D.I.Y.出版日誌

連載第266回: 言葉を広める

杜 昌彦書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2020.
08.02Sun

言葉を広める

社会的なことが何ひとつ向いていない、というのは小説を書くにも出版するにも致命的だよな。しかしそのような人間でなければ本なんか読まないわけでさ。まして書いたり出版したりなどするわけがない。その辺の矛盾をどう解消するかがこれまでもずっと課題だったし、今後もつねにそうだ。Facebookを十年分遡って投稿をひたすら消していく、という無意味な作業に一日を費やした。自分がこの十年どう生きてきたかを振り返れたのはよかった。他者の評価に拠らず充実感を得るすべを模索してきて、十年前にどうしたらいいかわからなかったことに少しずつ答えを見出してはいるようだった。企業アカウントに学んでtwitterは業務として運用すべきか、と考えていたのだが、何か発言するたびにフォロワーが減るので目が覚めた。わたしがわたしである以上わたしは社会から受け入れられない。だれかほかの人間であるからこそ社会に認められるのだ。ほかのだれともおなじ規格化された人間でなければそこには適応できない。たぶんタイムラインに流れる投稿はすべてAIが自動生成したものなのだろう。生身の人間がそこにいることは許されない。ほかのだれかだったなら積み重ねてきた仕事も正当な評価を受けていたろう。むりだ。そんなことに適応するために人生を費やすことはできない。twitterは退会した。社会で成功したければ他人とおなじになればいいとわかっているが別な人間にはなれない。おかげで『ぼっちの帝国』を書いてさえこのざまだ。四年前の『悪魔とドライヴ』もそうだった。作品そのものは大した出来ではないがブラッシュアップや販促の手法は海外でも類のない試みだったし、脅迫者らに潰されなければ出版のありように一石を投じられたかもしれなかった。正常な人間であれば絶対に広く受け入れられたに違いない大きな仕事をして、あっさり無視されると鬱で一年は使いものにならなくなる。元年と呼ばれた十年前からわかっていたことではあるけれど、読まれるかどうかはあらかじめ支持層があるかどうかなんだよな。演歌歌手や政治家みたいに。それは必ずしもソーシャルメディアである必要はない。ソーシャルメディアに関してはよく一万人のフォロワーが必要といわれるし、一万人なら機械的になし得るともいわれるけれど、それはあくまで健常者の話であって、ほかのだれとも区別のつかぬ普通の人間でなければならない。あらかじめ社会に最適されていることが最低限の条件だからわたしにはどうにもならない。ソーシャルメディアであろうがなかろうが支持基盤などどこにも見出しようがない。生涯一度たりともだれにも愛されたことのない人間にそんなことは不可能だ。他人に愛されなければ読まれることもない。読まれぬ本は存在しないのとおなじだ。必死こいて書いて出版する意味もない。心身の健康を害しはしたし、健常者のように運用する技能を身につけるという当初の目標はまったく達成されなかったけれど、寄稿を募れたことを思えばtwitterを使ったのはむだではなかった。2020年にtwitterを利用したことを後悔はしない、それは嘘ではないのだが、とはいえさすがに潮時というか限界だった。わたしはわたしがわたしであることから死ぬまで逃れられない。他人が視界に入るから苦しくなる。であるならば排除すればいい。そうすれば健常者のようにやれないことでつらくなることもない。わたしはわたしの人生を見出さねばならない。


(もり まさひこ、1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、藤井太洋氏、十市社氏らによる指導を受けた『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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