杜 昌彦

GONZO

第4話: カサンドラたち

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2020.08.19

これまでのところ友人たちの評判は散々だ姫川尊はどうした美少年が出なければ読む甲斐がない肥った中年男なぞ亭主でうんざりだというのである曖昧な記憶と素人の憶測で書き散らすことへの不満は予期していたがお気に召さぬ理由が痴漢や殺し屋とは思いもしなかったわたしだって好きで犯罪者を書くのではない梶元権蔵が御曹司の誘拐によって姫川財閥を脅迫し化学プラントの爆破テロで莫大な被害を与え国内の産業に大きな影響を及ぼしたとされる一連の騒動は教科書にも載る現代史上の出来事であり発端に鏑木の殺害があったのもまた事実なのであるまして読ませてくれとせがんだのは彼女たちだ苦情をいわれる筋合いはないくどいようだが姫川尊はわたしにとって象徴にすぎない生身の彼がいかなる思いを抱いて生きたかに関心はない現実と妄念を取り違えることはないし読者のあなたにもそのようにお願いする歴史を知りたければ優れたノンフィクションや研究書のたぐいがいくらでも出ているそちらを参照いただきたい
 十代のわたしにとって性犯罪者は理解不能な化け物だったその思いは二児の母となったいまは強まる一方だしかし歳を重ねて少しは知恵がつきあの頃には考えもしなかった背景に思いを巡らせるようにもなったいいたいのはつまり鏑木紀一郎もまた家庭を持っていたという事実である妻子や同僚の証言によれば彼は愛すべき父親でありだれからも尊敬される隣人だったピック病と呼ばれる若年性の前頭側頭型認知症には強迫的になったり人格異常をきたしたり果ては痴漢や万引きを平然とくりかえしたりする症状が知られている隠れた一面はそのためだったとする説もある一方で事故を装う手法や殺害された被害者らが偶然に選ばれたとは思えぬあたり哀れむべき症状と見なすにはいささか無理がある転落死は当初不幸な事故として報じられたたまたま同時刻同じ場所で重傷を負った青年記者のいい分になどだれも耳を貸さなかったすべてが明るみに出たのはあのふたりが報道を騒がせた日々のさらにずっとのちである
 常識ではありえぬものをひとは受け入れない警官や医師弁護士といった肩書きを持つ男性年齢とともに徳の備わった敬われるべき老人愛される父親たちが白昼堂々公共の場で子どもを脅かそうとは思いもよらないまして見咎めた善人を事故を装ってあっさり殺害するなどとは目の当たりにした暴力は錯覚と決め込まれあるいはそもそも視界に入らない立ち塞がってその視界を遮っていてさえもだトランスジェンダー差別クルド人迫害教室のいじめから職場のセクハラ家庭のDVに至るまであらゆるありえない存在は不可視である梶元権蔵はそれを逆手にとった公然と悪事をなせば決して罪に問われないまして運命に罰されることもないだからおれは死なないんだというのが持論だったカルト的信条や利権のための悪事を隠そうともせずやりたい放題をやればやるほど賞賛され支持される政治家がその証拠だというのであるその理論を彼はことあるごとに人質に語ったそして皮肉にも職業上の逸脱によって実証してみせることとなる姫川尊が殺害されなかったのはご存知の通りだ
 黒ずくめ三つボタンスーツ中折れ帽細いニットタイ襟の狭いシャツ蟹目と呼ばれる小さな長方形レンズのサングラス踵の高い先の尖ったブーツ三流のお笑い芸人でもなければそんな格好をする人間はまずいないまして混み合う朝の駅にそんな道化がいるはずはないいない人間が殺人をするだろうか通勤客のほとんどだれも彼を見なかった数少ない例外はわたしたちふたりの女子高生だけだったといっても古書店主の娘とのあいだに面識はない書物やインターネット上の情報を通じてこちらが一方的に知るのみである十七歳のその少女は学生街で古書店を経営する父親とふたりで暮らしていた地下と一階が店舗一階の奥と二階が住居という建物である母親は彼女が生まれて間もなく亡くなっていた元来がずぼらな店主であってどうにか養育してはいたものの幼い頃と変わらぬ不器用な世話の焼きように思春期の娘からは煙たがられていたわが子が異性とデートする年齢になってもなおおむつを換えていた頃の面影で見ていた会話はつねに一方通行まれに得られる返事はうざいきもい死ねの三語に限られた彼女の名はあえて記さない父とともに姿を消してのちは物語に登場しないからだ
