雑っ! と思わず叫んだ。 これほど残念な本にはそう出逢えるものではない。 前半はよかった。 若干の不満は 「これはファンタジーであって政治謀略小説ではないのだから」 と自分に言い聞かせて乗り切った。 しかし中盤の転換点から急激にひどくなり弁護の余地がなくなった。 それで序盤から感じていたモヤモヤに説明がついた。 在ペルー日本大使公邸占拠事件に着想を得たとされているが、 要するにこの本はローティーン向けの幼稚で甘ったるい恋愛幻想のための舞台装置、 というか安っぽい書き割りとして都合のいい設定を利用しただけなのだ。 だからこの小説では搾取する側の、 さらにいえば裕福な白人視点ばかりが活き活きと描かれる。 虐げられる民衆の側は、 せいぜい金持の白人にとって理解できる部分だけが描写されるのみだ。 そもそもがオペラである。 育ちのいい金持向けの娯楽だ。 残酷かつ腹立たしいことに 民衆の音楽は下賎の娯楽として蔑まれ嘲笑される。 日本人の描かれようはなるほどアップデートされたかもしれない。 サムライハラキリニンジャゲイシャでも哀しくも死語となったエコノミックアニマルでもない代わりに村上春樹の稚拙な模倣だ。 本物は団塊世代の暴力性を意識的にせよ無自覚にせよいかにも正しいもののように語るが、 そういう異常性はもちろん見られない。 その異常性に日常的に触れる機会のない外側のひとびとにはそこまで読みとれないのだ。 金持の白人が理解するであろう都合のいい 「村上春樹っぽい日本人」 が語られるのみである。 同じ白人のあいだでさえも差別がある。 フランスの文化は滑稽に貶められるしロシア人は愚かな引き立て役だ。 そもそも主役の歌手からして男たちに愛される対象としてのみ描かれる時点で差別が内在化されている。 そのことにあまりにも無自覚ではないか。 徹頭徹尾どこまでも差別的に書かれた小説なのだ。 そうでさえなければあらゆる瑕疵に目をつぶって 「いいんだよ、 やりたかったのは 90 年頃のコバルト文庫みたいなやつなんだろうから」 と考えることもできたろう。 とにかく前半はいいのである。 多くの文章に胸を打たれた。 それだけに裏切られた衝撃と痛手が大きいのである。 あのまま最後まで差別構造に気づかせずに騙し通してほしかった。 評価したみなさんは騙されていますよ。 よろしいですか、 この小説は、 下手です。 較べたら正直 『ぼっちの帝国』 のほうが優れている。 こんなのでフォークナー賞が獲れるのか、 英語で書けるやつはいいなと羨望した。 ⋯⋯しかしこの記事のために著者の画像を検索していてすべてを許す気になった。 多くの写真が美しい書店で撮られている。 彼女の経営する店らしい。 あのように美しい書店で、 あのように幸せそうな犬と、 あのようにすばらしい笑顔で写真に収まれる人物であればしょうがない。 差別的に思えた本も、 無知ゆえのファンタジーなのだからと微笑ましく思えた。
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読んだ人:杜 昌彦
(2019年12月10日)
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
『ベル・カント』の次にはこれを読め!