トマス・ピンチョン全小説 ブリーディング・エッジ
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トマス・ピンチョン全小説 ブリーディング・エッジ

2001年9月、ITバブル崩壊後のNY。非公認の会計調査師マクシーン・ターナウは、コンピュータセキュリティ会社の財政調査をはじめるなり陰謀に巻き込まれる。アールデコ調のモーターボートを操るヤクの売人、ヒトラーが使ったひげ剃り後ローションに執着する超人的嗅覚の持ち主、靴の趣味が悪いネオリベラリズムのゴリ押し屋、ロシア系マフィアにブロガー、ハッカー、下っ端プログラマーに実業家……そしてもちろん、殺人だ。ディープ・ウェブへ、ロングアイランドへ。内なるユダヤ系の母にチャンネルをあわせ、ピンチョンが読者を連れて行く先にあるものは。正義の鉄槌はさておいて、真犯人は明らかになるのか。マクシーンはハンドバックから拳銃を抜くのか。夫とよりを戻すのか。貸し借りがゼロになり、運命は清算されるのか……なあ、そんなの誰が知りたがる?

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著者: トマス・ピンチョン

(1937年5月8日 - )現代の米国文学を代表する作家。1990年代以降定期的にノーベル文学賞候補に挙げられている。作品は長大で難解とされるものが多く、SFや科学、TVや音楽などのポップカルチャーから歴史まで極めて幅広い要素が含まれた総合的なポストモダン文学である。

2020.
05.04Mon

トマス・ピンチョン全小説 ブリーディング・エッジ

柳楽馨さんの訳によるサミズダート版で読んだこなれた訳文のせいかピンチョンがそのように書いたからなのかとても読みやすかったその読みやすさが曲者で、 『LA ヴァイスのチャンドラー風がどこかパロディめいていたのに対しこちらは同時多発テロの陰謀を巡るハードボイルド小説としてあまりに自然に読めるのでエンターテインメントとしての完成度の高さからついピンチョンだと忘れそうになるワイン泥棒のシークエンスに出てきた怪物の正体は? とか悪臭兵器のギャグに必然性あるの? などとピンチョン印のギャグや幻視がいささか浮き上がった印象を与えあたかも回収されなかった伏線や明かされなかった謎であるかのように感じさせられるほどだしかしそこはやはり彼らしく突拍子もない発想や独特なユーモアで五分に一度は笑わされる文字通り嗅ぎまわる探偵が出てきてウクライナのテレビシリーズにそういうのがあったなと思いきやその後のおふざけにはウクライナ人もびっくりだ実在の俳優が実在の人物を演じる架空の伝記映画なんとか物語というファンにはおなじみのギャグもあるあれ日本だとどんな感じだろうね斎藤工演ずる志村けん物語とか? すみませんわかりませんディカプリオがロスコー・アーバックルというのは笑ったその映画でハメットはだれが演じるのだろう?)。 しかし女性が主人公の話で終盤にそのギャグをぶっこんだ理由ってなんかあるのかなあるような気もするしそこまで考えてない気もする

ヴァインランドの主人公の娘が二児の母になったような世代がこの物語の主人公ピンチョンは一貫して同じ話をずっと書きつづけているかのようだ政治的に偽装された現実とその背後の悪意そうした物事の象徴として本作ではインターネットが描かれる。 『競売ナンバー 49 の叫びで予言した作家がLA ヴァイスで明確に言及し本作ではさらにその先広く普及した時代を書いている当時の空気を憶えていればおわかりいただけるかと思うけれどブログウェブログと呼ばれていたに代表される個人メディアはあたかも民主主義や自由な言論を実現するかに夢想されそのように喧伝されたにもかかわらず実際に広まり定着してみればより効率的な手段を権力に与えたに過ぎなかったそもそもインターネットは地上の人間が死に絶えても国体を維持するために考え出されたそうした性質の網がやがては掌に収まってひとびとを絡め取り自由に見せかけた支配が完成する⋯⋯それは同時多発テロ後の世界を生きるわれわれが今まさに経験している現実だピンチョンの描く陰謀はいまやパラノイアどころかただのありふれた日常となったたとえばかの差別主義者が米大統領に選ばれたのは広告代理店と twitter 本社の協働によるといわれるし半年後の追記:金の流れの潮目が変わったらしく twitter 本社は掌を返した)、 わが国でも twitter 運営会社の筆頭株主である広告代理店は現政権との関わりが深いとされるとりわけ COVID-19 以降の世界では検索履歴や位置情報の支配までもが防疫を口実に正当化されるわれわれ個人の良心と身体はインターネットのおかげでわれわれ自身に属さなくなった人権を悪と信ずる自粛警察の監視に怯えて暮らさねばならない

