D.I.Y.出版日誌

連載第110回: ダンス・ダンス・ダンスール(8)

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2018.
01.19Fri

ダンス・ダンス・ダンスール(8)

長編では全体を通しての緩急やバランスが要求されそうそうすごい場面ばかり連続させるわけにもいかない野心や冒険よりもしたたかで力強い技量で手堅く見せた巻だったこの物語は芸とは何かそれを教えるとはどういうことかについての考察だジェンダーについての物語でもある才能努力熱情といった可視化されやすい事柄について描くばかりではなく感性や感覚といった領域にも斬り込もうとしている今回は巧みなストーリーテリングは相変わらずだけれどもかたちのないものを可視化する大胆な鋭さはなかった確かに開くという表現で感覚を語ろうとしてはいるこの台詞自体凡庸な感性からは出てこない鋭いものだけれどもあえてそこに焦点を当てていない主人公が教える側にじつはまわっているのにそこにも焦点は合わせられていない

少女漫画の野心作は物語を恋愛に寄せると失速するという自分のなかでのジンクスがある少女漫画の作家たちはどういう意図で男女関係を描くのだろう恋愛にせよ性的な何かにせよ人間の社会的価値を値付けする行為であってある種のそしてじつは多くの人間はあらかじめそこから疎外されている疎外された周縁から見つめるのが芸術であるのと同時に恋愛や性的な何かを描かない芸術もまたありえないこの作品ではジェンダーのあいまいさについても大胆に踏み込んでいてその意欲と野心に胸を打たれ揺すぶられてきたところが最新刊ではあっさりわかりやすいジェンダーだけが描かれている落とすために持ち上げる回だからやむを得ないとはいえなんだかんだいって恋愛を描くにはそういうわかりやすい女性らしさに行っちゃうのかなという寂しさは感じた

しかし注意ぶかく読み返してみるとありがちなジェンダー観へ寄せたのは計算高く意図された見せ方であることがわかったバレエの身体性を強調するために対比として平均的な成長や肉体を強調したのだもとよりこの作家は対比で語る作風である一般的には遅い初潮でもバレエには早すぎると女たちが会話するあたりまえの身体性が芸には制約になる重力と抗う芸術であるがゆえの葛藤をあたりまえの人生を生きる外側のひとたちこれは逆の視点に立っているからで実際には主人公たちの側が周縁なのだけれどもは悠然と無視している芸にかかわりがない人生であるがゆえの圧倒的な優位性とその正しさに社会的に打ちのめされる芸の側を描いているそして主人公はその少女の内部の打ちのめす力に惹かれつつも打ちのめされる側に価値を見ようとするその残酷さをこの最新刊では描いていた本来あるべき身体性を否定しないことには本来あるべき自分でいられない否定することでしか肯定されないジェンダーという矛盾そう考えるとやはりこの物語は一貫して疎外された周縁の地にいるひとたちを描いているといえるのかもしれない


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。