杜 昌彦

GONZO

第21話: 逃亡と日常

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2021.02.07

 疫病の流行や原発事故までは仲睦まじかったのに、子の安全のため疎開したい片親と、生まれ育った都会を離れては生きてゆかれぬもう一方の親とで、意見が合わず離婚に至った家庭を、読者諸氏も耳にしたことがあるかもしれない。わたしの知る姫川尊は断然、後者に属する人種だったし、梶元権蔵にせよその点においては同類だった。むろん海峡を越えた先には青葉市の倍ほどの都市もあるが、厳しい気候が予想される見知らぬ土地へ、秋も深まろうとする季節にわざわざ移るほど、彼らに根性があったとは思えぬし、そもそも北へ向かったのも、二時間サスペンスの旅情を味わわんとするゴンゾの気まぐれでしかない。ホテルでの襲撃事件ののち次に姿を現すまで、つまり姫川工業プラント爆破事件までということだが、姫川尊と梶元権蔵がどこに潜んでいたか、彼らの仕業とされる事件は東北各地に枚挙に暇がないものの、一件として実証はされておらず足取りは定かでない。犯行が疑われる土地を転々としたとか、フェリーで北海道に渡ったとする説もあるが個人的には、むしろ退屈で不便な観光地に飽きて、慣れ親しんだ青葉市へ舞い戻ったのではと疑っている。
 ところが犯罪者の逃亡生活を描くのに、普段の街で代わり映えのない日常を過ごさせるようでは、あまりに見栄えがせず味気ない。加えて偏屈な殺し屋が、相棒として評価する気になったとはいえいまだ信用せぬ他人を、易々とねぐらに連れ込むとも思えず、また信用されぬ他人の側でも連れ込まれるのを喜ぶはずはなく、縄張りから遠く離れた場所を彼らがめざすのも、それはそれで道理とも考えられた。そこでこの物語ではあまた流布する伝説を採用し、血の色のロードスターで彼らがなおも北上し、ついには本州の北端、あるいは東北唯一の政令指定都市でなければどこでも構わぬ、任意の地方都市で仮の宿を見出し、解明されざる犯行の幾つかを実際にしたと仮定したい。
 中年デブの殺し屋と喪服めいた黒ドレスの美少年は、見た目も逆なら性格も相容れず、もとより犬猿の仲であって、狭い車内に閉じ込められて長距離を移動すれば、疲れと退屈で苛立って、メイスン&ディクスンよろしく口論の絶えぬ道中となるも必至である。ミコトのいい分の主たるところは家庭教師風情ふぜいが生意気な、醜く肥えた犬のくせに、もっと僕を大切にせよ、こんな安宿に泊まれるか、飯が不味い寝台が硬い、殺風景だ娯楽が足りぬ、新たな服を仕立てたい云々といった抗議であり、早い話が生活水準を下げたがらぬが故のわがまま、お姫様扱いの要求であって、一方ゴンゾの反論は、一度ならず二度までも窮地から救った命の恩人になんたる態度、口の利き方がなってない、厭なら喰うな野宿でもしろ、勝手にひとりで野垂れ死ね、今度お巡りに襲われても助けてやんねえぞ、とのいかにも慈悲に満ちあふれたものであった。
 いがみ合いの頂点はとある寂れた国道沿いの、パチンコを除けば当地で唯一の娯楽たるショッピングモールのフードコートで、家族連れや中高生カップルに怖がられたり批難がましく睨まれたり、怒りの形相で当てつけがましく席を立たれたりしながら、ミコトの処遇と今後の展望について、マスクもせずに口角泡を飛ばして激論を交わしたときだった。あたかもそれが店の不手際であるかのように、バイトの高校生やパートの中年女性に苦情を申し立てて困らせる者はいても、直接ふたりにもの申すほど勇気のある者は、従業員も含めてだれもいなかった。ほかの客の談笑は途絶え、「^21^世紀の精神異常者」を爽やか朗らかにしたイージーリスニングの有線放送を背景に、場違いなふたりの罵声のみがフロアに響き渡った。
