少し前、 怪人二十面相をモチーフにしたミュージカルを観た。 湿り気のあるゴシック・ロマン的な舞台はとても日本らしい、 肌に馴染む世界だった。 この小説を読んだときに、 後味がどこか似ていると思った。
物語の設定にゴシック的な要素はない。 描かれるのは昭和の一地方に生まれた、 裕福とはいえない兄弟。 将来への希望もない、 平凡な暮らしから逃げ出したい弟と兄の人生だ。
新天地である東京で、 彼らは透明のマントをまとう。 弟のつくる小説家のマントによって、 兄弟の日常には艶めいたフィルタがかけられた。 故郷である日本海の波音や潮の匂いに洗われることがあっても、 その艶は失われない。 兄弟は小説という虚構の淵にいて、 上がってこようとはしない。
「何が虚構で何が現実かなんて、 実はどうでもいいのかもしれませんよ」
そう編集者が語る場面がある。 言われたほうにすれば乱暴すぎる言葉だ。 小説に生きることと、 小説を生きることは同じ天秤に載らない。 それでも編集者の台詞に頷かされるのは、 この小説の真の主役が 「小説」 だからだろう。 兄弟の人生も彼らを囲む人間も、 すべては小説のために捧げられる。 兄が死んでも、 小説は違うかたちで受け継がれる。 人生を吸い取られ、 たとえ名声は残せたとしても、 彼らの後にまで生き残るのは小説であり虚構だ。 人間の手には負えない。
その姿ない怪物に怖れと美を感じてしまう私もまた、 自身を何かに捧げることに憧れを抱いている。