本作は題材といい主人公の設定といいパターン・レコグニションを多少なりとも意識しているかに思われる読んでないってことはないだろう)。 『パターン⋯⋯多国籍企業の商業主義によって個人が規定される世界を描いた傑作でこれぞまさしく現代社会と当時の読者は驚かされたものだったギブスンにとっても会心の一作だったに違いないところがあれから十五年以上が経過してみると記号化されたブランドも所詮は権力の手段でしかなかった悪しきものというのはそのようにわかりやすくはなかったのであるギブスンは確かに晩年のティモシー・リアリーの影響を受けているしティモシー・リアリーはコンピュータを創造性を高め意識を拡張するものとして LSD の延長上で捉えモデムを通じて真の民主主義が実現されるとまで夢想したそうだけれどもちろん本書もその発想を踏まえている)、 いち Apple 信者でしかないギブスンに対してピンチョンの政治的姿勢は筋金入りで応用物理工学の素養もあり正直格が違う印象は否めない陰謀の背後にある権力不可視の悪は事件が解決しデータセンターが壊滅しても幻視のように一瞬かいま見えるだけだ結節点はほかにいくらでもある何しろそれがインターネットの本質だから。 『パターン⋯⋯の時代にはまだそこまで見えていなかった金で買える洗練された希望が立ち現れたかのようにしか映らなかった2020年の今本作を読んだあとでは元ネタがいささか軽薄に感じられるのは否めない師匠大人げないなぁわたしがギブスンなら寝込むよ

優れたハードボイルド小説のつもりで読みすすめていたら家族小説だったというのも嬉しい驚きだったしかもきっちりハッピーエンド殺人事件も家庭のいざこざもひとつの主題に結びつき、 「いいのか?と後ろめたくなるほど直球の大団円で解決する序盤においては、 「主人公がどんな人物なのか結局よくわからないという一視点ハードボイルド特有の制約が感じられたしなんでここでこんな男とこうなるんだよとこれもハードボイルドにありがちな濃厚接触にモヤモヤさせられたりもしたけれどそれもこれもすべて後半の展開で結実するまるで寄り目で焦点を結ぶ立体像みたいに人物像が浮き上がってくるそれをなさしめるのは家族や友人たちとの関係性だ人物を描くには内面だけではなく周囲とのかかわりを描くのが効果的だ同時多発テロをきっかけとして夫との関係性が変化していく描写もいいし主人公の眼に映る不器用ながら変わろうとする夫もいいいがみ合いながら互いに歩み寄ろうとする母娘もいいしあいだを取り持つユダヤ系の母たる主人公もいい老いた父親の口から語られるインターネットの出自と個人を支配する現代のウェブそして次世代の仮想世界それらがウッドストック世代というかパロアルト世代とファミコン世代生まれながらに携帯やインターネットが当たり前の世代というやがて旅立つ孫世代に重ねられる主人公が子どもたちの後ろ姿に見出すのは希望だとても美しい結末だと思う

翌年の追記:正規版の出版が決まり商品紹介文に愕然とした。 「子育てに奮闘中の元不正検査士の女性だってさいいんだそれでふーんピンチョンの意図台なしだな編集者わきまえちゃってるねぇわかるよそうしないと売れないんだろ? 恥を知れや⋯⋯


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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