ガラテイア2.2
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ガラテイア2.2

リチャード、と彼女はささやいた。彼女の名前はヘレン、最新型の人口知能―『舞踏会へ向かう三人の農夫』の天才作家が描く新世紀の恋愛小説。

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恋愛とAIに夢見すぎてキモい(途中までは圧倒的におもしろい)

読んだ人:杜 昌彦

ガラテイア2.2

22 年ぶりに読み返した作家になろうとしていた当時とヘンリー・ダーガーにすらなれぬまま老齢にさしかかろうとする中年のおれとでは読み方が違ったあの頃のおれはどんな物語でも目の前で起きている出来事についていくのに精いっぱい全体の構造も部分の仕掛けも見通せなかったいまは舞台裏で何をやっているかや動作の仕組みをいくらかは見定められるこの物語で記述されている機械学習の発展プロセスは空想的な演出ながら方法論としてはまさに現代のわれわれに馴染みがある AI そのものに思える当時はそんなものが身近に実在しなかったから最低限の読解もできなかった鉄腕アトムのように心を持つ機械との空想的な冒険を期待し裏切られるところがよいなどと筋違いの理解をした恋愛についてはただそういう筋だとしかわからなかった主人公と同様にほかの男といた女の帰りを待つ経験をしたあれはもうふた昔も前の話なのだ回想する三十代を回想する四十代としてこの本を読んでいるいまはまるで逆の印象をもった

 ウェブ上の膨大な言葉を機械的かつ脱法的に取得する代わりにひとりの作家が声を吹き込むあたりは比喩あるいは物語ならではの嘘として割引くとして、 「圧倒的に並列なパターン照合さわしらは論理的な生き物のふりをしているだけだ実際のところはいくつかの制約を見つけてそれからブロックを穴に落ちるまで際限なくぐるぐるまわしているのさなんてのはいま現実に使われている AI を正確に言い当てたように思えるし、 「必要なのはレンツのような人間がときどきもう一度やってごらんとかよくやった!とか言ってやることだけだったなんていまじゃだれもが墓場から盗んだ絵を寄せ集めて怪物をつくったり架空でありながら奇妙に実在の人物に似ている水着の女を生成したりするために試行錯誤しているプロンプトそのものだ情報量に圧倒されて秩序だった関連づけに失敗することを自閉症に喩えるくだりは現代の AI がその課題をついぞ解決せぬままマシンパワーでねじ伏せた歴史やよく知られた欠陥である作話ハルシネーション共感能力に欠陥のある自己愛的なひとびととの言葉心を持たない平気で嘘をつく筋の通らないこだわりを持つの再現である事実を思わせて興味ぶかい冒頭で描写されているインターネットがまさしく地球の半球二個分くらいのファイル・キャビネットになろうとはあるいはプラットフォーム企業が利用者をそのように食い物にするに至るとは当時は見通せただろうか冒頭の叙述と主題との結びつけの弱さからして薄々勘づいてはいたけれども具体的にどうなるかはわからなかったというあたりか。 「どこにでもあるヴァニラ色のワークステーションの原語が気になる技術的な文章において一般的にヴァニラは何も加えぬ素の状態を意味する語句だ実際に筐体の色ともかけたのかもしれないけれど

 知識とわかちがたく結びついた比喩はわかりにくいと当時は思った半端仕事にしがみついて生き長らえている現在のおれにとっては知的で高尚なご身分がちょっと鼻につくけれども企業のアルゴリズムやそれを利用した国家の操作に支配された社会においてはむしろ理解しやすいし登場人物が活き活きと描かれるおかげで笑えもする指導教官と主人公の会話は笑えるだけでなく現代の AI との比較としてもおもしろい書くこと作家になること小説家として成長することについての物語であるのも好ましい。 「いま書いている作品の結末で解決できないものが次の作品へとあふれて流れ込むのだなんて文章に共感したり、 「結局のところ物語というものはその物語が何についての話なのかを考えることについての話ではないか?なんてくだりには先日読みかえしたさらば甘き口づけが致命的にだめだったのはそこだよなと肯いたりもしたこんなにおもしろい小説だっけかあまり関心がもてない作家だと思っていたまた読まれてもいいんじゃないの大規模言語モデルの専門家の解説つきで新装版を出すとかすればいいのに⋯⋯などと昂奮しつつ読んだ途中までは

 幾度もの増改築を経て最終形態にたどり着き女児の名前と役割語翻訳上のこの決断には功罪あると思うが与えられたとたんに装置/物語は現実味とともにすべてを喪うAI は工学的な思考の冒険ではなく安易なロマンティシズムに堕するそれはたしかにいま現在の国家やプラットフォーム企業がひとびとを操って食い物にする手口そのものであり正確な予言になり得てはいるのだけれど意図され計算された技巧というよりは幼稚な空想がたまたまそうなった結果でしかないおなじロマンティシズムが語られる映画her/ 世界でひとつの彼女のほうがむしろ生身の恋愛を語る単純な比喩が見え透くだけに潔いこの小説はもうちょっと凝ったことをやっているだけにフィクションのあるいはアカデミックな地位を持つ男性としての危険性にあまりに無自覚すぎる工学的なご託よりも大本営発表やトロール工場から ChatGPT の作話ハルシネーションへと受け継がれた流れこそを作家は見通すべきだった主人公は過去の恋愛を他人に投影してストーカーとなりAI をだしに口説いて逃げられるだしにされた AI にも逃げられるスカーレット・ヨハンソンにふられるホアキン・フェニックスのようにしかしどうして多くのフィクションは恋愛を主題にするのだろう社会的あるいは身体的能力に秀でた特殊なひとびとだけが十代から二十代にかけてのごくわずかな期間だけ楽しむものであって該当しない大多数にとっては蛞蝓なめくじの交尾のように気色の悪いものでしかないのに失敗した過去の恋愛とそれを投影して失敗した現在の恋愛とを比喩として語る装置としての意図はわかるけれども虫のいい自己愛しか伝わってこないそしてそのことは現代のわれわれにつけ込む手口として利用されるフィクションをロマンチシズムとして無邪気に肯定する愚かさと地続きだ

 結末オチには落胆させられたものの全体としてはおおむね楽しめたいま現在目の前で起きて経験していることと過去の記憶やそれにまつわる思考とが行ったり来たりする叙述は当時はついていくのに精いっぱいだった似たようなことを四半世紀やってきて今度は単純に楽しんで読めたよかれ悪しかれ歳をとったのだ若かったあの頃はいいものをたくさん読んで書けばものになると思っていた22 年間それなりに読んで書いてきて再読で気づかされた結局おれは主人公と違って自分でも書いてみたことによって読み方を学んだ読者だったのだ作家になるはずだった自分はどこかへ消え去ったヘレンのように幻覚ハルシネーションのようにそれが収穫なのか喪失なのかはまだわからない

(2023年07月19日)

(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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AUTHOR


リチャード・パワーズ
1957年6月18日 -

米国の小説家。現在、ポストモダン文学において最も注目されている作家の一人。イリノイ大学で物理学を専攻し文学修士号を取る。卒業後はプログラマとして働いたのち作家に。2006年The Echo Maker によって全米図書賞を受賞。

リチャード・パワーズの本