D.I.Y.出版日誌

連載第12回: 横滑りのダイナミズム

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2016.
09.01Thu

横滑りのダイナミズム

漫画アゲイン !!を読みはじめた人物造形が実に魅力的でなるほど実力者なのだなと思った深く掘り下げて考えると少年漫画の定番主人公キャラを何重にもひねって最終的におなじとこに着地させてそれによって現実の人間を煮詰めたような血の通ったリアリティをあたえているいろんなひとにそれぞれの事情があるという理解を幾重にもくぐり抜けた上でのエンタメ表現がここにはある自分の価値観を信じて向上しようと自分の意思で努力するのがいいことだって視点とか。 「こんな病んでる私やだよー/どうやったら楽になれるのー?とかいう台詞がナチュラルに出てくるんだよ。 「そうでありたい自分を自分の意思と努力によって実現するって価値観ねこういう視点のある台詞って 90 年代よりも前の漫画にはなかったと思うたとえばこないだ読んだ別の少女漫画で中学で地味だった女の子が高校入学と同時に一念発起してお化粧とかファッションとかすっげえがんばって美少女になってそのあとで中学の同窓会に思いきって出るって話があってきっと高校デビューとか無理しちゃってとかばかにされると身構えていたんだけど同窓生の女子たちはかわいい」 「がんばったねぇとその努力を理解して賞賛してくれるんだよすげえいい話だと思った

聖杯伝説方式というか西遊記方式というか仲間を集めるところから話をはじめる少年漫画の王道だね何重にもまわってここにたどり着く骨格とか技術とかツールとかは使い古されたものでいいんだよどうせそういうものしかないんだからいまの視点があるかどうかなんだ90 年代の不条理とかコミックキューのお洒落漫画とか経て戻ってきたからこそこのたくましさがあるんだよそういえばこの主人公のキャラ設定はワンパンマンとおなじだな批評的な冷めた目線で漫画読んでるおれらを代表してる多くの人気漫画には批評的な視点があらかじめ内在してるんだよな手塚がそうだったから必然的にたたずまいがそうなるんだけどでもこの目線はこの漫画家の著者がおれと同世代だってことにも関係があるのかもしれないそれこそ吉田戦車の全盛期に人格形成した世代ああでもこれふつうに読んでもふつうに熱血ものとして成立するんだよなまぁ考えてみれば浦沢直樹が 90 年代にすでにそういう方法論を確立してるし⋯⋯ああなるほどこれは女の世界のめんどくささを描いた漫画なのだな少年漫画のフォーマットだけど本質的な部分で少女漫画女の子の自由意志を人知れず理解する男子の話だ思うんだけど 80 年代までの少女漫画ってさなにも努力する気のない怠惰な女の子がありのままに肯定される神話だった印象があるわけいつからそれがこんなに力強く変わったんだろう? 自由意志をここまで力強く肯定できるってのは日本のエンターテインメントも棄てたもんじゃないと思える

校内での社会的な位置づけが生活に大きく影響してくる感じってジャンル的なお約束ごとなんだろうかそれとも健常者の人生で実際に起こりうることなんだろうか⋯⋯まぁたぶん漫画だからってことなんだろうけどそれにいまの高校生って集まって顔をつきあわせながら弁当くうの? この漫画にかぎらずそれができることがよいことだという考えがさまざまな作品で端々に見られるもしかしたらおれが知らなかっただけでおれの時代にもそうだったのかもしれない小学校のときは強制的に机を向かい合わせて班をつくらされて給食を食わされた気がする中学までそうだったような高校はそういう強制がさすがになくなったからみんな好きなように喰ってたはずちがうなおれが好きなように喰ってただけだだいたい SF 小説読みながら喰ってたイヤフォンで音楽も聴いてた気がする社会スキルの育成という観点からは損失だったのかもしれないけれどもそもそも合わない学校だったから惜しいという気はしないあれでむりに他人と話していたとしても苦痛が増えただけだったろう不本意といえば主人公が刈り上げにされる場面がある物語展開の一部のように店ながら視覚的に主人公の変化を見せていくやりかたは映画によくある手法だ著者は映画が大好きなんだろうなぁつうか映画もだけどほんと漫画大好きなんだなこの人漫画への溢れるフェティシズム! しかもそれをいまの読者が楽しめるエンタメに昇華している!