 記憶を捏造した数時間後白昼夢に囚われたかのような心地で授業を受けるわたしとは異なり彼女は青い顔で自宅のベッドに倒れ込んでいた麻痺した頭で登校してはみたものの友人の挨拶にも上の空教師の顔を見るなり吐き気がこみ上げたのだ日に焼けた文学全集やら古雑誌やらがひしめく狭苦しい店内を足早に横切り二階の自室へ直行する娘にどうした腹でも下したのかと父親は間の抜けた気遣いを見せたそれがなおさら不快を煽るとは考えもしないその無神経さがいつもながら娘の癪に障った早退の理由を説明するどころかいつもの三語すら返す気になれなかった腹いせのように足音高く階段をのぼり叩きつけるように扉を締めたベッドへ身を投げぬいぐるみを抱き締めたわざわざ願わずとも近づく死を彼女は知るよしもなかった父親ばかりか彼女自身をも巻き込もうとしていたというのに埃臭い店内を意識から締め出すために気づかなかったが死は例のばかげた扮装をして奥のレジカウンター脇でショートピースをくゆらし階段へ消える彼女の背中を退屈そうに見上げていた
煙草はやめてくれといったろゴンゾ店を燃やす気か店主は渋い顔で貼り紙を示した醜さで有名なポップ体と日本中に繁殖した版権フリーのイラストで禁煙とある。 「叱られるんだよ体調悪いと機嫌も悪いしさ……身を乗り出し小声で付け加えた
いっそ跡形もなく燃やしちまったほうがいいかもしれんな
珍しく口をきいたと思ったら……不吉な冗談はよしてくれ店主は背後の金庫から古びた漫画本を大事そうに取り出し名残惜しげに紙で包んで手渡した。 「『モモーン山の嵐一九四七年有文堂刊行総目録にはあるが未発見ってことになってる灰なんか落とすんじゃないぞ
 ゴンゾこと梶元権蔵かじもとごんぞうは差し出された漫画本へ煙草の灰ならぬ視線を落としたそれから縛られた全集の山や聞いたこともない映画のパンフレットやカバーのない文庫の詰め込まれた棚をあたかも初めて訪れるかのように目を細めてサングラス越しに眺めた怪訝そうな店主に背を向けじゃあなといった
おいどうしたんだ
その金で逃げろ
金? 偉大な手塚作品になんてこと……どういうことだ
娘に見られた肥った殺し屋は店先に吸い殻を棄て人混みへ消えた
なんだっておい待てよ
 二階のベッドでは娘がぬいぐるみを抱き締めながら天井を見つめていたそこが銀幕であるかのように記憶が投射される奇妙な黒ずくめの肥満男が人体をそりのようにして愉快そうに階段を滑り降りてくる暴れ馬を乗りこなす陽気な牧童さながらだはいようシルヴァその光景は幾度となく再上映された
 娘は変人を見慣れていたまず第一に父親からしてそうだった彼がアロハシャツに半ズボンサンダル履きで小学校の授業参観に現れたときは他人のふりをしたかったがそうしようにも満面の笑みで手を振られ声援を送られて担任に注意され教室中にどっと笑われるのではごまかしようがなかった普通の会社員を両親に持つ同級生が羨ましくてならなかった黴や埃のにおいに引き寄せられ黄ばんだ紙をめくってびっしりたかった虫のような活字を喜んで貪る人種はやはりどこか病んでいるのだろう類は友を呼ぶというのか父の人柄がそうさせるのか十七年の生涯で知りうるかぎりかくも奇っ怪な客ばかり集う稼業はほかになかろうと思われた教科書や辞書を安く買い求める学生を除けば出入りする客は大半が挙動不審だったとりわけ常連客には身の危険さえ感じた昼間から酒臭く隙間だらけの歯で笑う老人年中コートを着込んだ男バセドウ病のように飛び出した目玉で背をかがめて物色しそれでいて決まって何も買わずに帰るせどり屋……彼らが店内にいるときはなるべく視界を横切らぬよう書棚に隠れるようにして二階へ急いだ
 彼らの姿が天井で朝の記憶と重なったうさん臭い黒ずくめの肥満漢数ヶ月に一度ふらりと現れ予約していたとおぼしき古書を受けとって金も払わずに立ち去る姿が鮮やかに蘇ったあれは中学生の頃だったか何者なのか父に問うてはぐらかされたのを思い出したいやうんまぁ……なそれよりお小遣いをやろう映画でも見てきなさい父は怯えたような顔をしていた父はその男をゴンゾと呼んでいたまっとうな生き方から遠い人間に見えた
 あれはあの男だ


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
ぼっち広告