AI と戦争と The Beatles について書く準備で手に取った。 幻覚剤が流行した時代にジョンとジョージが読んだ作家なので。 参考にはならなかった。 猛烈な眠気とたたかいながら読み終えた。 ただ古いだけの稚拙で不快な小説だった。 1930 年代知的階級の白人男性らしい傲慢さを感じた。 翌年公開の映画 『キングコング』 さながらの 「文明社会に連れてこられた未開人が起こす騒動」 というプロットは不自然だった。 「文明人」 が 「未開」 の集落を訪れる必然性がない。 それが許される社会なら観光地として整備され商業化されているはずなのにそうではない。 あるいは幼少期のジェイムズ・ティプトリー・ジュニアが両親に海外の植民地を連れまわされゴリラを見た最初の白人女性となった逸話からも推察されるように、 裕福な白人が危険な地域を観光として訪れるのは当時としては違和感のない描写だったのだろうか。 児童虐待はそれなりに書かれているが主題を明確にする役には立っていない。 何より女性を性的で愚かなモノとしてのみ捉える価値観は 2024 年に読むべきものではなかった。 やたら DV 場面がつづくし女たちは逃避で薬漬け、 家父長制を対象化し批判する視点ではなく明らかにそのなかにあって書かれている——あたかも家庭は本来そのようなものであるかのように。 アメリカ原住民の集落を訪れるくだりの差別的なまなざしは 60 年代英国人にとってのインドなのか。 作中の不幸な女性に北朝鮮や昨年 10 月 7 日ハマスの拉致を連想した。 おもしろい箇所もないではない。 自分の考えを持つ危険から読書が罰される描写はソーシャルメディアを思わせるし 「初期の睡眠学習」 のくだりは AI のハルシネーションのようだ。 社会の同調圧力から抜け出そうとする低身長男が女を連れまわして幼稚なマウントをかましつづけるミソジニーは現代のインセルさながら。 実際この作家はティモシー・リアリーを通じてインターネットと無縁ではない。 総じていい部分も悪い部分も現代と似ていて、 そういう意味では予言的といえなくもない。 だからといって読む価値はなかった。 1930 年代知的階級白人男性の性的夢想を知るにはいい本かもしれない。
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低身長マウント男のミソジニーな冒険譚
読んだ人:杜 昌彦
(2024年01月20日)
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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