とかなんとかいいつつ最後まで読んだいやーどうなんだろうなこのたたみ方は連載の人気がつづくかぎりつづけてそろそろですかねっていって終わった感じ大ネタがシチュエーションコメディの口実でしかないのはまぁ別にそれでいいんだけどでもなぁ⋯⋯なんかもったいない感じがするいまいちすっきりしない途中が大傑作だっただけにモヤッとする結局ヒロインが悩んで放浪していたっぽいあたりのエピソードが雑に処理されて終わったからいちばん重要な彼女の内面がよくわからないままに終わってせっかくそれまでリアリティをもって迫ってきた主人公すらもかきわりみたいに薄っぺらになってしまったはあ⋯⋯テレビドラマとかになってたのねまぁわかる気もするおもしろかったけど⋯⋯夢中になって読んだ分だけ雑に放り出された感が否めない絶賛していたけどそれほどのもんでもなかったな⋯⋯

やっぱり話のたたみ方が気に入らないなぁ話が進むにつれてヒロインがただの惚れっぽい男好きになっていってそれはまぁいいんだけどほかの登場人物の内面がシチュエーションコメディなりに掘り下げられるにもかかわらずヒロインだけは逆に一貫性がなくなって薄っぺらな表面的描写だけになっていって最後には何を考えているのかどんな人物なのかさっぱりわからなくなってしまう序盤で腹の内が読めなかった人物が最後にはそういう動機であんなふるまいをしていたのかと腑に落ちるのが物語の大きな魅力のひとつだと思うし特にヒロインの求心力で物語を進めるのならそうでなければならないとおれは信じる大ネタの扱いが雑なのはシチュエーションコメディを成立させる手段に過ぎないので許せるにしても本来なら単なる道具立てに終わらせずヒロインの内面を明瞭に浮かび上がらせるための手段でなければならなかったやれたはずなのにやらなかったのはなぜか人気があればいくらでもつづく連載方式だったからかもしれない長編小説の書き下ろしであれをやるならば人物の内面を描くための手段として大ネタを設定しそれが明らかになるところを山場に据えてそこへめがけて収斂していくようなつくりに物語を構築するのがいいその道具立てとしての魅力的な人物配置やラブコメ的なシチュエーションコメディのあれこれがあるべきだメジャー誌の漫画連載の限界がこの作品をこのようにしたのであればスキル的には至らなくても制約のないセルフパブリッシングなら総合点で超えることは可能だ部分点は 500 点くらいだけど総合点は 60 点かせいぜい 70 点といったところだ途中まで夢中になって読んだだけに残念極まりない

Amazon レビュー見てきたたたみ方が雑だという意見が多数それまでの巻が高評価だっただけに最終巻の星三つが際立つ大半がタイムスリップに必然性がないという意見に流れていた必然性はなくたっていいんだけどさ⋯⋯最悪口実でもいいんだそこは雑でもいいでもこれはヒロインの求心力で見せるべき物語だったはずでであるならばそこを雑にしたのはよくない結果としてその欠陥がタイムスリップの雑さによるかのように見せた物語の焦点がそっちにあったかのような誤読へ誘導してしまったGoogle 検索の予測ワード候補でアゲイン 打ち切り」 「アゲイン 打ち切り 理由が表示されたみんな感じることなんだな⋯⋯でも雑誌連載って終わりはどうでもいいんだよな続きを読ませたくすること次の号を待ちきれなくさせることだけが大事なんだから完結した物語で満足感を与えたいわけじゃないであるならば連載漫画の優れた作家がいずれもグダグダのたたみ方に終始する理由もわかる漫画雑誌の編集者たちは物語のたたみ方を作家に教えることができない彼らにとって終わりはどうでもいいもう人気のなくなったものだから浦沢直樹も東村アキコもみんな物語をまともに終わらせる気がないと批判されているよなぁ。 「つづきが気になる方式の元祖で死人まで出したディケンズからして推理小説の犯人を明かさないまま死んだからなぁ女性キャラクターが全員男に節操がないのも若い男性読者には不評なんだな⋯⋯おれはおっさんなのでその悪意は素直に楽しめたけど女性ならではの悪意というか悪意と紙一重の共感のように感じられた人気があるとここまで叩かれるんだなってくらい作品と混同されて著者の人格が否定されていた

