトにそっくりで、獲物として値踏みされるのをゴンゾは感じた。この女に較べたら昨夜の特殊部隊は、せいぜいがよく訓練された素人にすぎないと思われた。火のない厨房は暗く静かだった。岩のような顔の大男がビニールクロスを掻き分けて現れ、ゴンゾを認めると厨房前のテーブルから椅子を降ろした。雑巾でテーブルを拭いて男は暗い厨房に消えた。入れ替わりに現れた渋面の老人が定位置に腰を下ろした。
「どうして戻った」
「電話じゃ話にならないからな」ゴンゾは向かいに着席した。「洗いざらい教えろ。いったい何が起きてる。おれは何に巻き込まれたんだ」
「あの子はどうした」
「ご執心だな。親爺さんらしくない。やっぱりあの餓鬼に何かあるんだな」
 田澤老人は小さな肩を揺すった。「知りたいのはこっちさ。古い友人だから引き受けた。不登校児としか聞いてない。腕っ節の強いのをよこせといわれて妙な話だとは思ったがね」岩男が天然水の小瓶とグラスを持ってきて水を注いだ。老人はグラスを口へ運んだ。孫娘が老人にしなだれかかり、口許に笑みを浮かべてゴンゾを睨んだ。
「それで殺し屋を家庭教師にあてがうのか」
「堅気じゃ手に負えないようなんでな。おまえさんも手を焼いたようじゃないか。一度引き受けておきながら断るなんておまえさんらしくもないと思ったら、蹴り倒されてすごすごと帰ってきたって? おかげであたしは面目丸潰れだ。日本中に恥を晒したよ。ここまで派手にやられちゃマスコミも黙らせちゃおけない。いったい幾らかかると思ってる」
 自分には飲み物が出されないのにゴンゾは気づいた。もとより砂糖水に興味はない。普段からそうしてくれよと思った。急に酒がほしくなった。
「餓鬼の命は護ったろうが。ソーシャルメディアじゃどこの軍隊の仕業だって噂になってるぜ。恥どころかいい宣伝になったはずだ。その幼稚な屁理屈でいつまで誤魔化すつもりだよ。駅で殺された週刊誌記者は姫川工業を調べてたそうじゃないか。ITに強い記者でトロイの木馬やらウィルスやらの記事が専門だった。それがなぜ畑違いの取材をしていたんだ」
「おまえさんが知る必要はない。嗅ぎまわってどうする。探偵でも開業するのか」
「将棋の駒は身の程を知れってか? 携帯くらいおれだって使える。昔と違って調べる手はいくらでもあるんだ。あんたが黙ってもおれはいずれ答えを見つける。手間を省かせてくれよ。何もあんたの帳簿しょうばいに口を出そうってんじゃないんだ。仕事に必要な情報をよこせといってんだよ」
「贅沢になったものだな。昔はあの男だ、とただ指させば済んだ。あの痩せっぽちの若造はどこへ行ったのかねぇ。ほかに何が必要だというんだ」
「報酬だね」
 老人は大げさに溜息をついた。「充分に払っとるだろう」
「金や埃臭い漫画本の話じゃない。『実家』との関わりがあるんだろ。たかが釣り餌なら出し惜しみするなよ。鏑木ってのはどんな警官なんだ。ただの変質者じゃないのはわかってる。あれはプロの手口だ。ある種の警官なら女や外国人に何をしようがお咎めなしだ。あいつはそれを利用してた。逃げるためにやったんじゃない。殺すために痴漢をやったんだ。姫川宗一郎はなぜおれにあのお巡りをらせて孫の子守まで命じたんだ」
 闇夜に鉄砲だったが命中したようだ。あるいは初めから話すつもりはあったのだろう。勿体をつけるほど意外な内容とはゴンゾは感じなかった。老人はまた芝居がかった溜息をつき、鏑木が教団の残党である旨を告げた。


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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