杜 昌彦

ぼっちの帝国

連載第44回: A Rush of Blood to the Head

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2019.08.13

 明日香はあれだけ待ち焦がれたナベミキの新刊に見向きもしなかった。そればかりか書店や図書館が視界に入らぬよう避けて歩いた。読めばつらい想いが溢れ出てこらえきれなくなるのがわかっていた。アパートでの生活を思い出したくなかった。
 作家を特集した特別番組が放送されるのは知っていた。知りたくなくとも連日あれだけ派手に宣伝されたら意識から締め出せない。朝の情報番組でも夜のバラエティでも広告が流れた。
 放送当日は会員制ストリーミングサービスで映画を観ようと提案した。清高誠一郎はアクション映画でさえ愉しまず、バラエティ番組をつけっぱなしにするのを好んだ。話題の番組があればその放送局に合わせたがった。普段の明日香はほかに観たい番組があっても彼に従った。この夜だけは強く主張して退かなかった。誠一郎は気圧されて同意した。
 田辺美樹はその番組の収録で、己の人生を語るに子宮から産道に押し出される不安からはじめた。金舟泰造は当然の反応として宇宙開闢かいびゃくから語りだす類いの冗談と見なした。しかるに美樹は真剣だった。というより過労のあまり軽口を叩く気力などなかった。
 三島由紀夫には産湯の記憶があった、別段珍しくもなかろうと彼は抗弁した。『トリストラム・シャンディ』を引き合いに出し、射精された瞬間から語り起こすより無駄がなかろうともいった。投げやりな話し方や、バスター・キートンさながらの無表情は真実味を損なうに充分だった。
 ついで美樹は幼少期のお気に入りについて語った。味気ない知育玩具しか与えられなかった彼が唯一、興味を示したのがプラスティック製のひらがなだった。裏に磁石のついた色とりどりの文字である。組み合わせれば言葉になる。同じ文字を二度は使えないし文章にするにはあまりに足りない。たくさんの文字がほしいと彼は願った。文字を連ねて言葉を成したいと。
「それで作家になったのですね」
 売り物にするにはわかりやすくなければならぬ。定型からの逸脱は許されない。金舟は美樹の発言を使い古された発想に落とし込もうとした。尺や編集の手間を意識して急いだのである。美樹はその意を酌めなかった。作家になろうとしたことはない、鉛筆を初めて握った日から書いていて、そのことで金をもらえた時期があるだけだと説明した。いまはただ言葉について話している。
 美樹にとって文字は頭の中だけの抽象的な概念ではない。実際に触れて感じられるものだった。固有の色、手触りや硬さ、匂い、味、冷ややかさや温もりがある。そういうものとして育った。ナボコフはAを黒に感じた。美樹には「あ」が赤に思える。幼児期に実際に触れて遊んだ「あ」が赤かったからだ。記憶に基づく感じ方でいわゆる共感覚とは異なる。
 しかし感覚が未分化でもあるのかもしれない、脳の発達に偏りがあるのだろうと美樹は認めた。記事や番組に使われたのはここからである。二度とない出生の経験を世間のひとが忘れるのであれば、忘られぬ自分は異常なのだ。前日の夕飯すら定かでない一方で産道の記憶は明瞭だし、おむつの不快さや交換を待ち望む気持も憶えている。
 小説を書くのはそのせいかもしれないと彼は述懐した。記憶に歪められている。
 一説によれば夢とは記憶を消化吸収する過程だという。いつでも取り出せるよう区分けして保管する過程が夢として認識される。書くという行為も同じだ。忘れられなければ受け入れるしかない。容易には噛み砕けず飲み下せず、消化しきれずに、胸焼けしたり嘔吐したりする記憶がある。それをどうにか吸収せんとする試みが小説なのだと美樹は説明した。当然このくだりはカットされた。
 もっともらしく語りやがってと金舟は内心で小馬鹿にしながら、「小学校銃撃事件のことですね」と抜け目なく尋ねた。使われるのはわかっていたので決め台詞になるよう意識した。思考力を喪っていた美樹はまんまと陥れられた。何の疑いもなく素直に肯いた。あのときあの場にいた者はだれもがそうだろう、生涯あの記憶に囚われると彼は語った。
「しかも犯人はご両親」と金舟はここぞとばかりに追い打ちをかけた。
 美樹は自分が何を認め、どんな状況に追い込まれることになるかまるで自覚せぬままに肯いた。そしてあの雨の日をいかに生き延び、そのせいで一変した世界をいかに生き長らえてきたかを語った。
 番組はここから記録映像や生存者のインタビュー、CGによる再現を交える。
