香港やミャンマーやアフガニスタンのことを考えながら読んだ。 妄念がましい過去への郷愁に囚われた老いた独裁者や、 ウクライナのことも思った。 筋の通らない理屈を押しつけられて身近なひとたちが次々に連れ去られて戻らなかったり、 まだ子どもといっていい教養のない若い男女が国家権力を笠に着てひとの家に土足で上がり込み、 狼藉をふるったりする描写はブルガーコフの小説にも出てきた。 当時の多くのロシア人には笑い飛ばすしかないような、 そしてそれすらも許されぬような個人的な記憶だったのだろう。 よく似た笑いでもブルガーコフには緊迫した残酷さや、 それを堂々と語る呆れるほど率直な誠実さ、 重圧をはねのけようとする力強さがあった。 ところがこの小説のプロットは語られる状況にふさわしからざるほど妙にのんびりしている。 語り手が主人公を救う結末も優しすぎる。 見聞きした経験をそのまま語るにはあまりに個人的すぎたのか。 『アーダ』 ではじめてナボコフを読んだときは心の代わりに特殊なこだわりを持つ人物が書いた小説だと思った。 ユーモアも笑いを意図したのは窺い知れるがほんとうに笑えるのは著者だけではないかと疑わせた。 ところがこの小説は、 言葉へのこだわりや情景描写に見られる尋常ならざる感性こそおなじだが、 プロットの狙いどころは拍子抜けするほど素直だ。 主人公は知的階級特有の話し方をするために、 同等の教育を受けぬひとびととは通訳なしには会話が成立せぬ点を除けば、 体の弱い同性愛者の級友を集団でいじめたりするような、 いかにもマジョリティ側の、 屈強な体格の定型発達者として語られる。 妻や子を愛し、 全世界であった彼らの死に打ちのめされたり怒り狂ったりする、 ごくまっとうな家庭人だ。 作劇の重点は主人公あるいは彼に共感する語り手の内面にあって、 狂った社会はある意味、 その孤独を照らし出すための舞台装置にも見える。 作中のユーモアはわかりやすく、 ただ笑えないだけだ。 舞台装置としての空想世界といい、 喪われた家族への想いといい 『去年を待ちながら』 を連想した。 おそらくディックのほうがナボコフの影響を受けたのだろうけれど。 個人の独自性が許されず、 だれもが何らかの共同体に属していなければ許されぬ社会は、 民主主義の象徴たる議会を襲撃させたプラットフォームのアルゴリズムを連想させた。 悪夢は作家の創造した世界だけであってほしい。
ASIN: 4622048035
ベンドシニスター
by: ウラジーミル・ナボコフ
独裁的警察国家で、運命を弄ばれる主人公クルークと息子。やがて魔の手が息子を人質にとり…。ナボコフの品切書の中でもっともリクエストが多い、愛についての美しいファンタジー。
¥1,980
みすず書房 2001年, 単行本 291頁
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なんか東北弁みたいな題名だよね
読んだ人:杜 昌彦
(2022年02月19日)
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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