しかし漫画みたいな成り行きだな。 原稿について要望を出し、 うまく伝わらなかったので補足の長文メールを出した。 それが何度再送しても文字化けした。 時間のむだなので細かい説明をはしょって要点だけ書いて送り直した。 そうしたら文字化けについてのくだりを作品を否定する文章であるかに読まれた。 文字化けが直らない、 どうしてもだめだと書いたら作品がだめだと書いたことになった。 「どう直しても文字化けする、 だめだ」 と書いたのに 「この作品はどう直してもよくならない、 だめだ」 と受けとられたのは、 文字化けについての説明につづけて、 話題が変わる旨の断りをせぬまま、 業務上のその後の対応について書いたせいだろう。 ファイル形式の違いが文字化けを招く可能性を前提として共有しておらず、 「次からテキストファイルで送ってください」 があたかも人格否定の文言であるかに受けとられた。 要望は独自の視点を活かした文章に直してほしい旨だった。 後半で焦点が定まって独自の主題が語られる。 そこはいいのだが前半はだれでもいいそうな感情的な悪口にとどまり、 せっかくの独自性を損ねていた。 読んだものに対する意見はいつも伝えているけれど、 書き直しまで求めるのは基本的に、 悪意の書き方に対してのみだ (柳楽先生の随筆には英語や文学理論の素人の観点から口を出すことがあるが、 それはまた別の話)。 特定のジェンダーや職業に対する悪意のようなものは掲載したくない。 そのひとなりの切実な必然性があって、 自覚的に向き合っていれば掲載する。 差別意識や、 批判ではなく悪口の水準にとどまっていて、 かつ発想に切実さや必然と呼べるほどの独自性が見出せない作品には、 批判として成立するように、 もしくは本来の切実さや独自性が伝わるように、 書き直しを求める。 書くなというのではなく、 書こうとすることが実現できていないから手を入れていただきたいという要望だ。 すると揉める。 なぜ美点ではなくそこに固執するのかと驚かされる経験をしたのはこれで二度目だ。 仲介者を挟んだために固執しているのがだれなのか見えにくいこともあり、 文字化けについての言及を作品への中傷と捉えられた点からしても、 正しく伝えていただけたのか不安ではある。 あるいは悪意こそが書き手あるいは仲介者にとって大切な思いで、 凡庸さこそが譲れぬ部分だったりするのかもしれない。 書くことも編集も揉めてまでやることだとは思わない。 独自性というのはもちろん主観でしかないし、 だれもが口にする言葉のほうが世間では理解されやすく、 「権力に抗う個性的な表現」 と評価される傾向があるのも知ってはいる。 たとえば 『全裸監督』 のような作品の人気ぶりや、 LGBT 法案への自民党議員の 「政治的に抹殺されるから言えないという状況が生まれつつある」 「どんな発言をしても大丈夫な社会をつくるべきだ」 といった発言などからもそれは窺える。 掲載する場所は 「世間」 でもなんでもなく、 個人が金と労力を費やして実現している場所なのだから、 個人の主観でいいと考えている。 それはたしかに暴力ではあるのだけれど、 そもそも編集とはそういうもので、 だからこそ前もってあいだにひとを挟むなどの防護策を講じたり、 それが防護策である旨をたびたび念押ししたりする。 ところがそれがどんなリスクへのどんな念押しであるのか、 そんな文脈はいくら言葉を費やしたところで経験に依拠するところが大きすぎて主観を免れようがなく、 社会的にはまったく意味をもたない。 やはり自分には向いていなかったし、 振り向ける力の余裕がもうない。 ひと区切りついたら他人とかかわるのはもうやめよう。 いいものを 「いい」 と保証するためには、 自分の信ずるところの 「いい」 に責任をもたねばならない。 そうでなければ、 せっかくの作品のよさが意味をなくしてしまう。 その指摘をする資格がなかった。 自分ひとりで完結できる物事であれば、 失敗しながら努力するのもいい。 他人が介在することがらであれば、 暴力になる。 加害性をそれなりに自覚していたので、 それなりに対策を講じたり何度も念押しをしたりした。 それがことごとく裏目に出て機能しなかった。 仕事に振り向ける力の配分も考えるべきだった。 本業できつい部署に異動になったので、 それまでにやれたことがやれなくなった。 ぼろぼろの状態でわずかな時間にやれることはかぎられている。 でもそんなのは取引先には関係がないことで、 どんな事情があろうが百パーセント全力で、 その相手が全世界であるかのように対応しなければならない。 そのように向き合わねばたしかに失礼になる。 それができないのであれば、 やる資格がないということだ。 結論として人格 OverDrive はいずれ個人サイトに戻すことにする。 販促やソーシャルメディアについてくよくよ悩んでいたけれど、 これで結論が出た。 今後は他人とかかわらない。 だれにとってもいい結果にならないからだ。 それにしてもあれをそのまま載せることが本当に若い書き手を守ることになったのだろうか。 読者を傷つけ、 それによって当人を傷つけてまでいわせたいことだったのだろうか。 理解に苦しむ。 手間としてはそのまま公開したほうが百倍楽だった。
2021.
05.21Fri
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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