 ゴンゾには本当にミコトを救うつもりがあるのか、報道の通りただ法と国家権力に抗って、社会に害をなすべく騙して連れまわすのみではないか、との疑いに争点はあった。それに対してゴンゾは盾に取るも何も、わざわざ危険を冒して姫川邸へ赴いた事実を指摘し、巻き込まれたのはこちらの側であると主張して、身代金目的にしては効率の悪すぎる段取りや、一向に金を回収しようとせぬ不自然を列挙し、市民を護るはずの特殊部隊が「人質」たるミコトにも銃を向けたことを思い出させた。連中にあんたを救出する気など毛頭ない、目的を果たしたのちは殺害し口を塞ぐつもりだと断言して、逃亡生活を終わらせるには一歩でも二歩でも先んぜねばならぬ、敵が求めているのは何か、些細なヒントでも思い出せないかと詰問した。なんだ結局それが目的かよ、やっぱり僕を利用するんじゃないか、答えがわかれば苦労は要らぬ、ずっと頭を悩ませているけれど、思い当たる節はひとつもないとミコトは声を荒げて応じた。
 罵り合いビーフの勝者はゴンゾでもミコトでもなかった。空気を読まぬひとりの老婆がニコニコと微笑み、腰を曲げて鶏のような足取りで歩み寄ると、人前で包み隠さず喧嘩できるとは仲のよい証拠だ、羨ましいね、似た者親子と評されるだろうと、にわかには解しがたい訛りでもって論評した。都会に暮らす孫についても言及したようだがふたりにはそこまで聞きとれなかった。ふたりは呆気にとられてぽかんと言葉を喪った。いうまでもなくこの老婆は、古書店を襲撃したバイト学生や、十把一絡げの特殊部隊と同様に、名前すら与えられず二度と登場することもない端役にすぎぬが、血風吹きすさぶ本編を通じてただひとり、ゴンゾとミコトをぐうの音も洩らせぬまで打ち負かした猛者であって、けだし世間ではかような交渉術の達人が、大声でのさばる男らの陰に埋もれて生涯を終えるのである。さすがのふたりも恥を自覚し、塩をかけられた蛞蝓なめくじのごとくしゅんとなって、無言でトレーを片づけて逃げるようにその街を去った。車中では互いに口を利かず、似ていると評された衝撃と屈辱とを反芻するのみであった。
 かような珍道中を各地で繰り広げながら、冒頭に述べた任意の地方都市へとふたりは行き着いた。街中の至るところに特産品たる果物が描かれ、地面に張りつくように広がる低い街並みの中心には、三角形の奇妙なビルが背に潮風を吹きつけられて建っている。ゴンゾにとって多少の縁がある土地らしく、彼は数カ所に電話したのち十五分ほどミコトを車中へ残してどこかへ消え、戻ってくるとアパートの鍵を手にしていた。その鍵を助手席のミコトへ放り、おれは隣の部屋だとゴンゾは告げた。鍵には例によって黒ずんだ汚れがこびりついていたが、それがなんであろうとミコトはもはや慣れきって、魔除けの印くらいにしか考えず、衛生上の問題やら何やらは気にしなくなっていた。この鍵に彼は後述のビーズ飾りをつけ、生涯大切に持ち歩くようになるのだが、このときはただ戸惑ったのみだった。
 連れられた先でようやく意味を呑み込めた。それは日本全国どこにでもある二階建て木造アパートで、明治期から増改築をくり返した豪邸しか知らぬミコトにとっては、古さでいえばまだまだだが、普請の粗雑さや狭さには、閉口を通り越して並々ならぬカルチャーショックを受けた。前の住人が残したと思しき古ぼけたカーテンを開けた彼は、一般庶民が遮光や断熱以外でカーテンやブラインドを用いる理由を初めて理解した。しかし襲撃事件の夜からというもの、どこへ行くにも中年デブの家庭教師とずっと一緒で、息苦しさが限界に達していたミコトにとって、アニメや映画でしか見たことのないこうした住居は予期せぬ僥倖だった。実のところゴンゾと出逢う以前から、心密かにひとり暮らしを切望し夢見ていたのである。屋敷での生活も特に何かを禁じられたり、行動を束縛されたりはしなかったし、望めば何でも手に入ったけれど、世話係や秘書らに監視されて暮らすのは、薄暗い離れになかば軟禁されるかのようで、ついぞ気持の晴れることがなかった。これでだれにも邪魔されず、気兼ねなしに好きな絵を描けると、他人に気兼ねしたことなどないくせに喜んだ。
