妄想中年日記

連載第109回: 2018年の抱負

書いた人: 杜 昌彦, タグ:
2018.
01.08Mon

2018年の抱負

職場での年越しは二度目。12月の頭が年末年始休だったせいもあり何の感慨もなかった。除夜の鐘も聴かず初日の出も見なかった。ふだん通り働いて気づいたら終わっていた。今年43歳になる。精神異常者の両親にふりまわされて二十代が終わり、どうにか暮らせるまで足掻いたところで三十代が終わった。仕事を理解しないまま今の職場で五年が過ぎた。同年代の健常者がどのように暮らしているかは知らない。

頭が悪すぎて何もかもまともにやれない。人間が怖い。蔑みや批難にこれ以上さらされたくない。人目を避けるか自分が向上するしかない。どれだけ努力しても今の勤めに適応はできない。書くほうがまだ可能性がある。認知の歪みだとわかってはいる。しかし自分の障害で勤まる職業を調べてもやはり答えは同じだった。まずは一作、まともなものを書くことだ。『黒い渦』のようなゴミではだめだ。Amazonに出しているような中編でもいけない。最低でも五百枚。売り物になる長さと品質でなければ。

若い頃は怖いもの知らずで何でも書いた。厚顔無恥でもっとたくさん、どんどん書いていればいつかは上達し、成果につなげられたかもしれない。顧みる、という浅知恵にはまって失敗作に拘泥するようになり、新しいものを書けなくなった。結果を気にせず書き終えたら次へ行く者だけが向上できる。いきあたりばったりではなく、技術としてお話を構築できるようになりたい。書きたいから、気分が乗ったからではなく、必要な量を安定して書けるようにする。仕事にできる水準の技量を身につけなければ。

小説を主流文学とジャンルに分けて考えている。ジャンルに寄るほど「どのようにつくられているか」が見えやすい。主流文学に寄るほど高い応用力が求められる(あくまで仕組みの見えやすさであって、どちらが優れているとか楽だとかいう話ではない)。世間的には「純文学」と「エンターテインメント」に区分されているようで、新人賞も文芸誌も分かれている。読みたい作家は「純文学」に分類されていたりする。芸術とエンターテインメントをほぼ同義語のように感じているので、戸惑う。世間の流儀をわきまえなければ何をどう書いたところで今の職場と同じことになる。

やりたいのは社会能力を競うゲームではない。消費されるネタとして立ちまわる早さや賢さにも、空気を読んで顔を使い分けることにも、媚びて取り入ることにも関心がない。別の人間になれないことで咎められるのにはうんざりだ。このような人間でありながらも生きられる道を探さなければ。このような人間であることで生きられる道を。今年はその足がかりを見出したい。桜桃忌の前日に歳をとる。それまでに次の小説を軌道に乗せたい。売り物になる小説を。


杜 昌彦

(Masahiko Mori, 1975年6月18日 -)著者、出版者。作風はアヴァン・ポップ、スリップストリーム、スペキュレイティブ・フィクションに分類される。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。