 最初に殺されたのはたまたま保健室から出てきた保健教諭だった。持ち場が玄関と近かったために来客を出迎えることが彼女にはよくあった。夫婦に挨拶し、用件を尋ねたところ至近距離で顔を撃たれた。
 保健室のベッドでは五年生の女子が腹痛で寝ていた。耳慣れぬ音を奇妙に思い、様子を見に出たところ見知らぬ男女に出くわした。父兄参観でもないのにだれだろうと思った。
 汗を拭いたいのでタオルをくれと男のほうが女子に要求した。夫婦は返り血を浴びていたが女子は初め服の模様だと思い、それからペンキか何かだと思った。それよりも傘を手にしているのが気になった。確かに雨は降っていたが玄関の傘立てに挿さずに屋内へ持ち込むのは妙だった。
 女子は持っていたハンカチを手渡した。夫婦は礼をいって歩み去った。濡れた足跡と後ろ姿を女子は魅入られたように見つめた。傘のように見えたのはライフル銃だった。
 玄関側を振り向くと赤いコートの女が倒れていた。そばに割れた西瓜と濡れたかつらのようなものが転がっていた。自分の見たものを理解するのに時間を要した。赤いコートは白衣だった。彼女は絶叫した。口が利ける程度に恢復するまで十年かかった。
 田辺夫妻は気まぐれに教室を襲撃した。行き当たりばったりに引き戸を開け、呆気にとられて見つめる子供たちや教師めがけて発砲した。銃には手製のバンプストックが取りつけられていた。前後に動く構造のストックで、指を固定し反動を利用することで擬似的にフルオートを実現できた。
 効率のいい殺害よりも恐怖を与えることに主眼を置いたと彼らは得意げに自供した。
 銃声と悲鳴に驚いて隣の教室から飛び出してきた男性教諭を直継なおつぐは射殺した。引き戸を閉めて施錠することを思いつく教師はこの時点ではだれもいなかった。彼らは泣き叫ぶ生徒らを雨の降りしきる校庭へ逃がそうとした。倒れた机や割れた窓ガラスで怪我をする生徒もいた。倒れてほかの子に踏み潰される生徒もいた。洩らしたり吐いたりする子もいた。
 何が起きているかだれにもわからぬまま恐慌は伝播した。
 夫婦は階段へ向かった。一階の教室は窓から校庭へ逃れられたが二階ではそうもいかなかった。箒で防戦しようとした男性教師は、肩を撃たれるまで犯人は刃物を振りまわしているのだと思っていたとのちに語った。銃声を聞いていながら認識できなかったのだ。撃たれてさえも何が起きたかわからなかったという。
 多くの教師は施錠が間に合わなかった。夫婦は教室の後方から前方へ向けて廊下を移動した。彼らが開け放つ引き戸は決まって教師のいない側だった。お願い子供たちは撃たないでと懇願した女性教師が射殺された。教師の名を叫んで駆け寄った女子数名が射殺された。休み時間や登下校時にいつも一緒にいる仲良しの数名だった。
 無差別に乱射していた夫婦はやがて狙いを定めるようになった。なるべく長持ちするように銃弾を節約したと直継はのちに語った。ど、れ、に、し、よ、う、か、なと唄うように数えて彼は引き金をひいた。机の下へ隠れようとする子供の頭に銃口を突きつけ、笑いながら発砲した。
 妻は夫の指示通り機械的に発砲していた。のちに犯行の動機を問われた彼女は意味の通らない弁解をした。夫に従ったのを罪と見なされるのが不服であるらしいのだけは明らかだった。
 美樹はなぜか隣の教室にいた。背後に銃声が近づいた。腰を抜かしている痩せた男子を咄嗟に庇った。撃たれなかった。ただ鼻で嗤う声が聞こえただけだった。両親の靴音が去った。遠くで銃撃が再開された。
 そのほうが苦しみが増すからだ。数年後に接見した兄は父からそう聞かされた。おまえらの教育のためだとも告げられた。なぜ自分たち兄弟ではなく大勢の他人を虐殺したのかとの問いの答えがそれだった。
 まともな人間はそんな風に考えない、と美樹は三十二年後のいま述懐する。たとえどんなに過酷な人生を強いられたとしても子供を無差別に襲ったりはしない。
 近年では無差別殺人が報じられるたびに「無敵の人」なる概念が口にされる。孤立し追い詰められた弱者が自暴自棄になって反社会的行動に出るのだと。それは事実ではないと美樹は語った。その証拠に両親は金に困っていなかった。祖父からもらう小遣いで働かずとも裕福に暮らしていた。おまけに教育カウンセラーを自称して大勢の信者までいた。
 それに本当に自暴自棄ならなぜ自分より弱い相手を狙うのか。彼らは知っているのだ。どれだけ虫のいい主張をしようがマスコミが思惑通りに伝え広めてくれると。