 果物と海産物で知られたこの街で、ふたりはくだんの老婆に去勢されたかのように大人しく数週間を過ごすことになる。数多くの警官を殺害して追われる身の上など、あたかも別の物語であるかのようだった。コンビニやスーパーでたまに顔を合わせるたびに何か思い出したか、いや別に何も、思い出したってあんたには教えてやらないよ、ああそうだろうなと不機嫌に短い会話を交わし、週末の夕方になると、口に出して約束したことは一度たりともないのだが、どちらからともなくアパートの前で相手が出てくるのを待ち、このときには両者ともホームセンターで買ったパーカにジーンズ、運動靴といった似合わぬ出で立ちで、ひと言も交わさぬまま近所の公衆浴場へ赴いて「なんて醜い肥りようだ、おまけに獣みたいに毛深い」「なんて貧相で生っ白いんだ、少しは喰って鍛えればいいのに」と互いのからだを心中で値踏みしながら、観光客や地域住民に交じって温泉に浸かり、風呂上がりに飲み屋でイカ刺しやら郷土料理やらを肴に、ゴンゾは地酒のもっきりを、ミコトはウーロン茶を啜ったりした。
 姫川尊は性別のみならず年齢も不詳の外見であって、長髪を三つ編みにし黒ドレスやエナメル靴を着用していれば十二歳の少女にも、パーカとジーンズなら二十代のフリーターにも見え、何より連日ワイドショーやらソーシャルメディアやらを賑わす被害者の画像とは似ても似つかず、おかげで地域住民に不審がられたり警官に呼び止められたりすることは決してなかった。あれば歴史は一変し、北の街での日常をわたしが憶測で書くこともなかったろう。退屈という点では海辺の旅館や襲撃されたホテルとなんら変わりなかったが、彼には人生の新たな挑戦だった。トイレットペーパーやら食料やらを買ったところで血のついた札束はさして減らず、家賃や公共料金はゴンゾが面倒を見てくれたので、生活の糧を得るために働く必要こそなかったものの、部屋を掃き清めたり雑巾がけしたり、流しや浴槽や便器を磨いたりするのは新鮮な体験で、己を律している実感が得られた。かつてのように薄暗く広大な食堂へ、毎日決まった時間に呼び出され、作法に厳しい世話係や秘書に威圧されながら、一流のお抱え料理人の手になる味気ない食事を、義務として口へ運ぶのではなく、好きなときに寝て好きなように起き、コンビニで弁当やらジャンクフードやらを買って食べるのも痛快だった。
 天気がよければ河原の土手に座って写生した。黒ドレスが汚れるのは気にならなかった。初対面の家庭教師の台詞には腹が立ったが、なるほど外の世界も悪くない。これからはもっと表へ出よう。そのゴンゾには顔を合わせるたび、どう暮らそうがあんたの自由だがただひとつ、いいかだれとも親しくなるんじゃねえぞと脅されていた。十七年の生涯で豆吉のほかに友人を持ったためしなどなく、他人事のように聞き流していた。その午後もまた爽やかな秋晴れで、ミコトは河原でスケッチブックに色鉛筆を走らせていた。水面は陽光に輝き、土手の斜面の雑草は青く、布マスクを着けてジョギングする男女が背後や向こう岸を通った。湿した絵筆で撫でれば水彩になる鉛筆はこの街の画材屋で見つけた。自分の手になるとは思えぬほど明るい絵が描けた。肉球が路面を打つタシタシという音と、引きずられるような運動靴の小走りの音が聞こえ、上機嫌の犬ならではの息遣いが迫った。ひとりと一匹の足音は背後で立ち止まり、スケッチブックに影が落ちた。振り向くと髪をひっつめにしたジャージの女がミコトを見下ろしていた。
 素敵ねえと女はいった。お世辞ではなく心から感心しているのがミコトにもわかった。二十代後半、三十手前といったところか。額にうっすら汗を掻いており呼吸が乱れていた。柴犬にしてはやや脚の短い小型犬は飼い主以上にミコトの絵に興味を示した。はあはあと舌を出してスケッチブックへ身を乗り出し、ミコトの膝に前肢を乗せて女に叱られた。


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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