おなじ著者のモテキも一巻無料だったので読もうとしてみたこれは合わなかった台詞が多すぎるし自分をわかってほしい女が次々に出てきて都合のいい聞き役として主人公を利用する話であるらしくてしんどかったこれと較べたらアゲイン !!のほうが技術的にこなれてる感じがする物語が破綻していること自体は問題にならないむしろ作品によってはそのほうが好ましかったりもするだからたとえば唐突に演劇部編になってそれまでいっさい語られていなかった語られていないことが不自然であるような人物がメインになってヒロインの存在感が後退して、 「むだに連載を長引かせてるんだろうなぁという展開になったときはあれはあれでいいとおれは思ったそこで語られていることにはそれなりに必然性があったとも思うでも終盤はまったく説得力のないとってつけたような屁理屈でしかなかった破綻した連載ものとして印象深いのは十代で夢中になって読んだ手塚のプライム・ローズあれはほんとうに支離滅裂なんだけど破綻しているがゆえのダイナミズムみたいなものがあってそれが作品の求心力というか大きな魅力になっていた物語に完成度を求めるならあれはだめだし手塚作品としても傑作・代表作の部類には入らないだろうけれどもでもおれはあれが好きだ。 『冒険狂時代なんかにもその手の魅力があった

冒険狂時代については公式の解説に最初は前半の西部劇のエピソードだけで終わる予定でしたが出版社からのリクエストによって連載が続けられることになりその後も主人公・嵐タコの助はモロッコで外人部隊に入隊したりバグダットで魔法と呪文の世界へ入りこんだりと物語は果てしなく横滑りを続けていきます/そのため手塚治虫は後年この作品についてさっぱり要領を得ない行きあたりばったりの物語( 講談社版手塚治虫全集あとがき ) と述べています/しかしこの作品の連載当時というのは雑誌における長編マンガの連載という形式そのものがまだ始まったばかりでした/したがってこの作品も手塚治虫の雑誌連載という形式の可能性をはかるための試行錯誤のひとつだったと見ることもできます。」 とある。 「果てしない横滑りはこの時点1951-1953ですでに連載もの特有の魅力になっていたただおれが読んだバージョンは後年に改稿されたものなので厳密には当時とおなじ物語じゃない

読み終えた翌日も考えていた。 『アゲイン !!がなぜ終盤で急につまらなくなったのか覚めた主人公が物語に積極的に関与する動機となったヒロインがただの知能の足りない男好きに変容していったため物語の求心性が損なわれたせいだと一度は結論したけれどもよくよく考えたら誤りだったこれはどちらかといえば連載ものの魅力のひとつである果てしない横滑りによるダイナミズムに属するものであってむしろ肯定的な効果が得られていた問題は主人公だ本来彼は物語の部外者だった物語に積極的に関与しつつもその動機はあくまで批評的な立場であり冷めた視線が読者の心情を代弁していたそれがこの荒唐無稽な物語にある種の屈折した説得力を与えていた設定云々よりも学校生活における青春ドラマがそもそも多くの実人生にとって非現実的なんだよそのありえない青春所詮は絵空事なんだから楽しもうぜとばかり小馬鹿にしているがゆえに積極的に関与していく主人公の姿はこの物語を楽しむ読者の姿そのものだったところが後半で彼はその物語にかぎりなく同化し批評的な態度は最終的には完全に喪われる主人公さえぶれなければいくら物語が横滑りしようとそれ自体が魅力になり得たはずだ物語に没頭するには批評的な醒めた視点もまた必要ってことだろう


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。