杜 昌彦

GONZO

第31話: 谺

書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2021.09.11

あの都市伝説には耳にしただけでも複数の派生種があったいわくフォロワーの女子中学生が幻覚を見て学校の屋上から飛び降りた投稿された絵を印刷して自室の壁に飾った男がその部屋からの出火で焼死したソーシャルメディアで知り合った友だちと会うと家族にいい残して外出し数日後に遺体となって発見された女子高生もフォロワーだった……云々
 枝分かれして独自の進化を遂げた変異株もありとりわけすでに紹介した闇バイト別称死のマッチングサイトはよく知られている奨学金という名の借金に縛られ疫病で働き口をなくした学生が高額報酬即日現金払いとの嘘に騙されて著作権侵害や麻薬取引に手を貸したり、 「生産性のない人間を尊厳死させたりしたというアプリで気軽にお小遣い稼ぎ隙間時間で簡単安全捕まらないよう徹底しますというあれであるソーシャルメディアが呪いを媒介する設定や取り憑かれたフォロワーが命を落とす筋書きが確かによく似ているむしろこちらが原型で実際に流行した犯罪に基づいており、 「死を招く絵の細部描写はのちに派生したとの説もある
 両者とも当時の閉塞した世相の象徴と見なされるせいだろういまでは姫川事件を題材にした物語の多くがそれらの噂に言及するしかし休み時間の教室で幾度となく話題にされながらもまことしやかに囁かれた不吉な事故死の数々が実際に報道された事実も真に受ける生徒もなくまして不登校の同級生とは結びつけられなかったと記憶しているしかしそれではわたしが見たものの説明がつかないあるいは無意識が結びつけた夢がはからずも現代のフィクションを先取りしたのかもしれないランサムウェア専門の記者をつけ狙った鏑木がそしてその娘に教わった深津が最後に見たであろう白昼夢をわたしは確かに知っていたのだ
 思い返せばありとあらゆる無責任な噂が流れたものだ家族や友人や恋人が標的にされたらだれしも耐えられぬような残酷な噂ばかりそのすべてを肯定するつもりはない姫川尊は確かに唯我独尊ではあったが生まれ落ちた瞬間から恐るべき子どもアンファン・テリブルであったわけではなく知能の高さを除けばごく普通の幼児とすら評せたのであって多くの社会病質が生まれながらに異常な自己愛を有し共感能力を欠くのとは異なった
 一説によれば転機は母親の失踪だという現在では多くの現代史研究者に名前すら言及されないその女は夫とその一族による虐待に耐えかねて家を出たとも身代金目当ての犯罪に巻き込まれたとも一族がその金を支払わなかったために殺害され山中もしくは沖合に遺棄されたとも果ては夫による暴力で命を落とし金の力で隠蔽されたのだとまで囁かれた青葉市を見下ろす広大な敷地に城砦のごとき邸宅を構える姫川家はそうした誹謗中傷をあながち荒唐無稽とも感じさせぬ一族であり姫川事件があれほど大衆の関心を集めたのはそれも一因といえよう
 細谷が家庭教師として雇われたのは母親の失踪と同時期で関係者らの証言によれば姫川尊の性格が変わったのはその頃からという学生時代から権威者に取り入るのが巧みだった細谷は宗一郎と直継の父子に気に入られ親族同然に信頼されようになり秘書に抜擢されるまで数ヶ月とかからなかった姫川尊は塞ぎ込んで他人を寄せつけなくなり登校を渋ってときに急に癇癪を起こし周囲を辛辣に罵るようになったもとよりミコトの知能に見合う家庭教師はおらず国内外の一流大学院で学んだ教育理論でいかに武装していようと高度な議論で辛辣にやりこめられ嘲られ蔑まれてばかりでは必定だれもが心を病んで長続きせずあてがわれる端から次々に辞めた
 相次ぐ離職は家庭教師に留まらなかった世話係のひとりが飛び降り自殺をしたのを皮切りに使用人が次々におかしくなった祖父の代から屋敷に住み込む庭師は剪定中に幻覚を見て高梯子から転落した海外から招聘した料理長は突如として大声で叫び包丁を振りまわし煮えた油を頭からかぶって大火傷を負った掃除夫も小間使いも神経を病んで屋敷を去り使用人のあいだに噂が立った病んだのはミコトに絵を見せられた者ばかりという母親がいた頃は明るく写実的であった作品は暗い抽象画ばかりとなり動物の死骸や想像上の悪鬼が題材とされるようになっていたどれだけ高給で遇されようが代々姫川家に忠誠を誓っていようが荒唐無稽な噂を信じまいが作品の醜悪さはひと目見れば悪夢にうなされるほどだったし立ち籠める松精テレピン油の臭いは頭痛を招いた不吉で厄介な子どもと関わりたがる者はなく広大な邸内でミコトは忌避され孤立したそれがますます彼の性格を歪めた
 嫌悪と恐怖は学校にもついてまわった交流を拒絶する尊大な態度や美貌に集まる蛾のごとき女子らを毒舌でもって撃退するやり口から全校生徒から厭われ避けられ嘲られ家庭教師よりも格の劣る教師らからは腫れ物に触るかのごとく厭われた挙げ句何ら利点の見いだせぬであろう教室へミコトは滅多に現れなくなった孫息子の身よりも雇用コストを案じた宗一郎会長によって姫川家にしてみれば古びた納戸一般人の尺度では豪勢な歴史的建築の離れを与えられて以降は殺害されるまで離れなかった唯一の世話係を除けば使用人との関わりも最小限なかば軟禁されるように日がな醜悪な絵を描いて暮らすようになった
