杜 昌彦

D.I.Y.出版日誌

連載第257回: ハーレイ・クインの華麗なる覚醒

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
06.16Tue

ハーレイ・クインの華麗なる覚醒

『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』をみた。クロスボウ・キラーは復讐を果たしたしスリと歌手はもとから自分自身であり何も変わっていないけれど主人公と刑事は結末に至っても隷属したままじゃないかよ、とモヤモヤした。しょせんスーパー「ヒーロー」ものの枠組は変えられないのだなと思った。男性が主人公の映画なら冒頭に搾取が明示されていたら結末は復讐なり奪還なりでしょ。女性だと諦めてしまうのか。手柄を男性刑事なりミスターJなりに横取りされたまま、映画の結末としてそれでいいことになっている。いやよくねえだろ。苦い現実として受け入れる、という話なら物語的に納得できるけど、単純に別なことに観客の目を向けさせて表面上、すかっとさせてごまかしている。欺瞞だと思うよ。2020年の米国でさえもそのように、世界の枠組は変えられないことを受け入れて、別なことでストレス解消してガス抜きをして、それでそのような世界に耐え忍ぶ結末になっちゃうのか。まして日本ではあの程度の企画さえ通らない。刑事は今後、超法規的に世の不正をただすことでエンパワメントしてくのだろうなと予感させる結末だったけれども、主人公はあいかわらず手柄を横取りされたまま、「ミスターJの元カノ」のままだ。そうじゃないだろ。ミスターJがハーレイ・クインの元彼なんだろ。壁の似顔絵じゃなく本物をやっつけろよ。あるいはそういうのに関係なくピンで成功する(認知される)くだりがあったらそれでもよかった。くだらない元彼なんかどうでもよくなるような、彼女自身の能力にふさわしい評価がなされるような。しかしそうはならない。奪われたまま、搾取されたままエンパワメントされない。主題が提示されながら解消されないまま終わる。舞台上の銃は筋書きに関係ない小道具でしたと告げられるようなものだ。映画的にすっきりしない。おもしろいかつまらないかでいえばおもしろいし、それなりに見た甲斐はあったけれども、あんなに惨めでせこい結末だとは思わなかった。ま、しょうがないよな。主演女優にどれだけ志があったところで、男性優位のシリーズものの枠組は揺るがせなかった。威張り腐っているミスターJはハーレイ・クインの力で成功しただけのつまらない男で彼女がその気になればあっさりやられるのでした、というオチにはできなかった。結局のところ映画会社はミスターJみたいなつまらない白人男性が牛耳っていて、それ以外の何ものにも揺るがせないということか。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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