 他者への想像力を持たぬ自己愛は個人の資質でしかないし、大衆はそのような加害者に感化されやすい。治療法が存在しない現在ではだれも大っぴらに口にできないだけだ。障害者施設殺傷事件の犯人がマスコミを通じて優生思想を喧伝したのは皮肉な話だ。その理屈に則れば彼自身がだれよりも排除されねばならなかった。
 小学校は事件後、プレハブ校舎で授業が再開されるまで二ヶ月半にわたって臨時休校した。その間に転居した生徒や、籍を置いたまま登校しなくなった生徒も多かった。
 美樹は兄と共に祖父の家に引き取られた。それまで暮らしていた家がどうなったのかはわからない。警察が家財道具の一切を運び出したと兄に聞かされた。家が人手に渡ったとの噂も耳にした。戻りたいとも思わなかった。同じ市内に暮らしていながら二度と近づかなかった。
 卒業まで数えるほどしか登校しなかった。祖父は家庭教師として一流の学者を何人も雇った。愛情の代わりに金を投じる種類の男だった。おかげで兄弟は生活に不自由はしなかった。兄は高度な教育に適性を示し、世界的な法学者や経済学者と対等に議論した。祖父は兄に目をかけるようになった。つまり投資額を増やした。兄は優秀な成績で期待に応えた。
 美樹は何に対しても適性がなかった。書く習慣だけはつづけた。祖父の雇った歌人や国語学者はいずれも美樹の才能を理解しなかった。漢字や文法の誤りを指摘するに終始した。
 算数や理科や社会科に至ってはまるでだめだった。ほどなくして学者たち全員に匙を投げられた。手の施しようのない阿呆として、あたかも存在しない人間のように扱われた。彼は広大な邸宅を透明人間のごとくにさまよい、あるときは食堂で、あるときは応接室で空想を書き綴って過ごした。
「その頃から作家をめざして……」
「何かのためにやっていたわけではない。ただそういう病気だ」
「でも新人賞に応募したんですよね」
「おれがやったんじゃない。原稿を盗まれた」
「盗まれた?」
「美彌子が勝手にやった。何年も後の話だ。子供の頃のおれは引き籠もっていた。周囲からそのように期待されていた。外を出歩いてマスコミに騒がれると迷惑になる。兄のように抜け目なく立ちまわれなかった。兄は世間の望む気の毒な子供を演じ、おれは闇のほうを引き受けた」
 屋敷の息苦しさに耐えきれなくなると登校した。そこも地獄だった。精神疾患の疑いから犯人の情報は報じられていなかった。あるいは祖父の圧力が働いたのかもしれない。それでも地元ではだれもが美樹が犯人の息子だと知っていた。
 教員からも生徒からも、送迎の保護者たちからも畏れと憎しみと蔑みの視線を向けられた。行く先々で陰口が囁かれるのを聞いた。教科書や上靴が隠されて便器やゴミ箱で見つかった。給食には少し目をそらした隙にチョークの粉が振りかけられた。どこからともなく汚物が飛んでくることもあった。
 直接的な暴力に訴えられもした。ひとりで歩いていると背後からランドセルを蹴り飛ばされた。転んで振り返ると子供たちが散るように逃げていった。
 教師からも体罰を受けた。悪い血が流れていると口々にいわれた。
 田辺夫妻とそっくりの行動をしていることに彼らは気づいていなかった。暴力の種子は撒かれ、植えつけられたひとびとに開花した。体格に恵まれた美樹にとってやり返すのは容易だったが、打たれるがままに黙ってこらえた。そんなことで罪が消えないのはわかっていた。
 登校は危険だと学んだ。いずれひとびとの歯止めが利かなくなるのは目に見えていた。殺されるのは構わないが彼らを加害者にしたくなかった。中学に至っては一日も通っていない。
 やがて祖父が死んだ。兄はその頃までに祖父の企業のひとつで働きはじめていた。法律と経営を学んで帰国していた。上京し彼のもとで暮らしはじめた。兄は祖父に似ていた。両親のような社会病質でこそなかったものの人間的な温もりが微塵もない男だった。
「兄には感謝している。社会生活を教えてくれた。犯罪者にならず税金を納めていられるのは彼のおかげだ」
「お兄さんがいなければご両親のようになっていた?」
 露骨な誘導を美樹もさすがに不審に感じたのかもしれない。怪訝そうに片眉を上げるのが映像で確認できる。しかしすぐに疲れを感じたように虚ろな目に戻った。
 あんたがいうならそうなんだろう、と答えた。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『逆さの月』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。最新恋愛小説『ぼっちの帝国』連載中。
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