 女装をはじめたのもこの頃だ出入りの仕立屋に命じたのは数着のみあとは自ら裁ち鋏やミシンを駆使して喪服めいたドレスを誂えた海外から取り寄せた一流銘柄の道具でもって画布を彩るかのごとくに顔面へ屍体めいた化粧を施しフリルやギャザーをふんだんにあしらった黒い扮装で到達に車で十分弱を要する町内を闊歩したドレスの生地や化粧道具は通販で済ませても画材だけは実際に手に取って確かめたかったようだ秘書が運転する黒塗りのリムジンは拒否しひとり残った世話係の軽自動車で送迎されたがやがてそれすらも断って徒歩で行き来するようになった彼にとって女装は現実を遮断するいわば防護服だった真冬ならいざ知らず黒ヴェルヴェットのドレスや網タイツブーツや凝った帽子といった格好ではさすがに化粧が流れ接客した店員やすれ違っただけの通行者にだれかれとなく口実を見出しては苛立ちをぶつけ頻繁に揉めごとを生ぜしめた
 尊重された経験を持たぬミコトは他人を貶めるに何のためらいもなかった平日の昼間に商店街をうろつく少女を心配して声をかけたお人好しは辛辣に侮辱され巧みな屁理屈でやり込められ立ち直れぬまでに尊厳を否定された補導を試みた巡査は上司に叱責されその上司は組織内の決して言葉にされぬ思惑によって僻地へ左遷された平穏な日常を脅かす悪童の噂は町内を駆け巡り広く知れ渡ったひとびとは彼が視界に入るや会話を中断し視線をそらして散り散りに逃げ施錠し閉店の札をかけてブラインドを下ろし嵐が過ぎ去るまで息を潜めた
 今日のわれわれが知る姫川尊はそのようにして完成した一方で噂のほうは無数の変異株を生みながら数十年かけて感染を拡大したくだんのアカウントが実在したと仮定してどうして匿名の投稿主を特定し得たのかどの派生種にも納得のゆく設定は見られない筋が通らぬといえば十代のわたし自身がまさにそうだった美術部に所属していた中学時代を知るだけの理由で掌中の携帯電話に表示されただれとも知れぬ無名アカウントに不登校の同級生を重ねたのもいま思えば狭い世界しか知らぬ若者特有の幼稚な決めつけ思い込みでしかない気まぐれな登校の日に更新が途絶えるのが揺るがぬ証拠に思えたあの頃のわたしは教室や家庭でふるまいに気を遣い空気を読んで笑う自分を偽りと感じていただからこそ他者を侮り社会を拒絶する同級生が眩しく見えたその身勝手な憧れ幻想を投影した
 これ姫川君でしょうと本人に確かめる勇気はなかった辛辣に人格否定されるのを畏れたのではなく真実を知りたくなかった知れば傷つくのがわかっていたし血と怨念が塗り込められたかのような作品にありもせぬ心情を見出すのが何者も寄せつけぬ彼に近づく唯一の手段に思えたこの世のものとも思えぬ美少年と醜悪なタイムライン超自然的な魔力他人事の死が薄笑いとともに囁かれる教室でただひとりわたしだけが知る秘密あの頃のわたしはその関係妄想を支えに生きていただれにも明かせぬその甘美な悪徳がなければ自分を見失いそうだった過去の愚かさを正当化するつもりはないが当時もいまも十代とはそのような季節ではあるまいか何の価値もない人生に目を背けて白昼夢を見るような
 だからあの経験をひとは捏造と呼ぶのだろう現実を知るほど大人ではないが呪い云々を信じるほど子どもでもなくそれでも姫川尊ならありそうに思うほど幼かった生活に不安を抱えるひとびとが差別主義者に吸い寄せられるような隙があの頃のわたしにもあったのだ部活や勉強狭い対人関係で疲れきって帰宅する夜に時折黒ドレスの少女を見かけた風に舞うレジ袋に白兎を見たり別人に生き写しの顔を見たりするのと同じ現象だ実家は彼の生活圏から遠く幻覚とまではいわぬまでも見まちがいの類いであるのはわかっていた姫川邸襲撃事件よりのちは彼を思う日が増えたせいかつきまとわれるかのような錯覚さえ憶えるようになっていた
 家族が寝静まった嵐の深夜自室で眠れずに携帯を眺めていた薄いカーテンには街灯の薄明かりで打ちつける雨の波紋が流れていただれかが土足で階段をのぼってくるのを聞いた靴音は部屋の前で立ち止まり低い雷鳴を待つように扉がゆっくりと開かれたベッドの前の暗がりに立ってじっとわたしを見下ろす小柄な影を昨日のことのように鮮明に思い出す襞飾りやレースをあしらった黒いドレス凝った編み方をした長い髪忘れられない長い睫毛と鋭い目華奢な両手に握られたスミス&ウェッソンM三九一三引金にかかる細く白い指銃口は第三の目のようにこちらを狙いわたしはその美しい光景をうっとりと見つめ返した
 青白い光と銃火が閃き雷鳴が轟いて頭が枕へ沈み羽毛が宙を舞ってそのあとの記憶はないあるいはわたしも姫川尊に呪われた死者なのだろうそしてこの文章を読むあなたもまた


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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