社会生活で多くの支持者がいれば出版と同時に購入され、 好意的なレビューが短期間で多数つきます。 刊行と同時に多数購入された本は高順位になります。 その時点ですでに好意的なレビューが多数ついていれば露出と相まって売れ行きが加速します。 Amazon の出版サービスで成功した著者は例外なくそのパターンです。 彼らのレビュー欄や Facebook には賞賛の言葉や 「いいね!」 が並びます。 現代の社会生活はウェブによって拡張されます。 そのため世渡りの優劣で格差はいっそう広がります。 社会的能力と信じてくれるひとたちに恵まれなければ出版では成功できません。 失望しか待ち受けていないのであれば何のために読み、 書いて出版するのか。 結局のところそれは本が好きで書くのがうまくなりたい、 叶わぬ夢とわかっていても、 というただそれだけに他なりません。 ずっとそのように生きてきました。 わたしにとってそれが出版なのです。
前回は出版の機能をウェブサイトで実行することについて書きながら、 肝心なことに触れませんでした。 それは一冊の本が読者の手に渡るまでを、 あるいはその後の展開も含めて、 エンターテインメントとして読者 (観客) に提供することです。 それが場としてツールとしての出版 (あるいはウェブサイト) のもっとも重要な機能であり、 単なるグループウェアとはそこが異なります。 音楽雑誌 『ERIS』 最新号のインタビュー記事で、 横尾忠則さんがアンディ・ウォーホルに初めて会った日について語っています。 銀紙を貼られたファクトリーにエレベーターでたどり着くと、 ウォーホルは真っ黒なサングラスをかけてインクを溶いていたそうです。 色が見えなくなるのにそんな格好をしていたのは来客に強烈な印象を与える演出でした。 著者であり出版者であるわれわれはそのようなことをやっていかねばなりません。 観客などいなくてもそうするのです。 瓶詰めの手紙は波に揉まれて数十年後に見知らぬ浜辺で誰かに拾われるかもしれませんから。 ちなみに今月号の 『ERIS』 には三浦久さんによるレナード・コーエン追悼文も載っていてお薦めです。
Social Articles はカテゴリが設定できますが当環境では投稿機能がまともに動作しません。 そこで BuddyBlog を採用しましたがカテゴリが指定できません (追記:まちがいでした。 設定すれば選べます)。 BuddyBoss User Blog ならこの問題は解決するがいかんせん高価すぎます。 個別にカテゴリを指定することで連載を持てるようにしたかったのですが、 このままでは 「妄想老人日記」 にさまざまな著者が書くことになります。 おまけに権限の関係で肝心のフォーラムには参加できず、 プロフィールページのバナーも変えられず、 twitter からのログインで反映されるはずのアバター画像すら反映されない状況です。 最低限のことをやれるように権限を拡大すればセキュリティの問題が生じます。 twitter ログインでだれでも簡単に利用できるので、 悪意のあるユーザに荒らされ放題になります。 過去にマルチサイトの導入を試みた折には海外のスパムアカウントが際限なく群がりました。 こうした不具合を解消するには個別の連載という発想を撤廃し、 権限を細かくカスタマイズしなければなりません。 方策はあるようでヒントになる記事も見つけました。
しかし今はそのようなことで頭を悩ませたくありません。 需要もないのにこれ以上手間をかけるのはばからしい気がします。 本も読めていないし睡眠時間を削りすぎています。 何よりストレスが昂じるばかりです。 今回は 「技術的にはやれる」 というところまででいいんじゃないかな、 と思いました。 いずれ機が熟せば商用テーマでやれば済む話です。 一方でお手軽ブログ機能から書くときにはこれまでにない気楽さを感じました。 無理に他人と関わらず、 これまで通りひとりでやれることを模索したほうがよさそうです。
電線の上の一羽の鳥のように
真夜中の聖歌隊の酔っ払いのように
私は私なりのやり方で自由になろうとした
——レナード・コーエン 「電線の鳥」 (三浦久 訳)