話題の映画原作、 人気ドラマ脚本家の処女長編にしてエドガー賞候補、 なる華々しい謳い文句に騙された。 期待が高かっただけに失望は大きかった。 よくある話をあえて書くなら人間を書くかおもしろく書くかどちらかしかない。 この小説の著者はどちらもやらなかった。 プロットはよくある話をただなぞっただけ、 ひねりも何もない。 この手の話でこういう展開なら当然こういう結末になるだろうというのが芸もなくただ書いてある。 あまりにつまらないので逆に驚かされた。 こんなものをわざわざ出版する厚顔さに呆れた。 プロットばかりか人物描写もよくあるパターンをただなぞっただけ、 いやよくあるパターンのほうがむしろまだしも臭いや生々しさがある。 よくあるパターンを脱臭し漂白し殺菌消毒した味も素っ気もない紙人形以下だ。 生きた人間に似たところはひとかけらもない。 話も借り物、 人間もいない。 いったい何のために書いたんだよ。 最初からいやな予感はした。 主人公はおれと同年代なのだが十八歳の子どもに向ける視線がいちいち過剰に性的なのだ。 中学生ならともかく四十過ぎの男があの描写はない。 しかも子どもをそのように見るのだ。 社会病質だからという説明は一応あるが大した説得力はない。 明らかに均衡を欠いていて小説を成り立たせる最低限の技術水準を満たしていない。 そうした視線を向けられる側の子どもにしても、 いかにも 「よくある話のよくある登場人物」 を頭のなかで再現して書いてみました、 といったぞんざいな書かれようで、 デッサンの狂ったアニメ風の落書きを中学生にドヤ顔で見せられたかのような気分になる。 だからちゃんと書けばあるいは読者に涙を流させたかもしれない結末も、 ただよくある話のよくある結末というだけに終わる。 逃亡劇というほど逃げまわりもしないし起伏も何もあったものではない。 子連れで逃げるからといって心の交流なんてものをいちいち書かねばならぬという法はない、 それはそうなのだが、 だったらもっと容赦のないハードなアクションがあったっていいだろう。 なんの交流もなくただいかにもありそうな人物がただいかにもありそうなパターンで登場するだけ、 それでこのひねりも何もない、 それどころかノワールを気取っていながらアクションも何もないプロット、 かといってミステリ的なひねりすら何もない結末。 何がしたいの。 なぁ何がしたいんだよ。 もしかしたらこういう 「よくある話をただなぞりました」 というのが最近の流行なのかもしれない。 人間が描かれていたり人生への洞察があったり読者を夢中にさせるプロットや語り口があったりすれば異物のように厭われる。 味も臭いもないから受け入れられるのかもしれない。 新しいものやおもしろいもの、 味のあるものを見せられても現代の読者は受け入れられないのだ。 すでにあるもの、 だれもがよく知っているものを無味無臭に再現して差し出せば、 馴染みがあるから安心だ、 ああ噛まなくていいから食べやすい、 と喜ばれるのかもしれない。 味のない純粋にただの再現、 見飽きたもののくりかえしが金になるのかもしれない。
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逃亡のガルヴェストン
by: ニック・ピゾラット
ついにおれの運も尽きたか―。ロイはこれまで闇の仕事で生きてきた。しかし癌の宣告直後、ボスの裏切りにあい、追われる身となってしまう。成り行きで道連れとなったのは、ロッキーという家出娘。金に困って娼婦をしていたらしい。こうして、孤独を愛する中年の男と、心に深い傷を負った女の奇妙な旅が始まった。ロイは、ロッキーがまともな道を進むことに残りの人生を賭けようとする。だが、果てなき逃避行の先には…。ダークな情熱と、静かなる感動をたたえた、アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞候補作。
¥1,430
早川書房 2011年, 単行本 273頁
特集: ロード・ノヴェル
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読んだ人:杜 昌彦
(2019年07月14日)
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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